63話 茶番と事業
「はぁはぁ、もう、俺は駄目だ。玉蔵、あとは頼む……」
冷たい地面に倒れ、玉蔵の差し出した手を力なく握りしめると、遠のく意識を何とか繋ぎとめる。玉蔵も繰り返し地面を転がったのか、汚れて擦り切れた上着には血が滲んでいた。
……なんだ、お前も、もうボロボロじゃねぇか。
「そんなの駄目だ! 俺を一人にしねぇでくれ! 修さん、しっかりしっせぇ!(してください)」
涙声で必死に叫ぶ声が寒空に響いていく。
『坂井修一、明治の旭川に散る』
そんなテロップが脳裏をよぎった時、薄く氷の張った桶の水が俺たちにぶちまけられた。
「ぷあっ!」
「俺も?! なんで!?」
かけられた水よりも冷たい目でこちらを見下ろしているのは割烹着を着た凜だった。
流石に、いつも軍服を着ているわけではないらしい。
「茶番は良いので、早く起きてくださいまし。それとも、お代わりをご所望ですか?」
「感じ悪っ! このままじゃ風邪ひくって! ちょっと凜さん、聞いてます?!」
──旭川の遠藤邸に戻って俺を待って居たのは怒涛のお仕事タイムだった。
遠藤さんが金集めのために事業を一気に立ち上げまくった。
そこまでは良かったのだが、俺が案を出した事業には勝手に発起人か指導者という形で名前を使われた挙句、文字通り目途がつくまでアドバイスや実演をする羽目になった。
週に数回行う、衛戍地のいかれた技術士官達との勉強会でも、出自をごまかしたお雇い外国人枠となって指導と実験を繰り返す日々。ちなみに俺の出身地はイスパニアーンらしい。どこだよ、イスパニアーン、明治政府ザルすぎるだろ。
なんにしても技術士官の奴らは熱意がすごすぎる、講義で秋本と長瀬が最前列を陣取っているのは見慣れたが、ずっと質問されるもんだから喋りっぱなしで喉が痛いし、家に帰った後も質問があると夜中でも構わず大勢で押し掛けてきたこともあった。凜に叩きだされて、流石に夜中の訪問は止まったが。
実際にコンデンサを使って簡易ラジオ局と携帯ラジオを作った時なんて、騒ぎ過ぎて憲兵が駆け付けたぐらいだ。
そして、家に帰ってくれば休憩する暇もなく、凜さんや部下との実践的な組手をする。
……もうね、いくつ体があっても足りない。
いっちょやってみっか。とは言ったけどさ、いい年なんだから少しは手加減してくれよ。
何故か一緒に訓練している玉蔵は兵士とは言え、若い女性に投げ飛ばされたり関節を決められて喜んでいる。
良かったなぁ、女の子と触れ合えて。
でも、痛いはずなのにキモい顔してるから、女の子からは凄い気持ち悪がられてるぞ、あえて教えないけど。
「よそ見しない! 次はその啞鈴を持って私の動きを真似てください。いち、に!」
この時代からダンベルはアレイ呼びなのか、どこの言葉なんだか。
どうでもいいことを考えている間にも凜が木のダンベルを両手に持ち、太極拳にも見えなくはない、がに股歩きで足を交差させるような体操をしている。
明治では最先端の体操なんだろうけど、なんだか凄く動きが酷く滑稽に見える。
「う、うぷぷ」
あ、馬鹿、笑うな玉蔵。
額に汗をかいている凜が動きを止め、玉蔵に近づいた。
「余裕そうですね、玉蔵さん。この最新の啞鈴体操がお気に召さないご様子ですから、基礎的なところから復習していただきましょうか。まずは腕立て千回から、どうぞ」
笑顔で放たれた死刑宣告にも似た言葉に、疲れ果てて青白くなった顔がさらに青くなっている。
言わんこっちゃない、そんな顔で見られてもアレを笑ったお前が悪いよ。
俺も危なかったけど。
「坂井様、何をされているんですか。連帯責任ですよ?」
「お、俺も!? おい、玉蔵! 足にまとわりつくな、うっとうしい!」
「修さん、一緒にやっせぇ(やりましょう)」
「……ただいま戻りました。今日も頑張ってらっしゃいますね」
声の方を振り向けば、源さんが開けた門から遠藤さんが入ってくるところだった。
山高帽を被りマフラーを巻いた彼の手には、湯気とカレーの匂いを漂わせた大きい饅頭が乗っている。
「買い食いなど、みっともないですわよ。お兄様」
そう言いつつも手にしている饅頭から目を離す様子はない。
遠藤はこちらを見て笑うと付き従ってる源から木の皮で作られた箱を受け取り、凜の目の前に出して見せた。
「少し休憩したらどうかな、蒸し饅頭の試作品がいっぱいあってね、一人では食べきれないんだ」
◇
「まずは温かいうちに食べてみてください」
皆で火鉢テーブルを囲み、遠藤が持って帰ってきた遠藤楼と書かれた経木折の箱から饅頭を一つずつ皿の上に出す。
饅頭には焼き印がつけられ、何が入っているか一目で分かるようになっている。
「肉まん、あんまん、カレーまん、いいね。定番どころなんじゃないかな、それにしても大量だな」
全部で二十個くらいはあるんじゃないだろうか、一つがこぶし大ほどの大きさだから並べると壮観だ。肉の焼き印がされた饅頭を半分に割ってみると湯気が立ち昇り、しょうゆの匂いが部屋に充満する。
口に入れてみれば皮の部分は柔らかく、餡もちゃんと肉が感じられる。タケノコが細かく切られて入っているのか、サクサクとした歯ごたえが楽しい。
「うん、いい出来なんじゃない? これからの時期、最高だと思うよ」
出来立てということもあるけど、令和の肉まんとなんの遜色ない出来だ。
「では、次にこれを」
恭しく差し出された皿にはクチナシで黄色に染められた見るからにカレーです、と主張している饅頭が載せられていた。ご丁寧に漢字で『咖喱』とまで焼き印が入っている。
「なんかえらく気合の入った饅頭だな、じゃあいただきます。熱っ!」
饅頭を割ると湯気と共に部屋の中が一瞬にしてカレーの匂いに包まれ、手には閉じ込められていた肉汁が次々に零れ落ちてきた。具は肉や野菜がぎっしりと詰まっておりテラテラとした脂が光を反射させている。
「えぇ……」
明らかに、肉まんやあんまんとは気合の入り方が違うカレーまんに、遠藤の顔を見ると早く食べろと目で催促されたような気がした。
口に入れた途端、香辛料の香りと具材が見事に絡み合った芳醇な香りが鼻を抜け、噛み締めれば噛み締めるだけ肉汁と野菜の甘み、程よい辛さが次から次へと押し寄せてくる。火鉢だけで寒い室内だというのに、じんわりと額に汗まで浮かんでくる。
手に持った饅頭を夢中になって食べ、おしぼりで口と手を拭くと周りの皆も同じくカレーまんに夢中になっていた。
凜さんも両手に四つ持ってご満悦だ、かっー! 卑しか女ばい。
「遠藤さん、カレーまん美味すぎじゃない? これ蒸し饅頭だけだともったいなくない?」
「坂井さんにそう言って貰えるなら安心しました、私も食べてみてビックリしましてね。作った奴にはカレーを食わせる店を持たせた方がいいんじゃないかと思って相談したかったんですよ」
けらけらと笑う遠藤さんには悪いけど、釘を刺しておかなきゃな。
「美味いけどさ、かなり高くつくんじゃない? これ作るの」
「……原価だけで十銭かかっていると言ってましたね。店で飯と一緒に出すなら価格は十五銭から二十銭だと」
高っ! 普通のカレーライスでも高いのにその三倍は高いんじゃないか?
「一応計算をしてみましたが、カレー以外の飯も出せば元は十分に取れますよ」
「そうか、遠藤さんがそう言うなら大丈夫か。それで、料理人は知ってる人?」
飲食店がコケたとしても他でリカバリーできる人は強いよなぁ。
ヤクザより商売人の方が似合ってるんじゃないかな。
「知ってるも何も、麻生ですよ。坂井さんと衛戍地でひと悶着あった男です」
「アイツ、ヤクザ辞めて料理人になる気かよ」
「ええ。ですが、ただ店を出させるわけではありません。麻生は衛戍地にいる兄の伝手があります。店を高級軍人や御用商人たちの溜まり場にし……我々の『耳と目』にしようかと」
遠藤はカレーまんを齧りながら、細い目をさらに細めた。商人の顔をしていたはずなのに、いつの間にか底知れぬ野心家の顔になっていた。
「坂井さんが探している石碑の手掛かりも、ロシアの不穏な動向も、少なくとも情報が一度はその店を通るようにしてみせます。坂井さんが未来へ帰るための情報拠点になるでしょう」
どう考えても俺の為だけじゃねーだろ。
前言撤回、やっぱりヤクザが天職かもな。遠藤さん。




