31話 技術屋の矜持
「あと三十分で原因特定なんて無理だって!」
強く掴まれていた腕を振り払い、秋本と呼ばれていた男と距離を取る。
完成図書も工具もツールもない状況で、目的すらわからない何の何を直せって言うんだよ。本当に余計なこと言わなきゃよかった。
「そう言わずに協力してくれ! 君は熟練の技術者だろう、あの修理への導き方に秘訣を見たんだ! 今回の試験は半年前から申請してようやく通ったものなんだ。失敗すれば、次回は申請をしても即却下されてしまう! そうなれば我々の努力が水の泡になるどころか、日の目を見られなくなる!」
早口で捲し立て、オーバーリアクション気味に手を広げながらジリジリと俺との距離を詰める。その変な動きで近づいてくるな、気持ち悪い。
それにしても、申請してから半年かかるとかどれだけお役所仕事なんだよ。
……いや、ここお役所のご先祖様だったわ。
「そもそも、なんの試験なんだよ。それがわからんと何もできんよ。有線のモールス信号なんてもう枯れた技術って聞いたぜ」
昔、明治後半では無線はともかくモールス信号自体はもう当たり前に使われてたって教科書で見たことがあるぞ。
「……教えたら、力を貸してくれるかね?」
鼻の上に乗ったメガネを中指でくいっと押し上げると、入り込んだ陽の光がレンズに反射して、その表情を隠した。
「いやだ、聞かない。帰る」
「いーや、是が非でも聞いてもらう。モールスを自動で文字や絵に変換して送れるようにする試験だ! 旭川から東京という超長距離で成功すれば勉強を重ねた通信士などいなくとも簡便にやり取りができるし、暗号の幅が無限大に広がる!」
「おま、聞かないって言ったじゃん! なんなんだよ! モノホンの国家機密じゃねーか!」
明治にFAXとか、オーパーツ作ろうとしてんじゃねーよ。
「さぁ、機密を知ったからには一蓮托生だよ、君ぃ。後々は無線で文字から音声、音声から写真、無線に乗せれば一瞬で相手の元に届く未来への第一歩だよ!」
なんでこの時代の人たちは距離感がおかしい奴が多いんだ。お願いだから、瞳孔が開いたままこっち見つめるのは止めてくれ。
◇
案内された部屋に入ると、床の上には数式が書かれたわら半紙が散らばり、数人の職員が機械の確認や黒板の回路っぽい図を書き殴ったりしている。
そのうちの一人がこちらを振り向き叫ぶ。
「秋本隊長! 未だ、雑音収まりません!」
何日も寝ていないのか、髭は伸び放題、目の下のクマが野球選手のアイブラックのように濃く、シャツの襟も黄ばみを越えて黒ずんでいる、周りの奴らも似たり寄ったりだ。
……ああ、見覚えあるなぁ。こんな現場。
あれだ、若いころにやったデスマーチだ、無茶な納期に疲弊して床に段ボールを敷いて寝て、工数表の悪夢をみて飛び起き、毎日仕様の変更が入るルータやサーバの設定を打ち込み、現地に設置する日々だった。
結局、営業がやらかしていた不正入札が週刊誌にすっぱ抜かれた挙げ句、プロジェクト自体なくなって膝から崩れ落ちたが。
状況も時代も異なる軍人のこいつらとは違うかもしれないが、あの頃の報われない日々を思い出してしまった。
だからか人が報われない瞬間はあまり見たくない、ただ俺が見たくないだけだ。
一生懸命頑張ってたのがわかるなら、なおさらだ。
くそっ、三十分だ、三十分だけ手伝ってみよう。
「秋本さん、もし俺が解決の力になれたなら部下たちをちゃんと休ませるって約束してくれるかい、それなら手伝うよ」
「いいだろう、解決の糸口でも見つけてくれれば、なんでも聞いてあげよう。男に二言はないよ」
言質は取った、証人はこの部屋にいる奴全員だ。
正直、解決できるかなんてわからないが、できる限りやってみよう。
どうせ、泣いても笑ってもあと三十分だ。
今まで技術、修理屋として培ったノウハウを引っ張り出し、ロジックに沿って機器の全体像や短距離でのテスト結果、電源状況、これまで試した作業を口頭で端的に聞き出し、現象確認と何をしたら変化、改善したかも集中して聞き取る。
さっき聞いた丑三つ時だけではなく、小雨が降った日も少し通信状況が改善していたらしい。
外的要因についても、衛戍地の周囲に大きな電気設備があるわけでもないから、ひとまず影響が少ないと考えて後回しにしよう。
通信線にモールスの電鍵を繋げて耳を近づけると、すでに「ジジジ……」という電気的なノイズが聞こえ、実際につまみを押し込んでみれば受話器からは「サー」という雑音が流れた。
無駄に繋がっていた構内の別回線を端子板からすべて切り離しても現象は変わらなかった。
そうなると、やはり鍵は夜中の正常になるタイミングか。
秋本は「時間になったら予定通り試験を行う」と言い残し、隊長格が集まる試験部屋へ向かった。開始までに原因を改善できなければ試験失敗で、この計画もめでたく凍結だ。
「電源側じゃない、構内の余計な回線でもない。それで雨が降ると改善するなら、残るのは地面との接地くらいだ、アースを打ち込んでいるところに案内してくれないか」
「アース? earth? ああ、地線のことですか、私も何度も確認しましたし、杭を三尺は打ち込んであるので問題ないと思いますが、ここから見えるあの外の電柱です。ですがあと五分しかない、やはり間に合わないのでは」
「大分絞れたんだ、これで駄目なら諦めもつくさ」
ん、ちょっと待て、あの電柱は塀の影にはなっているが今日立ち寄った衛兵所と目と鼻の先だ……なにかが頭の片隅に引っかかった。
電柱に向かって走りながら目のクマが酷い彼に尋ねる。
「雨の日も少し通信が良くなったって言ってたな」
「ええ、何が影響しているのかはわからないままですが」
……雨で地面が濡れる以外に、夜中だけ地面の状態を変えるものって何だ?
「そういや雨の日でも雪の日でも、門の衛兵って寝ずの番をするのか? 一日中?」
「はぁはぁ、そうですよ。あたりまえじゃないですか。でも数人で交代しながらって聞いたことがありますよ」
寒い旭川で真夜中の衛兵業務、ある考えが頭をよぎった。
「衛兵は便所どうすんだ? あの衛兵所にはないだろ」
「ここの衛兵所は他の門より少し離れてますね、愚痴を聞いたことがありますよ。便所が遠いし、いちいち交代呼ばないといけないって」
なるほどね、夜中だけ改善する理由がわかったかもしれん。




