72話 燃え尽き症候群と世界初
永倉の爺さんが酔った勢いで新選組の内輪ネタを次々に話すと凜さんが食い気味で聴いていた。特に近藤局長が『最近、隊の中で男色が流行ってけしからん』と言ったとか言わないとか、土方の下半身伝説とか。
いや、あんた。それ新選組顛末記に書くつもりなん? 土方も草葉の陰から飛び出してソバット決めると思うぞ?
まぁ、未来で一時期話題になった新選組屯所の隣に住む娘さんが土方と沖田の官能小説を書いていた話をすると「あの目……どおりで……」と呟いていた。その子は隊士たちを毎日エロい目でみていたみたいだ。剛の者すぎるだろ。
楽しい飲みも終わり、すっかり酔っ払った永倉の爺さんを凜さんと一緒に宿へ送る途中、真っ暗なのに灯りも持たず向こうから歩いてくる軍帽と外套をつけた白髪の軍人がいた。見るからに怪しいが、いつもは何にでも警戒する凜がなにも気にしていないようなので、そのまますれ違った。
すれ違いざまに「我む新を頼む」と、呟くように言われたが振り返ると既に姿が見えなかった。どういうこっちゃ。
「なぁ今の人、急に消えなかったか?」
「何を言っているんです? 誰もいませんわ」
提灯を持った凜から怪訝な顔で返された。
◇
永倉の爺さんと会った日から約一週間後。
俺は見事な燃え尽き症候群になっていた。
もうやだ、もう何もしたくない。やだやだやだ、拙者、もう働きたくないでござる。
頭から布団をかぶり体育座りをすると、一気に倦怠感が押し寄せてくる。
なんでもかんでも解決出来るわけないだろう。料理? もうお前らの方が上手に出来てるよ! いちいち味見させに運んでくるなよ、しょっぱいものばっかで血圧上がるわ! 無線技術? 十キロ先まで双方向通話出来るようになったじゃん! 映像を送りたい? ふざけんな! 暖房器具の特許を取りたい? せっかくのワンオフで作ってもらったダルマストーブを持って行こうとするな! 俺のだぞ!
「みんな好き勝手いいやがって、グスッ、労基に訴えるぞ、そして勝つぞ」
労基なんてないのは分かっていたが愚痴らずにはいられなかった。自然と涙が出てくる。
その時、ドタドタと廊下から近づいて来る音がした。思わず布団に潜り込み目を閉じた。
「坂井さん! やりましたよ! ってあれ?」
障子を開け放つや否や飛び込んできたのは恐らく遠藤兄だ。朝っぱらからテンションが高い、俺のダルマストーブ返しやがれ。
「なに芋虫みたいになってるんですか!」
俺は芋虫だよ、ひねもす隠れるだけの芋虫。
だからそっとしておいてくれ、わざわざ石をひっくり返して見つけようとするんじゃない。
「坂井さん、起きてくださいよ! 飛んだんですよ!」
何だよ、俺だっていつも飛び回ってるよバカヤロー。
「空を飛んだんです! 飛行機ですよ! 飛行機!」
その言葉に、かぶっていた布団を放り投げた。
「マジ?」
「マジです、大マジですよ! 今作ってる競馬場で試運転してみたんですが、もう三十分は飛び続けてますよ!」
「えっ? 今も?」
「そうですよ! 早く馬に乗ってください!」
「待て待て! 下を履かせろ、おい!」
なんとか袴を履いて手を引っ張る遠藤に連れられ馬に飛び乗った。
◇
空には、金属の機体に太陽の光を反射させながら、轟音を立てて旋回を繰り返す飛行機が確かに飛んでいた。
「おいおいおい、マジかよ」
飛行機用の工場を作って、機体とエンジン開発をしていたのは聞いていたが出来上がるのが早すぎる。飛ばすのに必要な部品がまだまだあったはずだ。
周りを見れば何事かと集まった市民や軍人までがみんな口をポカーンと開けて空を見上げていた。
「なぁ、遠藤さん。エンジン開発は順調って聞いてたけど燃料はどうしたんだ」
「ああ、ハイエースの燃料を拝借しました」
「はあ!?」
事も無げに言う遠藤にびっくりした声が出た。
「他にもハイエースから使える部品を流用して作りました。いやぁ、これでライト兄弟でしたっけ? そんな輩よりも世界で初めて空を飛んだことになりますね」
今まで見てきた中で一番いい笑顔を浮かべる彼に、部品取りにされたらしい愛車のことはとりあえず後で詰めるとして、気になったことを聞いてみた。
「遠藤さんよ、あんた最初に空を飛んだ人間にならなくて良かったのかよ」
「ええ、別に。だって落ちたら死んじゃうじゃないですか、私は生きて世界を飛び回りたいんです。初飛行で死ぬのは私の夢ではない」
空を自由に飛びたいと言っても、安全マージンを担保してからか。なんという現実的なお答えだこと。
「それに今飛んでるのは凜です。遠藤家が世界初なことに変わりはありません」
思わず空を見上げた。さっきよりもアクロバティックな動きをしているように見える。
よく受けたな凜さん。あんな飛行機嫌いをどうやって説得したんだよ、底が知れないぜ、遠藤兄。
「落ちたら凜さんが死ぬかもしれないじゃないか、薄情な兄貴だな」
思わず口から出た言葉に遠藤がきょとんとした顔を浮かべた。
「あれが落ちた程度で死ぬタマですか。それに日陰で生きてきた小娘が名声を上げる機会を逃すわけもない。国を作るなら尚更ですよ。この前坂井さんが教えてくれたじゃないですか、ギブアンドテイクって」
お前等のギブアンドテイクは毎回誰かの命がかかってるところが意味分かんないんだよ。




