58話 交渉とお賃金
「かっは!」
秋本の連れてきた兵士が倒れた俺の背中に膝を当てて押し込む。肺の中の空気を無理やり吐き出され、咳と共に目が覚めた。
むせ返りながら、近くに集まっていた凜の部隊を見れば寒風に負けないくらいには冷たく、汚物を見るような目で睨まれた。なんでや。
「……坂井君、まぁなんだ。君に殴られたのは以前の貢献に免じて痛み分けと言うことにしようじゃないか。だが、この車の供出は承知してくれたまえ」
秋本は俺の目の前でしゃがみ、あくまで許しを請うような声を出した。
部下の前で無位無官の輩に殴られても、あくまで態度を崩さないのか。
面子の為に俺を殴り返してもいいところだが、逆に部下へ器のデカさを見せつけたいのかね。
……いや、そんなことをすれば部下に舐められるだけか、この人は実利主義だから単純に俺を寛容に許すことの利が勝っただけかな。
「供出ね。そこは譲らないのか、でも車を持って行ってどうする。秋本さんほど技術に造詣が深いなら、この車のことはある意味で理解できたんじゃないか?」
全然分からないってことがな、言葉に出しては言わないけどさ。
明治の人にしてみれば至る所に使われているプラスチックもゴムタイヤも最新技術だろうし、透き通ったガラスやさっき色々試してたドアの挟み込み防止センサーなんて秋本さんにはこの車が宇宙船にでも見えてるんじゃないだろうか。
この車は空を飛びます、とか言えば信じてしまうだろう。
「君が意識を取り戻すまで隅々まで見てみたのだがね、悔しいが君の言う通り未知の材料が使われ過ぎていて理解するまでに時間がかかりそうだ。説明してくれる人がいてくれると非常に助かるのだがね」
秋本は俺の言葉に鷹揚に頷き、仲間になって欲しそうにチラチラとこっちを見ている。髭のおっさんに上目遣いで見られてもなぁ。
「俺にメリット……役得はあるんですか? ああ、勲章とかそういうのではなくて金とか権威という意味で」
兵士たちはざわついていたが、秋本だけが物知り顔でうんうんと頷いていた。
「随分とあけすけに言うのだな、君は即物的なものが好みのようだ。俗物とは言うまいよ、何が望みかね」
「話が早くて助かるよ。まず、金。軍がお抱え外国人の先生方に出すくらいは欲しいね。あと人だな、何も私兵にしようってんじゃない、北海道各地に行って調べ物をお願いしたいんだ」
そう伝えると熟考するように腕を組み、目を瞑った。
「その条件を飲んだとして我々が受け取る対価は何かね。外国から派遣されてきたお歴々は最新の法律に始まり測量、鉄道、戦術と八面六臂の活躍をされておるぞ。その方々に匹敵できる自信があるというかね、月千円という予算を上申するのにも相応の理由が必要なのだよ」
「しぇ、しぇんえん!?」
月千円という破格の給料を聞いて玉蔵がひっくり返りそうな声を出した。
この当時のお抱え外国人は高給取りって聞いてたから適当に言ってみたけど、思った以上にいい給料貰ってたんだな。
ん-、でも八面六臂ねぇ。
今の時代で必要なもので、このおっさんが飛びつくような技術か。
うーん、車に積んでる修理用部品を使えばアレを作れるかな。
「秋本さん、無線で電話みたいにやり取り出来たらいいと思わない?」
「まさか……そんなことが可能なのかね! 戦争の形が変わるではないか!」
「まぁ揃えられる数は限られるけどね。双方向じゃなくても司令部が発信した内容を兵士が瞬時に受け取れるようにするならそんなに時間が掛からず出来るかな、それに規格化された回路の書き方と測定器の作り方も教えるよ」
車には機械修理に使うトランジスタを始めとした電子部品が簿外も含めてモリモリ積んであるし、足りなきゃ機械の基板から部品を外せばある程度手に入りそうだな。
メーカーから貸し出されてる部品を勝手に使うな? この時代にはそんなメーカー存在しないからOK! 文句があるなら明治に来て言え。
原始的なトランシーバーなら電子工作レベルだし、電波法なんてないこの時代なら好き勝手に周波数を使えるし、テスターだって基準となる現代のものがあれば、あんな箪笥みたいなデカさの曖昧な測定器から弁当箱サイズにまで小さく出来るだろう。
テスターの校正? どこに出せっていうんだ。耐圧にマージンを取ってヒューズ付けるのはマストだな……
回路図は皆に書き方を教えて早く俺の手から離しちまおう。
この前、衛戍地の黒板に書かれた回路の絵を見て愕然としたよ。
部品が全部そのままの絵だったもんだから絵が下手な奴が描くと何が繋がってるのかすら分からなかったからな。
「なんと素晴らしい! それが本当ならば車なんかより君に価値があるじゃないか。今すぐ戻ろう! すぐ作ろう! 君専用の部屋もすぐに用意させる!」
馬に飛び乗りもはや戻ろうとしている秋本に部下たちが驚いている。
「いや、すまないんだが俺もやることが山積みでね。極力時間を作るからそれまでにこんなものがあったらいいなってものを書き出しといてくれないか。可能かどうかは見てからだ。ああ、あと契約書ね」
「ふふふ、いいだろう。そうとなれば時間が惜しい、吾輩は先に戻って準備をさせて貰おう。ああそうだ、連れてきた小隊は好きに使い給え。指揮権はそこにいる長瀬君に委譲しよう。ああ、なんと素晴らしき日だ! やはり吾輩は天に愛されておる」
馬の手綱を手に流れるような前傾姿勢を取り一目散に駆け出していくと瞬く間に姿が米粒のようになった。その姿をポカーンとした顔で見送る兵士たちが少し哀れに感じる。
秋本が去った後に残された兵士の中から、見覚えのある顔が進み出た。
「……あんた、確か」
「長瀬であります。以前、電柱の下でご一緒させていただいた者です」
あの立ち小便の戦友かよ。




