17話 怪しい男と腕時計
警戒しながらも、服に付いた泥や砂をできるだけ払い落として縁側から廊下に上がる。
一度は断ったもののジェーンが「いいじゃない、こっちは二人いるんだし」なんて言って、ずかずかと家に入ろうとした。
しかも、泥の付いた靴のまま畳に上がろうとした彼女を止め、ブーツを脱がせるだけでひと苦労だった。
『ブーツを履いたまま死ぬのがガンマンの美徳』とか何とか主張していたが、現代人の俺からすれば意味が分からない。そんな美徳を気にするくらいなら自分の足の臭いを気にしろ。追手が撒けたら、羽織る外套と一緒に靴も新調してやる必要がありそうだ。
案内されたのは、中央に火鉢がぽつんと置かれた小さな畳部屋だった。
男は使い込まれたちゃぶ台の上に、湯気の立つ湯呑をふたつ置いた。それから自分も手元の湯呑を傾け、ズズッと美味そうにお茶を啜る。
「どうして、あんな庭の隅にいらっしゃったんですか」
「まず、理由を話す前に自己紹介させてください。俺は坂井と申します、こいつはジェーン。自分で言うのも何ですが、こんな怪しい奴らを家に上げて大丈夫なんですか?」
「ああ、ご丁寧にありがとうございます、私は遠藤と申します。襲われそうなら、すぐサーベル持ちに連絡するかもしれませんよ」
遠藤と名乗った男が薄っすらと笑みを浮かべて放った言葉に、ジェーンがピクリと反応して立ち上がろうとした。俺が手で制して首を振ると、彼女は不満そうに鼻を鳴らし、渋々座り直した。
「まぁ、そのようなことを気にする方なら大丈夫でしょう。それで、何をされていたんですか」
目の前の男に促され、旭川に入ってからの詳しい話をした。
一応、玉蔵と一緒に炭を売りに来たことは伏せたが。
話し終えると男はうつむいたまま肩を震わせはじめ、しまいには涙を浮かべながら大笑いした。
「ひっー、ひっー、街の中で鹿を拳銃で撃ったところを警察に見られて朝から鬼ごっこしていたと! なんですかそれ! しかもお嬢さんの恰好はまさに写真で見たことのあるアメリカの牛追いだ」
畳をバンバンと手で叩きながら笑い転げる男の姿に、ジェーンも目を丸くして困惑している。そんなにこの人のツボに入ったのだろうか。
「あー、お腹痛い。久しぶりにこんなに笑いましたよ。じゃあサーベル持ちに連絡するわけには参りませんね」
さっきからこの男、警官のことを「サーベル持ち」と蔑称で呼んでいるのが少し気にはなるが、とりあえず通報される心配はなさそうで胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。彼女は日本の文化に疎いもので、アメリカにいる感覚でやってしまったようで」
「んふふ、わかりました。今日はここに逗留されればよろしい。私のコネである程度、話をつけておきましょう。ところで」
遠藤の視線が、ちらちらと俺の腕や体に注がれている。
なんだ、俺にそっちの趣味はないんだが。
「その腕時計を見せて頂けないでしょうか。先ほどからずっと気になっていたんです」
「え、ああ、もちろんいいですよ」
腕からベルトを外し、服の袖で軽く汚れを擦ってから手渡す。
一応、国産の機械式腕時計で買ったときはそれなりの値段がしたお気に入りだ。
時計を受け取った瞬間、それまで細めだった遠藤の目がカッと見開かれ、先ほどまで畳を叩いて爆笑していた人物と同一とは思えないほど真剣なまなざしに変わった。
「……おお、これは」
色々な角度から眺め、光にかざし、小さなリューズを指先でなぞってみたりと実に忙しい。
「質問よろしいか?」
「ええ、俺でわかることなら」
「やけに軽いですが錆も浮いてない、このガラスも見たことがないほど透明だ。裏が透けて見えますがゼンマイはどうやって巻くのですか。秒針が滑らかに動いていますがこの機構は何というんですか。それから――」
「ちょ、ちょっと! ストップ、ストップ! できれば一つずつでお願いします」
腕時計を握りしめ、目をかっぴらいて食い気味に迫ってくる遠藤をなんとか宥めて落ち着かせた。
男は思い出したように元の位置に座り直すと、冷めかけたお茶を一口飲み、申し訳なさそうにこちらを向いた。
「私としたことが、つい夢中になると質問攻めにしてしまう。妹にもいつも叱られているんですが、なかなかこの悪癖は直らなくて」
「いえ、機械好きなら多いですよ、そういう人は。じゃあ、材質の話からしましょうか」
知っている限りの時計知識を一問一答で話していく。
チタンケースとか人工サファイアガラスとか自動巻き機構が見えるシースルーバックとか、この時代にあっただろうか? まぁいいか。
ふと横を見ればジェーンが火鉢に抱きついて、うっとりとした顔で温まっていた。いい気なもんだ。




