ビーダーマイヤー・トリコロール、変死事件に巻き込まれた逃避令嬢 その5~貴族令嬢は婚約破棄に安堵する~
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ヨハンナは怯えていた。
今朝、便所で発見した遺体はカールだと思われた。
国家憲兵はウィーンのカールの自宅に電報を打つように言い渡し、ヨハンナはそうしたが、あの男爵家の人々の上を下への大騒ぎが目に浮かぶようだった。
大騒ぎと言っても執事や、カールつきの召使をはじめ使用人たちのことで、血のつながった家族たちの冷酷さや非情ぶりは、ヨハンナにとって既知の事実だった。
父君はおそらく息子の外聞の悪い死に方が気に食わず
「カール?死んでなどいない。私の息子は遠方へ旅行に出かけたまま帰っていないだけだ。」
と一生、主張しそうだし、母君は若い恋人との逢瀬に忙しすぎて、カールの名前を聞いても
「カール?それは誰だったかしら?」
とか言いそう。
弟君や兄君も目を丸くして
「それは気の毒なことだな!」
とかひと言で済ませそう。
身元確認のために誰かが来るだろうけど、父君の従者あたりが一番ありうる?
どうして死んだのか?とかいろいろ聞かれてもわからないとしか言いようがない。
ヨハンナは今更ながら、生前のカールを嫌っていたことを後悔した。
理不尽な言いがかりをつけ罵声を浴びせたり、むしゃくしゃして八つ当たりする怒号におびえはしたが、ヨハンナを愛してくれていたのは本当のことのように思えた。
出不精なのにグラーツまで十時間近く汽車や馬車に揺られて、わざわざ追いかけてきてくれたんだから、と。
それでも、カールが不幸な死に方をしたことに、涙が出るほど悲しくはなかった。
婚約は当然破棄されるし、両親にも心配はかけるだろうけど、この先一生カールと過ごさずにすむことにホッと安堵したのが正直なところだった。
ひとりで居間でコーヒーを淹れ、市場で買ってきたリンツァートルテ(*1)の切菓子を食べてると、玄関の呼び鈴が鳴った。
出てみると、いかめしい口髭を生やした国家憲兵と、その後ろに二人の上品な青年が立っていた。
棘つき黒ヘルメットの端をつまんで挨拶の身振りをした口髭憲兵が
「ヨハンナさん、少しお時間をいただけますか?
お宅の便槽から発見された遺体について、新たなことがわかりました。
こちらのお二人がお話を聞きたいそうです。」
ヨハンナが口髭憲兵を中に通し、続いてレオポルトとフランツが居間に入った。
客たちが居間のソファに座り、ヨハンナが人数分のコーヒーと切菓子を準備すると、口髭憲兵はさっそくコーヒーをすすり
「実は、遺体が持っていたシャツに、イニシャルが刺繍されていましたが、それがカールさんとは違うものでして。
このお二人がそのことに気付いて、捜査に協力していただくことになり、あなたにお話を聞きたいそうです。」
フランツは知り合いになった憲兵に、不可解な便槽変死事件について、何か協力できるかもしれないからとレオポルトを紹介し、捜査の内容を教えてくれるように頼んだ。
憲兵は迷惑そうな顔をしたが、カールの身元確認が済むまでは、犯人捜しもできず、貴族の子息に貸しを作るのも悪くないと判断し、二人の青年に遺体を見せることにした。
最初は生きているかもしれないと思われ、体から排泄物を洗い流された遺体は、目立った外傷もなく、上半身裸の肩と腕の一部が擦り剝けていただけだった。
靴とトラウザーズは履いているのに、上半身裸で、畳んだフロックコートとウェストコートとシャツを胸に抱き、膝を折り曲げた格好で便槽の底という不自然な場所で見つかった遺体に興味を引かれたレオポルトは、持ち物まで念入りに調べた。
そしてフロックコートとウェストコートと違ってシャツだけは安物のリネンで、刺繍されてるイニシャルがカール・フォン・ヴァイセンホフ(K.v.W)とは違ったことに疑問を持ち、それを憲兵に伝えると、自分で調査しろということになり、ヨハンナの家へ案内された。
コーヒーに口をつけ、カップを置いたレオポルトの隣で、フランツは切菓子の半分をすでに平らげていた。
レオポルトがヨハンナをジッと見つめ口を開いた。
「まず、婚約者のカールさんの髪と目の色は黒でよろしいですか?」
ヨハンナはハッと息をのんだ。
そして首をブンブンと横に振り
「いいえっ!カールはライトブラウンの髪と目です!
じゃ、死体はカールじゃないのね?!
じゃ、彼はどこへ行ってしまったの!」
ヨハンナはそんな単純な確認すら怠った自分を責めた。
カールが死んだことに何の抵抗もなくあまりにも簡単に受け入れるほど、カールを愛していないと気づいた。
薄情で冷酷な自分を責め、カールに申し訳ないと思った。
カールの死に、無意識に安堵したことすら後ろめたく思った。
『カールの家族に訂正の電報を打たなきゃ!間違えて電報を打ったことを責められるかも!』
と、憂鬱で上の空になったヨハンナに、レオポルトが
「『A.B』というイニシャルの、黒髪で黒い瞳で、もみあげの長い、襟足まで髪の伸びた、二十歳前後の若者に心当たりはありますか?
身長は僕ぐらいの・・・・」
レオポルトが立ち上がったのを見てヨハンナはギクッ!とした。
考えたくないことが頭をよぎった。
まさか・・・・・!
でも、イニシャルが、あの人と同じ!
顔から血の気が引き、眩暈に襲われながらヨハンナは、ゴクリと息をのみ
「あの、アルフォンス・ブルックナーさんという方と一週間ほど前、ここに来た直後に、知り合いになりました。
重い荷物を運んでくれて、この家まで送ってくださいました。
二度お会いして、お話して、カフェでコーヒーを飲んだだけです。
おっしゃった容姿に当てはまりますわ!」
レオポルトとフランツが顔を見合わせた。
ちょうどその時、玄関の呼び鈴が鳴り、ヨハンナがフラフラと立ち上がろうとすると、それを制して口髭憲兵が玄関に向かった。
(その6へつづく)
(*1)ヘーゼルナッツとバターをたくさん入れたシナモンを効かせた生地にアカスグリ(レッドカラント)やラズベリージャムをはさみ、格子模様の生地で覆って周囲にスライスアーモンドなどをのせて焼き上げた菓子。




