36話 英雄とおっさん
──早朝、旭川衛戍地
朝もやが立ち込める中、司令部前に到着した馬車から壮年の男が降り立った。
立ち並んだ袖章煌めく軍人たちが一斉に敬礼を行う。
「おはようございます! お待ちしておりました杉村様、いえ永倉新八様」
永倉と呼ばれた男はわずかに顔を顰め、被った帽子を脱ぎ、口を開いた。
「……その名前で呼ぶのは止めてくれ、今はしがない撃剣師範だ。さて、わざわざ樺戸から足を延ばして旭川まで来たのだ、噂に聞く第七師団の猛者の力量を早速見せてもらおうか」
「はい、こちらです。今日はよろしくお願いいたします」
修練場へと彼らの姿が消えた後、衛兵所に息を切らした一人の男が辿り着いた。
ずっと全力で走っていたのか身体からは湯気が上がっている。
「はぁー、はぁー、こ、ここに麻生って小僧は来てないか!? 第二十七連隊の麻生の兄貴を呼び出してくれ、し、至急なんだ」
◇
「ふむ、聞いてはいたが薩長出身者が多いのだな、ここは」
京都では毎日のように剣を交えた者たちの子らに剣を教えることになるとは、全くもって人生とは不思議なものだ。
剣を交えたと言っても猿の様に吠え、襲い掛かってくる奴らの剣を受けたが最後、受けた剣ごと頭蓋を割られるから正面からは立ち会わず、専ら騙し討ちや不意打ちで斃していたが。
無様と言われようが必死に生き残り、この外国列強と事を構える時代になっても剣を離せないこの身を毎日恥じてはいるが、我らが生きた証を残すまではなんとしても生きねばならぬのだ。
掛かり稽古で竹刀の音と兵士の声が響く修練場を見つめる中、隣に立っていた古谷といった男が口を開いた。
「師範、いかがでしょう。我らが精鋭の技量は」
「ふむ、気迫があって中々よろしい。だが、君。銃や大砲がモノをいう時代において剣は心身の修練になっても真に生き延びるための術になると思うかね」
「うっ……」
古谷は言葉に詰まって即座には返せなかった。
剣と言っても銃剣術の突撃よりも一発の銃弾の方が確実に敵を倒せると身をもって知っていたからだ。
「すまないね、撃剣師範として失言だった。今の言葉は君の胸に仕舞っておいてもらえるだろうか」
「は、はい。承知致しました。ですが、私は剣が時代遅れだとは思っておりません。最後に兵士の心を奮い立たせるものは今まで積み重ねてきた修練で身に着けた己への自信に他なりません。なればこそ、この北の地を守り抜けると信じておりますれば」
この男も戦場で戦ってきた男だ、目を見ればわかる。
そんな男が大和魂だの根性だのと上辺の言葉を口に出さなかっただけ信に足りると感じた。
さて、一つ儂も指南するとするか。と腕まくりをした時に修練場の扉が開き、冷えた空気と共に一人の男が現れた。
息も髪も乱れ、身なりは書生のような恰好だが、なんだ、この息が詰まる気迫は。
離れていてもここにいる精鋭と呼ばれた兵たちから感じる気迫なぞ生ぬるく感じるほどだ、だがこれは覚えがある。
……そうだ、死兵だ。あの京都で己の命など顧みず首元を噛み千切ろうとする修羅だ。
隣を見れば殺気に中てられたのか古谷もサーベルに手をかけている。
「……麻生を出せ」
万力で押しつぶされたような石のごとき耳障りな音とも声ともつかない言葉が発せられた。
「貴様っ! ここをどこだと思っている! ぐはっ!」
入り口の横で警備していた兵士が男の胸倉を掴むと次の瞬間には吸い込まれるように宙を舞い、肩から床に叩きつけられた。
その大きな音に稽古をしていた全員が動きを止め、入り口を振り返った。
「君、何者だね。今時分、道場破りでもあるまい、疾く答えよ」
男は麻生を出せと言ったが、しかし、その目は誰か一人を探す者の目ではない。
……儂か。
なるほど過去の因縁は消えず、追い続けるというのだな。
こやつが先ほど兵士を投げ飛ばした術理、相当な修練を積まねば咄嗟には出ぬ。
それこそ自身より重たいものの重心を感じ取り、軽々と扱える者でなくては。
どこぞの剣術家か、柔術家か、それにしては気配が死に近すぎる。
「あぞうはどごだ」
男の発する声はもはや声になっておらず、目も怒りに塗れている。
憎悪に取りつかれた、化生か、いかれか。
「ここは儂が応対しよう」
既にサーベルを抜き放ち刀を担ぎ、闖入者に切りかかろうとしていた古谷を手で制す。
「しかし!」
「なに、どうやら儂に因縁深いものらしい。この地を守る君たちに無駄な傷を負わせるわけにもいかんしな」
手に持っていた木剣を構え、男に向き合う。
古谷を止めたのはそれだけの理由ではない、本音を言えば久々の命のやり取りに血潮が滾って仕方ないからだ。
「我が名は杉村義衛、いや、お前には永倉新八なのだろう。新選組に恨みがあるなら儂が相手になろう!」




