表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/106

修復工房、新弟子

 春の終わり、修復工房に弟子志願が現れた。


 名はトーマ。十五歳。城下町ハイゼルの外れで荷運びをしていた少年で、初対面の第一声がこれだった。


「その、俺にも直せますか」

「何を?」

「何でも。椅子でも鍋でも、できれば人生でも」


 私は危うく金槌を落としかけた。

 隣でユリアが吹き出し、ハクが『質問範囲が広すぎます』と真顔で補足する。


 話を聞けば、トーマの家は代々荷車職人だったが、父が病み、工房を畳んだのだという。手に職が欲しいが、鍛冶ほど腕力もなく、帳場ほど文字にも強くない。けれど壊れたものを放っておけない性分らしい。


「向いているかもしれないわ」

「本当ですか」

「ただし、修復は魔法だけではない。観察、清掃、分類、記録、失敗の反省。地味よ」

「やります!」


 勢いだけは十分だった。


 最初の三日は、ひたすら掃除をさせた。

 部品箱の仕分け、欠けた陶器の断面確認、金具の錆落とし、依頼札の書き写し。トーマは目に見えてしょんぼりしたが、四日目に壊れたランタンを分解させると、急に顔つきが変わる。


「……ここ、先に曲がったんじゃない。歪んだ枠に無理やり蓋を閉めて、芯が擦れたんだ」

「正解」

「分かるもんなんですね」

「分かるようになるのよ」


 夕方、彼に初めて《修復》の補助をさせた。

 私が魔力の流れを作り、彼が部品を固定する。わずかな振れを整えるだけで、ランタンの火はまっすぐ立ち上がった。

 その瞬間、トーマは呆然としたあと、子どものように笑った。


「直った……」

「ええ」

「壊れたものって、本当に戻るんだ」

「戻らないものもあるわ。でも、手をかければ前より良くなるものもある」


 その日のあとがき帳に、私はこう書いた。

 工房に弟子が入る。

 それは、仕事が増えるという意味ではなく、手が増えるという意味だと。


 誰か一人の技術で終わらせないこと。

 灰冠城グレイヴォールが続いていくなら、その形が必要になる。

 トーマのぎこちない手つきを見ながら、私は未来の輪郭が少しだけはっきりした気がした。


 少し時間を置いてから、私は診療室や温室、帳場をつなぐ静かな廊下へ戻った。薬草と土と紙の匂いが混ざり、物を直す場所だった城が、人を育て、送り出す場所へ変わっているのを感じさせた。忙しい一日のあとで同じ場所を見直すと、昼には見えなかった細部が浮かび上がる。工具箱の留め金と、使い込まれた作業台の木目のような些細な手触りが、その日の出来事を思いがけない形で思い出させることもある。


 私は今日増えた記録や依頼札を見返し、仕事が自分の手の内だけに収まらなくなってきたことを、少し誇らしく受け止めた。こういう時間は誰に褒められるわけでもないし、すぐに成果になるわけでもない。それでも、誰も見ていないときに少しだけ整えておいた段取りが、翌朝の空気を驚くほど軽くする。そのことを知ってから、私は一日の終わりを前より丁寧に扱うようになった。


 人を育て、役割を渡し、外へ送り出す段階に入ると、修復はもう私一人の技術ではなくなる。その変化が少し寂しくて、同時にどうしようもなく嬉しかった。 たぶん修復という仕事の本質は、壊れたものを元へ戻すことだけではない。壊れたあとにどう扱うか、同じ綻びを次にどう防ぐか、そしてその手順を誰かと共有できる形へ残すことまで含めて、ようやく再建と呼べるのだと思う。


 私が今見ているのは、工具箱の留め金と、使い込まれた作業台の木目のような、誰かが見落としても不思議ではない細部ばかりだ。けれど実際に町や城を支えるのは、いつもそういう小さな部品の方だった。派手な奇跡より先に、綻びを見つけて、記録して、次の人が迷わず触れる形へ直しておくこと。そういう地味な手順が積み重なって、ようやく暮らしは丈夫になる。


 きっと明日になれば、また別の形をした不足が見つかる。灰冠のやり方が城の外の価値観と交わり、学ぶ側にも教える側にも変化が出てくる。。それでも今は、次に何を直すべきかを考えること自体が、前へ進んでいる証拠だと知っていた。 そう考えると、今日起きたことはもう過去ではなく、明日の仕組みの一部になり始めている。私はその手触りを確かめるように指先を拭い、静かに戸を閉めた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。次話は『星殿からの留学生』です。引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ