78話 徹夜明けのおっさんとカップル
静かな朝、だるまストーブにかけた薬缶からは静かに湯気が上がっていた。
両手を伸ばし、凝り固まった首を左右に振ると小気味よいポキポキとした音が鳴る。
「やっと終わった……今週分の原稿はこれで大丈夫だろう」
依頼された原稿を手元で揃えて紐で縛り、畳の上に置いてあった箱に入れた。昨日の夜から書き始めて、そんなにかからないとタカを括っていたが結局朝までかかってしまった。
永倉から聞き取った内容をまとめるだけでも一苦労なのに、その時の感情やら池田屋の見取り図やらを書き加えると時間があっという間に溶けていく。
「いやぁ、疲れた。結局、二徹しちゃったか」
実は原稿を書き始める前日も軍の技術屋どもが朝まで離してくれず徹夜していたのだ。
軍も遠藤と連携し、奴の工場で作られた電子部品や機械部品を使って無線機器を作り始め、今では音声をもっとクリアにしたいとか、暗号をもっと複雑にしたいとか、以前とは全く違う悩みを相談される始末だ。
朝になって、ようやく解放されたと思えば、遠藤に引っ張られパトロン希望のオファーがあった財閥や富豪が未来でも存在していたかを確認するために手伝わされたり、スカスカになった愛車をみて腰を抜かしたりしていた。
おのれ、絶対に許さんぞ。
「今日もやることいっぱいだー。過労死しちゃうよー、あー、もー、コーヒーでも飲むかー」
遠藤の工場や商業施設、輓馬の競馬場が続々と建設、稼働すると、街の産業も比例して活気づいていき今の旭川はゴールドラッシュと見まごうばかりの人が集まってきていた。
世界中で大々的に初飛行を行った飛行機や女性パイロットの報道が駆け巡ったせいで、東京や横浜にしかなかった外国の公使館が旭川に出張所を作る始末だ。
凜は有象無象が増えすぎて情報を盗もうとするスパイ探しが大変だ、と愚痴っていたが。
そういえば俺が適当に話したらしい飛行機の与太話は報道されていないらしい。
やっぱり酔っぱらいのいうことなんて誰も信じちゃいないよね。遠藤から渡された謝罪を求める文書とかもどっかいって見つからないけど、酔っぱらい相手に大げさだっての。
あれからアメリカもロシアもなにも言ってこないみたいだし、とりあえず放置でいいや。
回らない頭としょぼしょぼとした目で、机の下からコーヒー粉が入った缶を取り出した。
人も増えれば流通するモノも増え、百貨店もどきがばんばん開店している。
望めば世界各地の香辛料や嗜好品まで手に入る。
このコーヒーもその一つだ。
薬缶の取っ手を持とうとしたときに廊下から聞きなれた声が聞こえてきた。
「修さん、おはようございます。もう起きられてますか?」
うん? 聞きなれた声だがまったく訛りのない声だった。
◇
「うわあ、この部屋暖かいですね。俺の部屋にもこれつけられるかな」
この前会った時とは打って変わって髭は綺麗に剃られ、髪もばっちりと決まった七三分け。シャツもぴしりと糊がきいていて、ジャケットもタータンチェック模様と洒落ている。
今日は会津訛りもお休みみたいだ。
部屋に入ってきて早々、ストーブを興味深そうに覗き込んでいる。
こういうところは変わらんな。
「彼女ができて身だしなみを気にするようになったのか、玉蔵。今までの恰好よりはずいぶんといい、似合ってるよ」
「ありがとうございます」
頭をかきながら照れている玉蔵の後ろには、年の頃が二十歳くらいで背の低い女の子が立っていた。
小袖の上から海老茶色の袴を履いていて、見た目は卒業式後の学生みたいに見える。
なんだかさっきから、こちらをじっと伺っているのでほほ笑みかけると「ヒッ!」と小さな声を出して怯えたような顔を見せた。
……まぁ仕方もない、二徹してるから髭も髪もボサボサで怪しいおっさんでしかないからな、なんだかこの前の玉蔵と立場が逆になってしまった。
「それにしてもどうした、こんな朝早くから。それにそちらのお嬢さんは?」
「ちょうどこっちに寄ったので。ええっと、冬子、この子は前に話した俺のか、彼女でぬ」
思いっきり噛んだ。
まだ自分の彼女を紹介するのは慣れていないのか、初々しいな。
「ふふっ、玉蔵さんったら。先ほどは失礼致しました、改めましてご挨拶をさせていただきます。私は玉蔵さんとお付き合いをさせていただいております、秋野と申します。彼が坂井様のことをいつも恩人だと話しておりましたので一度ご挨拶にお伺いしたいと思っておりましたの」
……秋野冬子、うーん。
凄い偽名くさいけど、逆にスパイやハニートラップならそんな怪しい名前つけるかな?
「それはそれは、ご丁寧にどうも。ちょっと忙しくてこんなナリで悪いがね。玉蔵には大したことしてないどころか、危ない目にばかり合わせてる気がするから恩人と言われるのはピンとこないな」
「いんや、それは違ぇ、いや違うよ。修さんに出会わなかったら冬子にも会えなかったし、あの村で何も知らず生きてたかもしれない」
本人がそう思ってくれているなら否定はしないでおこう。クマよけスプレーぶっかけたり、縄でぐるぐる巻きにされたりしても彼女ができればチャラってのは凄いと思うけど。
「そうか、そういってくれるなら親父さんにも申し訳が立ちもするか。ああ、そうだ。ちょうどコーヒーを入れようとしていたんだよ。飲んでいくかい?」
「珈琲? 街で聞いたことはあるけど飲んだことはないな。冬子も飲んでみる?」
「ええ、是非頂いてみたいですわ」
三人分のカップにお湯を注いで温め、ネルドリップの準備をしながら二人の馴れ初めなんかを聞いた。
「──そうなんだ、冬子は偉いんだよ! 東北から家族のために一人で出稼ぎにきてさぁ、辛かったろうに」
「そのおかげで玉蔵さんにも出会えましたから悪いことばかりではございませんでしたわ」
「うわぁ、こっぱずかしい」
玉蔵が彼女の言葉一つ一つに感動し身もだえてクネクネしている。
うーん、微笑ましいんだけど。これ本当にハニートラップだったとき、大丈夫かな玉蔵。
まてよ? 凜さんや玉蔵を監視してる人が家に通したってことは、俺の思い過ごしだったのかもしれないな。
嫌になるなぁ、最近人を疑ってばかりで。
「ほら、できたよ。砂糖もあるから使ってくれ」
二人に白磁のカップを差し出すと湯気が漂い、香りが部屋一面に広がった。
「できる男はそのまま飲むって聞いたよ、うーん、いい香りだ、うへぇ! ごほっ! 苦ぇ! なんじょこれ!」
わはは、彼女の前でいい恰好しようとするからだ。
むせる玉蔵を横目にコーヒーを口に含んだ。
ありゃ、ちょっと濃かったかな。
焙煎が深めだったからもうちょっと粉少なくすればよかったかも。
でも俺はこれくらいが好みだな。焦げ臭いコーヒーを目を覚ますためだけに飲んでいた日々に比べたら天国の味だ。
あれ、でも秋野さんは美味しそうに飲んでるな。
コーヒー好きなのかな。
そう思いながら見ていると、俺の視線に気づいたのか、彼女はハッとしたような表情で「すごく苦いですね」と顔をしかめた。




