19話 身の上話と銭湯と
「うちの愚かな兄が大変申し訳ございませんでした」
倒れ伏した遠藤さんの横で、妹が深々と頭を下げ謝罪の言葉を述べた。
お兄さん大丈夫か? ピクリとも動かないんだが。
「い、いやぁ、気にしないでください。こちらもお兄さんにはお世話になっている身でして」
「いい音したわね、流石に目が覚めたわ」
火鉢を足で挟んだままジェーンも起き上がった。
「でも、こんな熱心な兄を見るのは久しぶりです。東京からこちらへ来てからというもの、毎日抜け殻のようで心配しておりましたの」
頬に手を当てて動かない兄を見ているが、その兄と同じ細い眼はどうやっても心配しているようには見えなかった。
言葉と所作がちぐはぐで、なんか怖いぞ、この人。
「お二人は東京から旭川に?」
「ええ、今年の春にこちらへ。御覧の通り、兄は生きるのが不器用でして私も一緒について参りました」
御覧の通り、か。
今日だけでも庭に隠れてる不審者を勝手に家に上げたり、時計の代金の代わりにされたりと、妹さんはいつも苦労しているんだな。
「ちなみにお兄さんは何をされている方なんですか、随分と機械にお詳しいようですが」
「それは……本人から聞いていただいた方がよろしいかと、少々失礼します」
そういうと倒れている兄の脇腹をつねりだした。
「死んだふりは通りませんのよ?」
「いたたた! 起きるから止めなさい! ねぇ、お願い!」
遠藤さんはゴロゴロと畳の上を転がり乱れた着物もそのままに妹から距離を取り、すくっと立ち上がるとさっきの話を続けた。
あんた色々、タフ過ぎんか。
「で、考えてくれましたか。その時計の件」
「遠藤さん、匿っていただいたのはありがたいですが、時計の件はもう少し考えさせてください。質に入れようとしていたものは時計以外のモノもありますので」
「では、私の早合点でしたか。いや失礼しました、てっきり時計を質に入れるものかと」
早合点で妹をセットで売ろうとするな。
「でも、他に質に入れるものがあるのですね、是非、そちらも拝見したいのですが」
眼を見開き、手をワキワキさせてにじり寄る遠藤さんと俺の間に鋭い音を立てて畳にお盆が突き刺さった。
ジェーンがまだ衝撃で左右に震えているお盆を恐る恐る指でつついていた。
「そのお話は後にして、まず皆さんで銭湯にでも行ってらしたら?」
突き刺さったお盆と朗らかにほほ笑む凜さんを見て、俺たちは何度も頷いた。
◇
「やっぱりこの服動きにくいんだけど、ナイフも隠せないし」
「風呂にナイフは持ってくな。お願いだから」
俺とジェーンは遠藤兄妹から着物を借り、銭湯に向かい男女それぞれ分かれて暖簾をくぐった。
ジェーンは最後まで貸してもらった服が動きにくいと文句を言っていたが、あの浮きまくった格好で街を歩くわけにはいかない。
銭湯なんて入ったことがないだろうジェーンが心配だったが、あの妹さんがついて来てくれたので安心だ。
番台の婆さんに2銭を払い、中に入るとレトロな脱衣所が出迎えてくれた、今は明治だからレトロでも何もないんだけど。
木でできたロッカーはあるけど脱衣所と浴室の壁がないとは驚きだ、ここまでの道すがら聞いたが銭湯もピンキリらしく、湯を一週間も変えないところや禁止されている混浴銭湯もあるらしい。
混浴銭湯は今度一人で行ってみよう……あくまで興味本位だ。
持ってきていた出張セットから何気なくシャンプーとボディーソープを出したらえらいことになってしまった。
遠藤さんは言うに及ばず、銭湯中の客が欲しがって一回1銭と言っても買うやつが続出して洗い場は泡だらけになった。
こちらを睨んでいる婆さんには後で多めに迷惑料を包んでおこう。
時折、女湯の方からジェーンの叫び声が聞こえていたが、まぁ大丈夫だろう。
髭も剃り、ゆっくりと湯船に浸かり手拭いを頭に乗せる。
喧騒には包まれているが湯に包まれているとタイムスリップしたなんて、嘘みたいだ。
横を見れば、同じく湯船に入った遠藤さんが自分の髪を撫ぜている。
「スースーする薬液で頭を洗うなんて生まれて初めての経験でしたよ。なんとも気持ちの良いものですね」
「そうでしょう、俺も久しぶりにちゃんと洗えてすっきりしましたよ。道中ずっと濡らしたタオルで拭うだけでしたから」
この時代でも石鹸はあるようだが高級品らしい、そりゃ皆欲しがるわけだ。
液体の石鹸を作るだけならそんなに難しくはないか、これだけ需要があるなら今度作って売ってみるか。
でも、一気に川の水質汚染が進みそうだな、やっぱり保留しとこう。
「あの髭剃りも使いやすそうでしたね。3枚刃なんて初めて見ましたが、あの発想は素晴らしい」
「ようやく顔もすっきりしましたよ、あの剃刀は使い捨てなんですぐ駄目になるのが玉に瑕ですがね」
「あれが使い捨てですか。そういえば、坂井さんはどこから来られたんですか? 言葉の節々に英語が混じっているように聞こえますが、ジェーンさんと同じアメリカですか」
天井へと昇っていく湯気を眺めた。
「さて、どこから来たものなんでしょうかね。自分でも分からなくなってきました」
自然に口から零れ落ちた言葉は誰に言ったものなのか、自分でも分からなかった。
さりとて、未来の日本から来たなんて言ったら冗談と受け取られるか、それとも頭のおかしい奴と思われるかどちらかかな。
「私はね、坂井さん。あなたは未来から来たと思っているんですよ」
遠藤さんの確信に満ちた目は、熱めの湯で逆上せた俺の頭に冷や水を浴びせた。




