聖女の告白
黒霧が王都から引いたのは、礼拝塔の陣を壊してしばらく経ってからだった。
城の広間へ戻ると、疲労と混乱で誰もが口数少なくなっていた。そんな中で、ミレイユは王の前へ進み、自分の胸に手を当てた。
「陛下。わたしは……聖女候補である前に、ずっと“使いやすい器”でした」
静かな声だった。
でも、白の間の誰よりも、その声はまっすぐ届いたと思う。
「祈りが下手でも、失敗しても、“聖女は耐えるものだ”と言われました。怖くても、痛くても、黙っていれば国のためだと」
「……」
「でも違いました。黙ることは、誰かを助けることじゃなかった」
私は少し離れた場所で、その横顔を見ていた。星灯祭の夜、壇上で震えていた少女とは別人みたいだった。強くなったのではない。ただ、自分の声を失わなくなったのだ。
「リディア様は、わたしに“ひとりにならないで”と言ってくれました」
ミレイユは続ける。
「灰冠城で、息をしていいと言ってくれました。だから、わたしはもう黙りません」
ルドルフ王は長く黙っていたが、やがて低く言った。
「その証言、預かろう」
父もカイル殿下も、もう何も言わなかった。言えなかったのだろう。黒霧が王都に現れた以上、辺境を切り捨てる理屈は薄くなる。大神官セルヴァンが逃走した以上、星殿の正当性も揺らぐ。
審理は先送りになった。だが勝敗は、もうほとんど見えていた。
屋敷へ戻る馬車の中で、ミレイユはぽつりと呟く。
「わたし、初めて自分の言葉で喋りました」
「立派だったわ」
「すごく怖かったです」
「そういうものよ」
私も王都では、怖くない顔をしていただけだったのかもしれない。灰冠城でようやく、自分の声を使い始めたのだ。
「リディア様」
ミレイユが少し笑う。
「わたし、灰冠城に帰りたいです」
「ええ。私も」
その答えを口にした瞬間、私ははっきり分かった。
帰る場所がもう、王都ではなくなっている。
少し時間を置いてから、私は王都ルミエルで与えられた客間の窓辺へ戻った。磨きすぎた床と香の残り香、遠くの馬車の音。どれも懐かしいのに、もう自分のものではない距離でそこにあった。忙しい一日のあとで同じ場所を見直すと、昼には見えなかった細部が浮かび上がる。窓に映る星明かりや硝子の冷たい反射のような些細な手触りが、その日の出来事を思いがけない形で思い出させることもある。
私は窓枠へ指を置き、王都にいた頃なら見逃していた小さな傷や歪みを、今ははっきり見つけられる自分を少し不思議に思った。こういう時間は誰に褒められるわけでもないし、すぐに成果になるわけでもない。それでも、誰も見ていないときに少しだけ整えておいた段取りが、翌朝の空気を驚くほど軽くする。そのことを知ってから、私は一日の終わりを前より丁寧に扱うようになった。
王都へ戻ることは、過去へ引き戻されることと似ているようで、実際には違った。今の私は、誰かに価値を決めてもらうためでなく、自分の積み上げを持って立つためにそこへいる。 たぶん修復という仕事の本質は、壊れたものを元へ戻すことだけではない。壊れたあとにどう扱うか、同じ綻びを次にどう防ぐか、そしてその手順を誰かと共有できる形へ残すことまで含めて、ようやく再建と呼べるのだと思う。
私が今見ているのは、窓に映る星明かりや硝子の冷たい反射のような、誰かが見落としても不思議ではない細部ばかりだ。けれど実際に町や城を支えるのは、いつもそういう小さな部品の方だった。派手な奇跡より先に、綻びを見つけて、記録して、次の人が迷わず触れる形へ直しておくこと。そういう地味な手順が積み重なって、ようやく暮らしは丈夫になる。
きっと明日になれば、また別の形をした不足が見つかる。北へ向かう道の冷たさは厳しいはずなのに、不思議と今はそこにしかないものがある気がしていた。。それでも今は、次に何を直すべきかを考えること自体が、前へ進んでいる証拠だと知っていた。 そう考えると、今日起きたことはもう過去ではなく、明日の仕組みの一部になり始めている。私はその手触りを確かめるように指先を拭い、静かに戸を閉めた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。次話は『北へ帰る馬車』です。引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




