86話 トラブルメイカーと静かなる怒り
──その頃、コクピットでは
操縦席の後ろでは、酸素マスクを着けた観測員が寒さに震えながら、革手袋越しに計器を確認していた。
『遠藤機長、15000ftに到達しました。エンジン過給機動作良好、各部異常は見られません』
マスクから漏れた息は白く、ゴーグルの外側を少し曇らせるとすぐに霜になった。
「ではこれより五分間の巡航後、高度10000ftまで下降を開始する」
『了解、搭乗員へ連絡致します』
「頼む」
この電話交換手は良い拾いものだった。
忍耐強く、指示に極めて忠実、初めての環境でも臆することなく手を進めていく。これは給金を弾まなければな。
……そういえば、秋本に呼ばれていった坂井がなかなか戻ってこない。また奴らに無理難題でも押し付けられているんだろうか。
執拗な彼らの質問攻めに困惑している坂井を想像して笑みを浮かべると、突如無線から雑音交じりの聞きなれた声が流れてきた。
『──ザッザサーー……砲のと……襲われ……』
無線の調子が悪いのか坂井の声が途切れて聞こえる。
ただ、途切れて聞こえる声色ですら切羽詰まっている。
「坂井さん? 何かありましたか!?」
『──ザザッ……ちゃいけないんだ! ……兵器を作って誰が幸せになる!』
何かがマイクに当たる音がした。
『──なんの話だ!……お前らには兵器に見えてもこいつは遠藤の夢なんだよ!』
注意深く耳を傾けたレシーバーからは坂井と言い争う女の声が聞こえてくる。緊迫した状態なのだろうが、坂井の叫んだ言葉に思わず涙が出てしまった。
……なんでもいい、坂井に加勢できる奴はいないのか!
秋本は何をしている、役立たずめっ!
急いで搭乗員に砲撃室へ向かうよう連絡を入れようとすると、握っていた操縦桿が急に重たくなった。
『──!? 砲撃室の隔壁が開いています! 砲撃室の隔壁開放ランプが点灯! 開閉二系統確認! これは装置の故障ではありません! 本当に開いています!』
隔壁が開いたとしても砲撃室は狭い、飛行には支障はないだろう。
だけど、坂井。今度は一体何に巻き込まれているんだ?
◇
……さっきより明らかに状況が悪くなっている。
大砲の角に引っかかっている通信機の本体から出ているケーブルがいつ取れてしまうかわからない。
それに俺の方も限界に近い。こいつを引き上げるにしても指の感覚がほぼ無いし、流れ出てズボンについた血ですら凍ってカチカチだ。
「もうやめて! 貴方まで落ちてしまう!」
「やめねぇよ。最後まで諦めんな、きっと助かる! うぉ!」
機体が突風に揺さぶられ、俺の体が外に引っ張られた。
「きゃあぁ!」
「うぉぉぉ!」
足を広げて壁に引っ掛け、何とか踏みとどまったが上半身がもう外に出てしまっていた。あまりの寒さに一瞬でまつ毛と鼻毛が凍った。
長くはもたない、どうにかしないと仲良く落下死だ。
そんな時、暴風の中で思わぬ声が聞こえた。
『──さん! 坂井!! 聞こえますか!!』
「遠藤!? 聞こえる! 人が落ちそうなんだ、すぐに高度を下げてくれ!」
この風と寒さがどうにかなれば、何とかなるかもしれない。
『わかりました、急降下します!』
「ん? え、ちょっ! 待て待て待て!」
「きゃあああ!」
言うや否や飛行機が急に45度をはるかに超えた角度で急降下し始めた。機体はミシミシと鳴り、俺たちの体は徐々に浮き上がった。まるで無重力だ。
今度は逆に空へ飛んでいきそうな彼女の体を機内へ引っ張って仰向けに倒れ込むと、二人して大きく息を吐いた。
「とりゃあ! 秋本洋三、ここに推参!」
ドタドタと音を立て、扉を足で蹴り開けると酸素マスクにもこもこの防寒着を着込んだ秋本がバール片手に突入してきた。その姿に俺たちはお互いの顔を見合わせ、思わず吹き出してしまった。
◇
「なるほど、機体の外側に出たから障害物の影響を受けず無線が通じるようになったのだな。要改善だな、うーむ結構結構」
隔壁を閉じ、無線室まで戻ってきた俺は貴重な実践データと喜びを隠さないえびす顔の秋本を呆れ顔で見ながら、手に包帯を巻いてもらっている。
ちなみに巻いてくれてるのは秋野さんだ。
さっきまで殺し合いしてたとはとてもじゃないが思えんね、ずいぶんとしおらしい。これが吊り橋効果ってやつか? 内容は良く知らんし、彼女をケーブルで吊った部分しか合ってないけど。
「これでいいわ、地上に降りたら医者に見せて縫ってください」
「ああ、ありがとう。助かったよ」
指もちゃんと動くし、刺さった場所がよかったのかな。
しっかりと止血された手の包帯を眺めていると秋野が口を開いた。
「……助かったのは私の方です、助けて頂いてありがとうございました」
そういう割には嬉しそうな顔してないな、俺を狙ったことはもうチャラだって話したのに。やっぱり俺のこと殺したかった?
俺の不思議そうな顔を見て、話そうか話すまいか迷っている彼女に無線からの声が問いかけた。
『君の雇い主を教えてくれるなら、そこにいる坂井に免じて話をつけてあげるよ。まぁ、言いたくないなら君以外に必ず落とし前はつけさせるけど──』
いつもの口調で話しているはずなのに、その声にはやけに迫力が籠っていた。彼女は顔面を蒼白にし、血の気を失った唇をわなわなと震わせた。
いつも適当な遠藤が珍しくキレていることに苦笑しつつ、彼女に視線を戻した。
「……まぁ、あぁ言ってるし。言える範囲で教えてやってよ。俺も命を狙われた理由くらいは知っておきたいし」
軽い調子で促すと、彼女は信じられないものを見る目で俺を見つめ返してきた。




