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「戦後教育の流れ」から得られる教訓

 この章では、太平洋戦争以後、日本の教育がどのような変遷をたどってきたかを俯瞰してきた。

 ここからなにが分かるかといえば、我々日本人の「だまされやすさ」、そして、一度「流れ」――世間の風潮ができあがってしまった後に、その流れを変えることの難しさである。

 「体罰は子どもに悪影響しか与えないから、絶対にしてはいけない」という主張も、初めのうちは一部の人間が口にするだけの、力のない叫びに過ぎなかった。だが、「子どもに優しく、人権に配慮した教育を」という、美しく、耳障りのよいスローガンと共に強く主張され続けているうちに、大した根拠を持たないこの主張に賛同することこそ「カッコイイ」生き方につながるのではないか、と思った人たちが、徐々に増えていく。

 そうなると、もう流れは止められない。

 先導者たちはますます声を張り上げ、メディアはそれを後押しし、「それまでとは違う」あたらしい価値観の創出だとばかり、皆が一丸となって周囲の人間を感化していく。

 そして、「子どもの人権に配慮したしつけ・教育を」という――くり返すが、大した根拠のない主張が――いつの間にか「常識」として認知されるようになっていくのである。

 「夜に口笛を吹くとヘビがくる」「写真に写ると魂が抜かれる」などといった迷信も、おそらくはこのような――マスコミの代わりに「噂話」による後押しだったのであろうが――経路をたどって日本人の「常識」の中に入り込んだのに違いない。そう思うと、先人たちを「非科学的だ」と笑えない。現在の私たちも、「科学的なフリをした言説」に、コロリとだまされているのだから。

 このように言うと、「なにを信じるのかは個人の自由だ。あんたに指図されるいわれはない」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。

 それはその通り。個人が個人の責任でなにを信奉しようと、それについて文句を言うつもりはない。

 だが、新興宗教の信者が家庭や地域社会を崩壊させるような行動をとれば、人の輪から排斥せざるを得ないのと同様、その「信仰」が原因で、他の人に迷惑をかけるというのならば、当然その「信仰」は糾弾されなければならない。「子どもの人権を守れ」信仰が、将来社会人として生きていかなければならない子どもたちに対し、如実に悪影響を与えている以上、それは「大人の義務として」なんとしても正すべきなのである。 

 この先子どもたちをどのような大人に育てていくかは、今現在、大人である私たちの選択にかかっている。そのことを――その責任の重さを胸にしっかり刻んだうえで、現状の教育システムを、改めて見直すべきではないだろうか。

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