表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/10

『猫のお話⑧ 「露天商開いてみた!」』

おばあちゃんが無事に退院し、小谷家にいつもの穏やかな日常が戻ってから、しばらくしたある日のことである。

猫たちの間に、ある奇妙な噂が風のように駆け巡った。

「太郎の縄張りの広場に、旅の商人が来て露天商を開くらしい」


夕暮れ時、大通りから一歩入った古い空き地には、すでに多くの地域猫たちが集まっていた。

その中心にどっしりと座っているのは、ボスの太郎だ。その横には、かつて太郎が車から命がけで救い出した、片耳の垂れた不思議な野良猫――あの猫商人が、古びた大きな風呂敷を広げて座っていた。


風呂敷の上には、見たこともない奇妙な品々が雑然と並べられている。

「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。他じゃ手に入らない珍品ばかりだよ!」

猫商人が声を張り上げるが、集まった猫たちは首をかしげるばかりだった。


「おい、商人。このガラスの丸いおもちゃは何に使うんだ?」

一匹の茶トラが、並べられたガラクタを前足でつつきながら尋ねた。

「ああ、それはね、夜の暗闇でも昼間のようによく見えるようになる眼鏡ですよ!」

猫商人が得意げに胸を張るが、茶トラは呆れたように鼻を鳴らした。

「おいおい、俺たち猫はそもそも夜でもばっちり目が見えるんだよ。そんな邪魔なもの、誰が必要とするんだい?」


「じゃあ、こっちの溝がたくさんついた板と棒のセットは?」

今度は黒猫が尋ねる。

「これはね、固い食べ物をゴリゴリと削って、細かな粉にする摺り機です。これさえあれば何でも食べやすくなりますよ!」

「ハッ、そんなの俺たちのこのザラザラした舌で十分だよ。舐めるだけで骨まで削れるんだから、わざわざこんな面倒な道具を使うやつがいるか?」


猫商人は少し焦りながら、次の品を差し出した。

「そ、それならこれだ! カチコチと音がして、いつでも正確な時間が分かる時計ですよ!」

猫たちは一斉に耳を伏せた。

「時間? そんなもの、気にして何になるんだよ。お腹が空いたらご飯の時間、眠くなったら寝る時間。それだけで俺たちの毎日は完璧さ」


「じゃあ、この良い匂いのする油はどうなんだ?」

別の猫が尋ねると、商人はすかさず声を弾ませた。

「これは肩こりによく効く特製の軟膏です! これを塗ればたちまち体が軽くなりますよ!」

すると、周りの猫たちがクスクスと笑い始めた。

「肩こりだって? 何だいそれは。俺たちにそんな凝るような肩なんてないよ。いつだってぐにゃぐにゃに柔らかいんだからね。そんなものを塗ったら毛がベタベタになって迷惑なだけさ」


「それなら、この不思議な白いクリームは……」

「それは何に使うんだ?」

「肌に塗ると、余分な毛をきれいに抜き去ってツルツルにする、脱毛クリームです!」

その瞬間、空き地は大ブーイングに包まれた。

「脱毛だって!? この美しくて温かい自慢の毛並みを、わざわざハゲにしてどうするんだ! 大馬鹿らしい!」


不満を漏らす猫たちに、商人はすっかり弱り果て、困ったように頭を掻いた。

「しょうがないなあ。じゃあ、最後にこれを見せてあげよう。これは本当に何にも役に立たないんだけどね……」


商人が風呂敷の奥から取り出したのは、真鍮でできた小さな古びた鈴のような形をした、奇妙な道具だった。

「これはね、ここにある小さな突起を爪で弾くと、猫の足で『一万歩』の範囲内にいる仲間のひげを、一斉に微かに震わせることができる道具さ」


「はあ? ひげを震わせる?」

猫たちは目を丸くした。

「それって、相手を笑わせるってことかい?」

「ひげがムズムズして、くしゅん! って、くしゃみが出ちゃうのかな?」

一匹の黒猫が試しにその道具の近くに寄ると、商人が爪で小さく突起を弾いた。

チィン、と、耳を澄まさなければ聞こえないほどの極めて小さな、澄んだ音が響く。


その瞬間、周囲にいた猫たちのひげが、一斉に「ぴくぴくっ」と奇妙に震えた。

「ひゃあ! なんだこれ、くすぐったい!」

「くしゅん! ハハハ、ムズムズする!」

空き地に集まった猫たちは、お互いのひげが奇妙に震えてくしゃみをする姿を見て、一斉に大笑いし始めた。

「あはは! 本当に役に立たないや!」

「面白いけど、やっぱりただのガラクタだね!」


そこへ、悪戯好きな一匹の猫がニヤニヤしながら囃し立てた。

「おいみんな、これからは親分に逆らったら、ひげをムズムズされちゃうぞ!」

その言葉を聞いて、周囲の猫たちは「そりゃあ大変だ!」「降参、降参!」と,お腹を抱えてさらに大笑いになった。


周りがあまりにも大笑いするものだから、猫商人はすっかり自信をなくしてしまい、困ったように眉を下げた。

「太郎さん、これ差し上げますよ。……でも、本当に何かの役に立ちそうですかね?」

そう言いかけた商人のひげも、先ほどの道具の余韻でムズムズしていたのだろう。

「ハ、ハックション!」

勢いよくくしゃみをした拍子に、商人はおっとっとと尻もちをついた。そのおどけた姿に、広場の猫たちはまた大爆笑の渦に包まれた。


猫たちが大騒ぎして笑う中、ただ一匹、太郎だけは笑っていなかった。

太郎は鋭い眼光をその真鍮の道具に向けたまま、真剣な様子で深く考え込んでいた。


(……いや、待てよ。これはガラクタなんかじゃねえ)


太郎の脳裏に、最近の縄張りの不穏な変化が浮かんでいた。

猫たちが毎日利用している、静かな地蔵尊の水飲み場。あそこは、木陰があって水が冷たく、猫たちにとって最高の憩いの場所だった。

しかし、ここ数日、その周辺に獰猛な野良犬が出現するようになったと噂を聞いていた。

今のところ、素早い猫たちに直接の被害は出ていない。だが、もし万が一、誰かが追い詰められたとき――。

太郎がいつも近くにいて、すぐに駆けつけられるとは限らないのだ。


(犬は耳が良い。大声で助けを呼べば、余計に興奮して襲いかかってくる。だが、この道具なら……)


チィン、と極めて小さな音を鳴らすだけで、一万歩の範囲にいるすべての仲間のひげに、確実に「異変」を知らせることができる。

声を出す必要も、大きな音を立てる必要もない。ただ、ひげがぴくりと震えるだけで、仲間たちは「今、誰かがピンチだ」と直感し、一斉に助けに向かうことができるのだ。


太郎はゆっくりと立ち上がると、騒ぐ猫たちをかき分け、商人の前に歩み寄った。

そして、その真鍮の道具の上に、肉球をそっと静かに置いた。


「商人。その『何にもならない道具』……俺がもらうぜ」


猫商人は少し不思議そうな顔をしたが、その小さな真鍮の道具を、太郎へ静かに手渡した。


露天商が片付き、猫たちがそれぞれの場所へと帰っていく中、太郎は地蔵尊のすぐ近くで飼われている、一匹の黒猫――「黒」を呼び寄せた。

黒は地蔵尊の水飲み場をいつも見守っている、太郎の信頼が厚い忠実な仲間だ。


太郎は、手に入れたばかりの古びた真鍮の道具を、黒の前に差し出した。 「黒、これをお前が飼われてる家の軒下にでも隠しておけ。そして、野良犬が地蔵尊の水飲み場に現れたら、この真鍮の突起を押すんだ」


「え? 親分、これをですか?」

黒は不思議そうにしながらも、太郎の真剣な表情を見て、小さく頷いた。


「よし、試しに一度やってみるぞ。俺が向こうの塀の影に行ったら、合図をする。そうしたら思い切り押してくれ」


太郎は地蔵尊から少し離れた空き地の隅まで歩き、黒に向かって「にゃうん」と低く一声鳴いた。それが合図だった。


塀の影から見ていた黒が、緊張した面持ちで、真鍮の道具の突起を前足の肉球でぎゅっと押し下げた。

チィン……と、夕闇の中に小さな、澄んだ音が静かに吸い込まれていく。


その瞬間、少し離れた広場でまだ遊んでいた茶トラや、路地裏で丸くなっていた猫たちのひげが、一斉に「ぴくぴくっ」と激しくムズムズし始めた。


「ハックション!」

「くしゅん! あ、あれ、まただ!」

「何だこれ、くすぐったいぞ!」


あちらこちらの暗闇や路地裏から、猫たちのユーモラスなくしゃみの声が、次々とこだまのように響き渡った。


その様子を遠くから見つめながら、太郎は口元をわずかに緩め、確信に満ちた目で力強く思った。


(よし、完璧だ。これさえあれば、水飲み場で野良犬が襲ってきても、声を立てずに一瞬で全員に知らせることができる)


事前にこのひげの震えで野良犬の出現を察知できれば、猫たちは危険な水飲み場に近づかないことだってできる。逃げる時間も十分に稼げるし、もし仲間が追い詰められたときは、一万歩の範囲にいる全員で一斉に駆けつけて包囲し、助け出すことも可能だ。


そして、太郎は自慢の胸をどっしりと張り、獰猛な侵入者への闘志を静かに燃やした。


(もし、その犬がどうしても牙を剥いて向かってくるっていうんなら……最後は、俺が直接ケリをつけてやる。犬の一匹や二匹に、この俺が遅れをとるはずがねえからな)


ボスの頼もしい独白は、夕暮れ時の静かな地蔵尊の森に、風となって静かに溶けていった。



午後の柔らかな日差しの中で、のんびりと毛繕いをしていた猫たちのひげが、突如として一斉に「びりりっ」と激しく震えた。「ぴくぴく」よりも強い衝撃にすることで緊急性を出しました。


猫たちは、最初は「またあの悪戯か」と笑い合おうとした。

だが、ひっくり返って寝ていたはずの太郎が、弾かれたように跳ね起き、恐ろしい速さで地蔵尊の方へ駆け抜けていくのを見て、その場の空気が凍りついた。


「……野良犬だ!」


誰かが叫ぶのと同時に、猫たちは一斉に太郎の後を追った。

太郎が水飲み場に到着したとき、そこには腰を抜かして動けなくなった黒と、その喉元に今にも牙を立てようとする巨大な野良犬の姿があった。

犬の吐く熱い息が黒の顔に吹きかかる。その絶体絶命の瞬間に、太郎は風のように割り込んだ。


「ウゥゥッ……! そこまでだ、野良犬!」


太郎は低く、地を這うような唸り声をあげ、鋭い爪を剥き出しにした。

黒は、太郎の後ろに隠れて、「食われる・・・」と半べそをかいている。


野良犬は低い声で太郎に向かって、黒に視線を向けながら言った。

「その黒い猫、大丈夫?」

太郎は、身構えた体制のまま・・・・「え?!」

「俺、飼い主とはぐれちゃって、ここはどのあたりか聞こうと近づいたら・・・」

太郎が続けた・・・「黒が腰を抜かしたと・・・そういうこと?」

太郎は、体の緊張が一気に抜けた。

「ご主人と、このあたりをいつも散歩に来てるのだけど、今日はリードが外れていたから独りで歩いてきたんだ。

独りできたら、迷子になっちゃった、わん」


太郎はつぶやいた・・・「なんだそりゃ、飼い犬になって、帰巣本能すら忘れちゃったか」

太郎は、犬に向かって言った

「俺たちも喧嘩するつもりはねぇ、仲良くできるなら、水飲み場も使っていいし。

飼い主の名前教えてくれたら、俺が連れて帰ってやるよ」


「わん」大きな犬は嬉しそうに吠えた。


太郎の縄張りは今日も平和な一日が過ぎていくのでした。


おしまい


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ