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51話 尿意と覚悟

 辺りの闇も一層深くなったが、あれから馬車は止まったままだ。道の隅にいる凜を見れば膝を抱えて座り込み、ぽつりぽつりと何かに縋るような声を出していた。


「ああ……どうすれば、どうすればよいのですか」


 馬車の車輪の隙間から見える凜の姿は明らかに憔悴したものだった。


 ……どうするもこうするも俺の縄をほどけよ、としか。

 勝手に思い悩んで俺たちを放置しないでほしいのよ、寒くて催してきたし。


「なぁ姉さん、用を足したいんだけど。縄を全部ほどけとは言わないからさ」


 凜の近くで立ち尽くしていた、仁村と呼ばれていた女兵士に顔を上げて声をかけた。


「それは……」


 言いよどみ、座り込んでいる凜と俺にキョロキョロと何度も視線を送る。


「漏らしてゴネて動かないおっさんを荷台に載せるのはあんただぜ。嫌だろ、そんなの」


 こんな理不尽な状態で万が一漏らしでもしたら、もう梃子でも動かんぞ俺は。


「うっ、わ、わかりました、腰縄をつけますのでさっさと済ませてください。逃げたりしたら、他の仲間を撃ちますからね」


 漏らした上、自分で動かないおっさんを馬車に乗せる想像をしてしまったのか、彼女は顔を歪ませた。


「逃げないよ、凜さんもあんな感じでちょっと心配だし。俺のが終わったらかわりばんこで、こいつらも用を足させてやってくれ」


 同じように転がっている玉蔵と遠藤さんを横目で見ると遠藤さんは妹と同じくブツブツと呟き自分の世界に没頭しているし、玉蔵に至ってはいびきをかいて寝ていた。


 大物すぎるなこいつ。


 俺に腰縄をつけて、一緒に凜さんが座り込んでいる反対側の道までやってくると縄を掴んでいる彼女がさっさと済ませろとばかりに顎をしゃくる。


 いや、後ろ手を縛られた状態でどうしろと?


「手の縄をほどいてくれないとできないんですけど?」


「それはできません、ご自分で何とかしてください」


 はぁ!? このアマふざけやがって!

 もう、かなり膀胱の限界が近い。


 ええい、ままよ!


「じゃあ、ズボンと下着を下げてくれ」


「えっ?」


「俺のズボンとパンツを下げろと言った!」


 内股でジリジリと女兵士との距離を詰める。

 近付く度に怯えたように彼女は後ずさりしていったが、とうとう大木に逃げ道を塞がれた。


 おまえ、人の尊厳を踏みにじるのなら覚悟ができているんだろう。なぁ、そうだろう?

 コンプラ? セクハラ? 知ったことかっ!


「……どうあっても解いてくれないというなら一人では死なん。あんたも道連れだ、それが嫌なら早くしろ! 間に合わなくなってもしらんぞ!!」


「ひぃ! 」


 全ての限界を超え、彼女に飛びかかろうとした瞬間。


 シャッ!


 風を切り裂くような音が聞こえ、俺の手を縛る縄がパサリと地面に落ちた。


「うおお!」


 勢いもそのままに茂みへ飛び込み、自由になった手でズボンとパンツを一緒に下ろすと同時に俺のレーザービームが迸る。


「あああーー」


 間に合って良かった、この歳でお漏らしは悲しすぎる。

 どうやったのかはわからないが、咄嗟に俺の縄を斬った彼女にはお礼を言わなきゃな。


「ふぅ、姉さん、ありが」


 とう、というお礼の言葉は続けられなかった、振り向いた俺の胸には鋭い切っ先が突きつけられていたからだ。


「坂井様、私の部下に何をさせようとしているんですか」


「遠藤副隊長殿!」


 大木の根元にへたり込んでいた女兵士は心底助かったといった様子で彼女の名前を呼んだ。


 ……あ、正気に戻ったのね。

 縄斬ってくれてありがとう。


 ◇


「あれから良く考えました、あなたを中央に送るのは止めます。良き協力者として私たちの部隊にお招きしたい」


 真っ直ぐにこちらを見る目には嘘がなさそうだが、散々な目に遭わせて周りの人まで巻き込んで、今更良き協力者というところが気に入らないし、意味もわからん。

 それほど自分が見た未来がショックだったのかね。


「はぁ、一応聞きますがね。そりゃどんな心境の変化があったんで? 凜さん達の世代や軍人が先導した戦争のせいで、その子供たちが大勢死んで生き残りが尻を拭いて回ることの罪悪感ですか?」


 苛立って、思わず子供のように棘のある言葉を吐いてしまった。


 あの戦争は凜さん達のような軍人が主導したとはいえ、時代背景も世論もメディアもそっち側を向いていたからこそ始まったと思ってる。誰かのせいだ、と決めつけるには乱暴過ぎる。そもそもまだ四十年は先の話だ。


「……耳が痛いですね、痛すぎます。でも、あの光景を、母親のことを叫びながら敵戦艦へ火に包まれながら突っ込んでいく青年たち、外人から菓子を投げ渡され猿の如く喜んでいる子供たちなんて、私はこの目で二度と見たくはないのです」


「それが俺を中央に送らない理由になるのか。何を考えているんだ、凜さん」


 目深に被っていた軍帽を外すと静かに口を開いた。


「国を。この北海道に私達の国を作ります」

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