88話 お祭り騒ぎと孤独
頭につけたレシーバーで誰かの指示を聞きながら、昭和のバスガイドのような恰好をしたジェーンが拡声器で人の波を誘導していた。
動く度に腰につけたガンベルトがガチャガチャと音をたてている。
『えー、お集まりのみなさまー、こちらでもうしばらくおまちくださーい』
なだらかな丘の上に立つ洋館が一望できる高台のスポットに、続々と多種多様な人種が入り乱れる。
「こりゃ! 儂は四つ菱財閥の岩山だぞ! 離さんかっ!」
『はーい。お爺ちゃん、その縄から先に入らないでくださいねー』
もっと近くの場所を確保しようと虎柄のロープを越えて奥に入ろうとする人を黒いスーツを着た強面が首根っこを掴んでは元の位置に戻す動作を繰り返していた。
実演と聞いて駆け付けた軍人、投資判断を確認するために資産家から派遣された者、ジェーンの恰好に釣られた者と様々な人間が旭川中から集まっている。
遠藤が直接使いを出さなかったパトロン候補も次々と現地に現れた。最近、旭川で放送を始めたラジオも人集めに一役買っていた。普段は落語とクラシック音楽しか流さないそのラジオで、今回の実演をニュースとして取り上げたのだ。
機を見るに敏な手下が屋台を出してベビーカステラや焼きそばを売る始末。寒空の下、もはや一種のお祭り騒ぎになっているのだった──
◇
「む、このソース。なんという奥深さだ、そしてこの海の香り。まさかこんなところで私を唸らせるものに出会うとは。なかなかやるではないか」
「……リチャードさん、何してるんですか」
手に持った湯呑のホットワインを啜り、器用に割りばしで得体のしれない茶色い麺を頬張る常駐武官に呆れた顔を向けた。
「おお、お前も食べてみろ。これは凄いぞ、んん? そっちはなんだ? 丸い小さいパンケーキか?」
「вкусный、モットクダサイ」
屋台の前には熊のような男がベビーカステラが鉄板からころころと転がって出来上がるのをジッと見つめていた。
「モスコヴァイトまで来ているのか、すっかり旭川は国際都市になったのだな」
ガヤガヤと騒がしい人込みを感慨深く見つめていると空から腹に響くような音が聞こえてきた。その瞬間、誰もが口を閉じ一斉に空を見上げた。
『はーい、みなさーん。えーと、なになに? えー、三時の方向から高度2000メートル、時速400キロで飛行機が飛んできまーす、うわ、なにあれ! 初めて見た、すご! 今度シュウに言って絶対乗ろう!』
ジェーンの言葉を聞いて口々に高度や速度の話題を出す者、マイルに換算して冷や汗をかいている軍人も見られた。
銀色に輝く飛行機は丘の上を大きく旋回し、観客の頭も釣られて飛行機を追いかけた。
『あー、はいはい、今日のメインイベント? です。あちらの洋館をご覧くださーい』
洋館の上空に再び現れた飛行機が一瞬煙を吐き、がくんと揺れた。
次の瞬間、洋館に閃光が走り、真っ赤な花が咲いた。
「ビューティフォー──」
誰かが思わず漏らした声は、遅れて届いた破裂音にかき消された。
洋館が内側から弾けたように爆発し、土煙と木片が派手に飛び散る。残った骨組みも、燃え盛るマッチ棒のように勢いよく炎に包まれていった。
「……おい、青二才。お前が恫喝した相手は魔法の様に館を吹き飛ばしたぞ。なっ!? おいウィリアム!?」
リチャードの問いかけに返事はなく、口を開いたまま小刻みに震えるウィリアムの金髪も自慢の髭も、見る間に色褪せたように見えた。
『すごーい! なにあれ! 私もやりたい! ああ、そうだ。この中にアメリカ公使のウィリアムさんはいますかー? 手紙を預かってまーす』
名前を呼ばれてぎこちなく動き出したウィリアムが亡霊のようにジェーンに近付く。
『うわっ、何アンタ、えっ、なに? 聞き取りづらいんだけど……ウィリアム? ああ、アンタなのね。じゃあはい、これ。確かに渡したわよ』
手紙を渡して去っていくジェーンをぼうっと見送りながら、白を通り越して青く震える手でなんとか封筒を開け、一枚の手紙を取り出す。
折り畳まれた手紙を開けた瞬間、ウィリアムは白目を剥いて、くしゃりと崩れ落ちるように倒れた。
「お、おい、ウィリアム。大丈夫か!?」
リチャードが駆け寄り、彼を抱き起すと手に握りしめられた手紙が目に入った。
そこには血のような赤いインクで『I know what you did.(お前が何をしたか知っている)』と書き殴られていた。
◇
教えられたタイミングで発射ボタンを押せば一瞬で洋館が吹き飛び炎上した。スピーカーからは遠藤がピューと口笛を吹く音が聞こえた。
「……遠藤、全然模擬弾じゃねーよコレ」
怒りは不思議と湧かなかった。
ただ、一線を越えてしまった喪失感だけが心に残った。
『何を今更。坂井、貴方だって薄々気付いていたのでしょう? 模擬弾なんていうのは嘘で、実弾が入っていることなんて』
……確信はなかったが、そうじゃないかという気はしていたんだ。
模擬弾で屋敷が吹き飛ぶ事はないと遠藤は言った、だがそうであればただの警告の為に、洋館や土地を買い占めることもない。何よりこの男は集めたギャラリーに肩透かしを喰らわせるなど、まず有り得ない。
『そうだ。つまり、貴方は自分の意志で初めて人を殺したんです。お膳立てはしましたが、殺されかけた貴方にはその権利がある。それを利用させてもらった』
俺が黙っているとスピーカーから優しげな声が響く。
予想はしていた、断ることも出来た。その時は遠藤か誰かがボタンを押しただろう。それなのに俺は自ら押す決断をした、なぜだ。……いや、理由はわかっている、だがそれを認めたくないだけだ。
「利用だと? 何のためだ。どんな理由でも人の命を奪う権利なんて誰にもあるわけないだろ……」
この期に及んで苦し紛れの言葉が乾ききった喉から出た。酷い頭痛がして視界が歪む、倒れそうになった体を誰かが支えてくれた。さっきボタン一つで人の命を奪っておいて我ながらよくほざけたものだ。
『……でも、そうでもしなきゃ五分の杯を交わせないじゃないですか! 貴方が私と同類になるのをどれだけ待っていたことか!』
……なんて愚かで、自分勝手で、歪んですらいる。
なのに、その声が独りぼっちで泣いている子どもの声のように聞こえてしまった。




