26話 平家の謎と真夜中の電話
「平家の揚羽蝶?」
俺の言葉に、凜さんが「少々お待ちください」と静かに席を立ち、奥の部屋から一冊の古びた和本を手に戻ってきた。
「こちらですわ。平家物語の図版に描かれております『丸に揚羽蝶』の家紋、この絵に似ているとは思いませんこと?」
「そうそう、これよ! このマーク! この虫みたいなのが石に彫ってあったわ!」
興奮した様子でジェーンが、開かれた本のページを指差した。
ジェーンが描いた落書きのような絵と並べて見比べてみれば……なるほど、羽を大きく広げた蝶のシルエットだ。意外と特徴は掴んでいたらしい、下手くそって言ってごめん。
「平家って、源義経に滅ぼされた一族だろ。その家紋が彫られた石がなんでアメリカにあるんだろう。ジェーン、こっちで目が覚めた時に周りに何かなかったか、同じような家紋が入った石とか」
「そんなのなかったわ。気が付いたら森の中で、あんたたちの声が聞こえなかったら道すら分からなかったんだから」
古代の転送装置とか、SF映画に出てくるようなワープゲートみたいなものを一瞬考えてしまった。
だがまあ、そんな便利な装置があれば距離も時間も移動し放題で平家だって滅んでいないはずだ。
「平家、平家ねぇ。源義経伝説なら北海道のあちこちにあるんだがな」
平家を滅ぼした義経も結局追われて、チンギスハーンになっただの、北海道に渡ってアイヌの神になっただのはよく聞く話だし、北海道を回っていれば嘘か本当かわからない史跡がそこかしこにあったりする。
そもそも平家が壇ノ浦で敗れて落ち延びたにしてもアメリカにどうやって行くんだ、無理すぎるだろ。
俺の時は車で峠から落ちて気絶しただけだから何にもわからんし、どうしたもんか。
「あのー、坂井さん。急に画面が真っ暗になったのですが、これ壊れちゃいました?」
自分の思考が迷走しかけていた時、ずっと画面を見つめていた遠藤さんが壊れ物を扱うようにスマホを持って、申し訳なさそうに声をかけてきた。
「いえ、たぶんバッテリー、電池が切れただけですよ。今、俺が持ってるソーラー充電器は太陽が出ている昼しか使えないので今日はもう見れないですね」
「そんなぁ、何とかなりませんか」
情けない声を出して、がっくりと肩を落とし落ち込んでいる。
この人が旭川の一部を仕切るヤクザの親分には、どうやっても見えないんだよなぁ。
それにしても充電か、俺の車があればいつでも充電し放題なんだが……そうだ。
「遠藤さん、早速協力してもらいたいことができましたよ。うまくいけばそのスマホ使い放題です」
「本当ですか! 何をすればいいんですか」
俺がこの時代に来る直前、北見峠から車で落ちたこと。その車は壊れてしまったがエンジンはまだ動くこと、山から引き上げることができれば充電もできるし、積んでいる修理部品でこの家にコンセントをつければ簡単に充電も電化製品も使えると説明した。できれば車を雪が降って埋もれてしまう前に引っ張り出したかったから、渡りに船だ。
「重さ八百貫の鉄の塊を坂の下から引き上げる、ですか。それは念入りな準備が要りますね。早速、付き合いのある大工の棟梁に相談してきます」
遠藤さんは夜も更けてきたというのに手下を連れて飛び出していった。
難しいともやれないとも言わず、早速行動に移す彼は見ていて心強かった。
◇
夜中、猛烈な尿意を催して目を覚ました。
布団から出れば、肌を刺すような強烈な冷気が押し寄せてくる。
明治の秋の夜は、現代よりも冷え込みが厳しい気がする、身体が完全に冷え切ってしまう前に早く用を足して温かい布団へ戻ろう。
そろそろと、月明かりだけが頼りの暗い廊下を歩き、便所で用を足す。
帰り道、宛がわれた寝室まであと少しという廊下の曲がり角で、ふと人の話し声が聞こえてきた。
気になって、声のする方になんとなく忍び足で向かうと部屋の障子が少し開いており、隙間から覗き込んでみればランプの灯りの中で木製の送受話器を耳に当てている凜さんがいた。
この家には電話があるんだな、知らなかった。
でも電話があっても現代のどこにも繋がらないんだよなあ、がっかり。
「……ですから、兄の……、ええ……少なくとも」
それにしても、彼女は夜中にこそこそ誰と電話しているんだ。
押し殺した声、心なしか緊張しているような姿。
ははーん、さては。
彼氏か!
携帯電話がでる前は、彼女の家に電話をかけるとその子の親父が出たりして大変だった時代があったからな。
遠藤さんは、妹さんの行き遅れを心配してたけど、ほら、妹さんもやることやってんだって。
命短し恋せよ乙女ってか、確か大正時代の歌だったような気がするが。
なんにせよ、おっさんが夜中に電話してる女性を覗いている姿は完全に変質者だ。電話に集中しているみたいだし、退散しよう。
足音を立てないよう静かに廊下を戻り、温かい布団の中へと潜り込んだ。




