12話 怒れる熊と女ガンマン
中越を出て二日、休憩を取った越路駅逓所から次の伊香牛駅逓所に向かう夕暮れ時、道中で道路脇からひょっこりと姿を現したのはこちらに興味深々な小熊だった。
自分の両手で持った枝を咥えて投げてみたり、齧ってみたりとモコモコの毛玉が愛嬌たっぷりに転げまわる。
あら、まぁカワイイ。
……いや、全然可愛くないわ。
頭の中に赤く光る回転灯と大音量の警告音が鳴り響いた。
小熊は可愛くても、近くには必ず親熊がいるはずだ。
母熊は子供を守ろうと必死で、出会えば襲われる可能性が高い。
一度目をつけられれば避けられぬ死が待っている。
ガサガサッ
反対側の笹薮をかき分け現れたのは俺の身長と変わらない程度の熊だった。
こちらを一瞥して小熊に近づき、後ろ足で竹藪の方へ蹴り上げると鼻をヒクヒクとさせながらこちらを向いた。
……こいつは親ではなさそうだが脅威には間違いない。
ゆっくりと目を逸らさず後づさり、先に玉蔵と荷馬車をこの場から離す。
心配そうな玉蔵を先に行かせて熊とにらみ合いを続けながら後退するが、ゆっくりと、本当にゆっくりと距離を詰めてくる。
「僕はあなたに興味ありませんよ、ただ行く道が一緒なだけでー」みたいな顔しながら、木に体を擦り付けて隠れたり、体を掻いたりしながら、ゆっくりとだ。
命を懸けたダルマさんが転んだをしながら後退しないと、一気に距離を詰められる。
奴を何とか追い払えないか。
大声を出す? 一気に来られるかもしれない。
死んだふり? 論外だ、奴には皿の上に出された料理にしか見えないだろう。
何か手持ちの物で追い払える道具はないか?
足元の手ごろな石を中腰になって拾い上げる。
この石で殴れば人だって倒せるのに熊相手には心もとなさすぎる。
そんな時、熊の後ろから道を砂煙を上げて走ってくる黒い塊が見えた。
近づいてくるにつれ激怒しているのがわかるぐらい唸り声をあげ、口からは泡のような涎を垂らし猛烈な勢いで木の傍に立っていた熊に襲い掛かった、さっきの小熊の親か?
二頭は吠えながら取っ組み合いを続け、俺をじわじわ追い詰めていた熊は、無様に笹薮へ逃げ込んだ。
鼻息荒くその場に残った熊は、あまりのことに動けなかった俺を見つけて、のそりと前足を踏み出した。
「ヒェ」
俺は一目散に走り始めた。
火事場のなんとやらで先行していた荷馬車に追いついてしまう。後ろからは依然砂煙を上げて追いかけてくる化け物がいる。
アンタの子供を蹴とばしたのはさっきの熊なんだから、満足して帰れよ!
「玉蔵! なんか追い払えるものは持ってきてないのか、銃とか!」
「鉈しかねぇ! 鉄砲持ってくればよかったなぁ!」
「次の駅逓にたどり着けば熊も引くだろ!」
「そん前に熊に食われねぇどいいべがなぁ!」
「熊の糞にはなりたくねぇ!」
パァン!
俺たちが必死になって走っていると銃声が鳴り響いた。
「熱っ!」
右の頬に焼けるような熱を感じた。思わず手で押さえると、ぬるりとした感触がある。
なんで血が。
「え、撃たれた!?」
荷馬車の前にはカウボーイハットを被りジーパンを履いた女が手にリボルバーを持って立っていた。
熊には当たってなさそうだ、コイツが撃ったのか! へたくそ!
「そこの二人! 伏せてろ!」
馬鹿野郎、撃つ前に伏せろって言え!
コイツに撃たれる前に急いで伏せた。
だが、鉄砲を撃つ音がしない。
恐る恐る顔を上げると引きつった顔で俺たちの後ろを見ている。
「どうした、熊は」と、後ろを振り向くと熊が二頭に増えている。
しかも親熊よりもっとデカい。
「なんで増えてんだよ!」
「ごああぁぁあぁ!」
「わあぁあぁ!」
吠える熊、銃を持って叫ぶ女、うんこ漏らしそうな俺。
急いで荷馬車の荷物を漁り、ブレーキクリーナーを取り出すとライター片手に噴射した。
「どっかいけや! 熱っつ!」
火炎放射器と化したスプレーが寒空を赤く染める。
やけくそになってそのまま炎を出したまま近づくと、流石の二頭も走って森の奥に消えていった。
熱くなったスプレー缶を遠くに投げ、大の字に倒れた。
髪の焼けた臭いが漂ってる、俺の髪どうなっているんだ。
「はぁ、はぁ、死ぬ、死んじまうぞ。こんなの」
差し込む夕日を遮って俺の顔に影が差した。
「いやぁ、危ないところだったね」
そのセリフはな、カッコよく助けてくれた奴にしか許されないんだぞ。
色々文句を言いたかったが息が切れていてうまく話せない。
「あんた、手妻師かい。他には何ができるんだ」
悠長すぎる言葉に目をつぶった。




