83話 悪のアジトと青い空
地下工場を一望できる場所に奴らの姿を捉え、慌てて入口の隅に身を隠した。
二人は全体が見渡せる柵まで進み、会話を交わしているようだ。
「どうですか、この悪のアジトは──」
聞き耳を立てていると、眩しい光に姿を照らされた遠藤が眼下を眺めながら大きく両手を上げ、はしゃぐ子供のような声を上げた。
(悪のアジト?!)
我ら御庭番衆がアメリカ公使から受けた依頼は、危険な対象者の監視、機密情報の奪取、そしてアメリカに危害を及ぼす存在と判断でき次第、始末することだった。
奴らが危険人物であることには疑いようもない、だからといって頭領の言うように軽々しく命を奪う真似なんてしたくなかった。
だが、これはもはやアメリカどころの話ではない。この男たちは笑いながら自分たちを悪と呼び、これだけの兵器を使って何かを起こそうとしているのだ。
正直言って、狂っている。
道徳観も倫理観も奴らの前では鼻紙以下なのだろう。
ふと遠藤から坂井に視線を移せば、作業員が近づき親しげに話していた。
ずいぶんと汚れた服を着ているが、あの特徴的な髭はもしや……工兵将校の秋本か!? 坂井と繋がっていると聞いてはいたが、なぜ軍の人間がこんなところに? しかも下働きのような恰好で笑みまで浮かべて。
身振り手振りで楽し気に話す秋本を坂井はまるで出来損ないの子供を気遣うような目で見ている。決してあれは将校を見る目ではない。
……なるほど、将校であってもここではただの下っ端ということか。
彼らとあまりに差がありすぎて、彼らに媚びへつらうことしかできないのか。
それとも洗脳か? どちらにしても、なんて哀れな男だ。
これは軍部と内通しているどころか、上層部まで掌握している証拠だ。それだけには留まらず、次々に会社を立ち上げ、旭川どころか本州にまで経済的な影響を広げている。さらに前人未到の空という領域まで手に入れようとしている。
へらへらと笑う秋本と別れた奴らは階段を降り、奥へと進んでいった。
気取られないように追いかけなければ見失ってしまう。
工場内の影から影へと忍び歩き、棚に置いてあった真新しい作業服を素早く着込み、帽子を深くかぶる。
徐々に奴らとの距離を詰めると工場とは違い、奥まった薄暗い場所で立ち止まった。
……夜目が利くよう訓練された私にははっきりと見えてしまった。
大型の飛行機が鎮座している姿を。
息をするのも忘れ見つめていると、遠藤が指を鳴らす音と共に天井が割れた。陽の光が差し込み、暗闇の中から銀色に輝く悍ましい異形が浮かび上がる。
姿を現すや否や作業員たちも手を止め、帽子を振り奇声をあげて喜びを露わにした。
あいつらだけじゃない! こいつら全員狂ってる!
こいつらの笑い声と共に東京の空をこの飛行機群が覆い隠し、街へ爆弾を落とす景色が頭に浮かんだ。
理解できてしまった、奴らの狙いは恐らく国家転覆だ。
これを見るまでは荒唐無稽と笑い飛ばしていたかもしれない。思い過ごしもいいところだと、滑稽本の読みすぎだと、しかし現実を目にしてしまえば、列強との戦争で疲弊した日本を乗っ取るつもりだとしか思えない。
おそらく奴らは何年も前から、いやここまでの規模なら親の代から準備してきたのだろう。ここで悪の芽を摘まなければ無辜の民が犠牲になってしまう。
先ほどまで我が身可愛さに必死になっていた自分自身が恥ずかしい。
たとえ我が命に代えてでも、奴らを誅しなければ!
◇
『第三番、第四番、第二番、第一番エンジン正常始動!暖機入ります。 始動車離脱、確認!』
「了解。最終確認後、離陸に入る」
『了解!』
観測員の声を待つ間、遠藤はしきりに太ももで手のひらを拭っていた。
緊張して手の汗が止まらないようだ。
「ふーっ、なかなかに緊張するものですね、何度も練習はしたのですが。見てください、手もこの通りです、我ながら意気地のない」
大きく息を吐いた遠藤が、俺に見せた左手は震えていた。
俺は強引に左手を上から掴み、一緒にスロットルレバーの上に置いた。
「付き合うよ。飛ぶのがずっと夢だったんだろ?」
一瞬大きく目を見開き、驚いた顔を見せると遠藤が口角を上げた。
「ええ、この日の為に生きてきましたからね!」
空いた右手でトグルスイッチを次々に跳ね上げ、後ろの観測員に確認指示を飛ばすとすかさず返事が返ってくる。
『暖機完了、油圧、各計器温度規定値! ピッチ確認完了!』
「了解! さぁー、行きますよ!! 発進します!」
「よし、飛べぇー!!」
スロットルを徐々に前へ倒すと、エンジンが咆哮を上げた。グイグイと体がシートに押し付けられ、勝手に笑いがこみ上げてくる。窓の外の景色が流れる色に変わったとき、速度計についていた離陸可能速度のランプが点灯した。
遠藤がゆっくりと操縦桿を引き上げると、一瞬の浮遊感と共に目の前が青一色に染まる。
「……ああ、本当に飛んでる、飛んでますよ! 坂井さん!」
ははっ、こいつ、こっちを見ずに目の前の空だけ見てやがる。
「やったな、すげぇよあんた」
『離陸成功です!』
観測員の声を聞き、俺はようやくスロットルから手を離した。握っていた遠藤の手は、二人の汗でびしょびしょだったが、もう震えてはいなかった。




