77話 色恋といらぬ心配
遠くに見える山々の頂きを雪が白く染めている。
街中の木々も紅葉が終わり、ずいぶんと葉も落ちて寒々しい姿を晒していた。
「うー、さぶいさぶい。もうすっかり冬だよなぁ」
銭湯から湯冷めしないように早足で帰ってくると、すかさず厚手の靴下を履き、炭つぼから火鉢に炭を足し入れた。
遠藤に持っていかれただるまストーブはいつ返してもらえるんだろうか……
「あれ?」
銭湯から帰ってくると机の上に置いてあったアメリカとロシアの書類が消えていた。
「あんなの勝手に持っていくのは凜さんくらいかな。凜さんも出かけたみたいだし聞くのは後でもいいか」
あまり考えたくないことは後回しにして、お風呂セットを部屋の隅に片づけているとスパンッと障子が開かれた。
「うぉ! なんだ、玉蔵か。ひと声ぐらいかけてから開けよ」
「ご、ごめんなんしょ、修さんにはえぐ相談してぇことがあって(早く相談したいことがあって)」
肩で息をする玉蔵に麦茶を出してやると一気飲みして大きく息を吐いた。
「落ち着いたか? どうしたのよ」
「修さん、お、おお、落ち着いて聞いてけれ」
いや、お前が落ち着けよ。
「実は、今日めんけぇ娘っこ(かわいい女の子)に好きですって言われで、どうしたらいいべか!」
「え? マジ?」
改めて玉蔵の風体を見た。
山にいた時より髪も伸びボサボサ、髭も剃ったり剃らなかったりで今日は無精ひげが見苦しい。シャツとズボンはよれよれで工場の作業を手伝っているせいか、ところどころ油汚れがついていた。
「うーん、相手は誰よ」
「最近工場に入ってきた女工だ、『あなたに一目惚れしました』ってよ! これがまためんこいのなんのって! こりゃ、まいった! あはははっ!」
人生初めての色恋で舞い上がってやがる。
今まで女に触れ合う機会がなくて、出会う奴らは銃をぶっ放す金髪に何考えてるかわからないヤバい怪力女くらいしかいなかったもんなぁ、仕方ないよなぁ……。
素直に喜んでやりたい気もするが、最近良からぬ考えで遠藤組の関係者に近づこうとする輩が多いのも事実だ。人間見た目じゃないのはわかっているが、今の姿を見て一目惚れしましたとか言われたならちょっと、いやかなり疑ってしまう。
遠藤が親兄弟でも怪しいことがあったら報告しろと号令をかけている。
女関係に関してはもっと厳しく管理しているようだ。既にハニートラップに引っかかってる奴もちらほらと出ていて、情報を漏らしてしまった奴は離れの蔵にある反省房に押し込められている。
一回見たことはあるが伝馬町の牢屋敷もかくやという作りだった。
あんなところに三日でも入れられたらトラウマものだ。
「修さんより、はえぐ(早く)所帯持っちまうかもな! あははは!」
うん、うん。今だけは好きなように言ってろ、この野郎。
俺への相談はどうした、ただ自慢と惚気に来ただけか。
……まぁ、人は恋敗れて成長するんだ、だからハニートラップにかかって有頂天になったところで現場を押さえて反省房に入れてやるからな、よかったなぁ玉蔵。
だが、なぜ俺には女が寄ってこないんだ。
それどころか、街を歩けばひそひそとうわさ話をされ、目を合わせるとなにか可哀そうなものを見るような目で見られる。
……俺が何をしたっていうんですか、神様。
◇
「──というわけなんだよ、どう思う凜さん」
帰ってきた凜を捕まえて、お茶を飲みながらさっきのことを相談した。
「黒ですね、間違いありません」
食い気味の断定、最近こんなのばっか多くて愚痴が多かったもんな。
「玉蔵さんには可哀そうですが、私の部隊の者を監視に当たらせますわ」
「やっぱりそうなるよなぁ、あいつには普通の恋愛とかさせてやりたいんだけど。凜さん誰かいい人いない? 部隊の人とかさぁ」
「玉蔵さんにですか、部隊の皆は望み薄かと。稽古の際の動きが気持ち悪いと苦情も出ておりますので……」
玉蔵、不憫な奴。
「そうかぁ、少し落ち着いたらあいつにはお見合いでもセッティングしてやったほうがいいのかな。……あ、そういや、不思議なんだよ」
「何がですの?」
「俺にはそういうハニートラップって一切ないんだけど。なんかこう近寄りがたい何かがあるのかね、少しはこう、なにかあってもいいんじゃない?」
暑苦しい軍人とか元新選組の爺とか、おっさんしか寄ってこないぞ。いや、本当におっさんしかいないな。
「ふっ、ご自分の行動を顧みられたほうが宜しいのではなくて?」
「凜さんも悪い男に──」
目の前の彼女から吹き出た殺気に、次の言葉が口から出ることはなかった。




