七輪異変アラカルト!~コスプレじゃない、魔王(本物)です!!~
ぱたぱた、ぱたぱた。
私は裏口で七輪の前にしゃがんで、丁寧にうちわを動かしていました。
優しく送り込まれた風が、炭の中で静かに眠っていた赤い火を目覚めさせます。じわじわと炭火は輝きを増し、まるで息をしているかのように穏やかに揺れ動きました。表面に薄く積もった灰はうちわの風に誘われてふわりと浮かび、淡く透き通った粉雪のように再び七輪へと落ちていきます。
よし、頃合いですね!
私は塩を丁寧にふっておいた秋刀魚を網の上にそっと置きました。
じゅわっと鮮やかな音を立てて、秋刀魚の脂が炭火の上へ滴ります。途端に、香ばしく美味しそうな煙が七輪からゆったりと上がり、辺りの空気を一瞬で秋色に染め上げました。
ああ、これはもう完璧な秋刀魚日和です。
私は満足げに頷きながら、もう一度ぱたぱたとうちわを扇ぎました。
「ふふ、秋ですねぇ……」
思わずそんな独り言がこぼれます。
こんなふうに、穏やかな時間が続けばどれほど素敵なことでしょう。ですが、現実はいつも私に甘くないのです。
「ふむ、まさしく秋であるな」
右側には堂々と腕を組み、嬉しそうに私に追従するバルゼオン様。
「確かにこれは秋の香りというやつだな」
続いて左側のジルヴァラク様も深く頷き、なぜか感慨深げな表情で言葉を重ねます。
いや待ってください。
どうしてこんな平和な秋の情景に、左右を魔王に挟まれているんですか私!!!
秋刀魚を焼いているだけなのに、この不思議な緊張感は何でしょう。完全に板挟み状態で頭が痛くなってきました。
これは流石に、他人に見られたら絶対まずい状況ですね。ラストダンジョンの魔王様と元勇者の魔王様が、定食屋の裏口でしんみり秋を感じているだなんて、そんなのどうやって説明すればいいんでしょうか。
……まあ、うん。村の人に見られなければ、いいだけなんですけど。
ここは定食屋の裏口、そんな簡単に誰かに見つかる場所でもありませんからね。
そうですよ、落ち着け私。とにかく誰にも見つからなければ――
「あれれ、メルヴィちゃん? もしかして明日の定食って秋刀魚なの?」
見つかった――――!!!!
軽快で、いかにもお人好しそうな声が聞こえてきて、私はぎくりと肩を跳ね上げました。振り返ると、雑貨屋のご主人が満面の笑みでこちらを覗き込んでいます。
そうですよね!
そりゃあ煙が出れば、誰かが気づきますよね!!
私は煙を甘く見すぎていました!!!!
「あ、あはは……えっと、そうですね、明日の定食……秋刀魚かもですね?」
私が慌てて誤魔化そうとした瞬間、ご主人は私の隣のバルゼオン様に目を向けて明るく声を上げました。
「あれっ、もしかしてそちらは……!」
まずい。ものすごくまずい。
「久しぶりじゃないですか! バルゼオン様のコスプレの人!!」
「こ、コスプレぇぇえええ!?」
私は悲鳴を上げそうになりました。
そういえば雑貨屋のご主人、村長が村おこしとか言って『魔王まんじゅう』だの『魔王キーホルダー』だの、バルゼオン様を村のゆるキャラみたいな扱いした時、定食屋にたまたま来ていた本人のことを、『私が呼んだコスプレの人』だって勘違いしたままだったんですよね……!
私の絶望に気づきもせず、ご主人は嬉しそうに手を叩きます。
「やっぱり本格的だよねえ! その角も衣装もそっくりだし、プロのコスプレさんって凄いなあ~」
バルゼオン様の眉間に、これでもかというほど深い皺が刻まれていきます。
隣のジルヴァラク様は状況が掴めず、口を半開きにしたまま視線が泳いでいました。
そして私の顔は、たぶん真っ青を通り越して真っ白になっていたはずです。
「ご、ご主人! 違うんです、この方はですね!! コスプレとかじゃなくて!!! 正真正銘、本物の魔王バルゼオン様なんですよ!!!!」
覚悟を決めて必死に叫ぶ私でしたが、ご主人は笑って完全に信じていません。
「またまたぁ! そういう設定はもういいからさ。ほら、いつか村おこし企画も表に出るかもしれないし、定期的にコスプレさんには来てもらえると嬉しいな!」
何 故 聞 い て く れ な い。
どうしてこうも、人は自分が信じたいことしか信じないのでしょうか。
雑貨屋さんはさらに陽気な調子で、バルゼオン様の肩をぽんぽん叩き始めました。私はその瞬間、死を覚悟しました。
「ほう……」
突如、バルゼオン様の全身から禍々しいオーラが漂い始めます。片手をゆっくりと掲げて、バルゼオン様は冷たい視線を雑貨屋のご主人へと向けました。
「仕方ない。近くに城塞都市があったな。あれを一撃で消し飛ばして、我が本物の魔王であることを証明してやろう」
「絶対だめですからぁぁぁっ!!」
私の悲鳴じみた制止を、ご主人はまだ冗談だと思ったのか、まったく本気にしていない様子で軽く笑いました。
「またまたぁ。あんまり物騒な設定にすると後が大変ですよ! ……あっ? もしかしてコスプレさん、メルヴィちゃんの彼氏かな?」
「ぜぇぇぇぇぇったいに違いますからぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
私の人生で出したことのないレベルの大声が、定食屋の裏口に響き渡りました。
何をどう間違ったら、魔王様と彼氏彼女の関係になるんですか!!!
これ以上私の胃を痛めつけないでくださいよ!?
しかしその瞬間、驚くべきことが起こりました。
先ほどまで『世界を灼き尽くす魔王モード』で右手を振りかざしていたバルゼオン様が、ぴたりと動きを止めて、まるで魔法が解けたようにぽかんとした顔になったのです。
「……彼氏……だと?」
バルゼオン様はぼそりと呟き、自分でもびっくりしたかのように目を瞬かせました。
そして徐々にその険しかった顔が、朗らかな笑顔へと変化していきます。
「ふむ……なるほど、我がメルヴィの彼氏に見えたか……悪くない。いや、まったく悪くないな……」
いやいや、ちょっと待ってください!?
なんでそこで喜んじゃってるんですか魔王様!
さっきまで怒り心頭の世界滅亡モードだったのに、彼氏発言ひとつで機嫌直っちゃうって、単純すぎませんか!!!
バルゼオン様は急に上機嫌になり、ご主人に向かって妙に爽やかな声で挨拶を始めました。
「こんにちは、我こそはバルゼオンである。メルヴィには日頃より世話になっている。今後ともよろしく頼むぞ」
「挨拶しなくていいですからぁぁぁぁ!! そして日頃世話になっているとか、勝手に関係を匂わせないでくださぃぃぃぃい!!」
さっきまで城塞都市消し飛ばす気満々だったのに、なんで急に好印象狙いに切り替えてるんですか!
私が絶叫する中、ご主人は呑気にバルゼオン様と挨拶を交わしています。
「いやぁ、こちらこそよろしくお願いしますコスプレさん! これからもメルヴィちゃんの応援、頼みますよ!!」
「任せよ」
「任されなくていいですからぁぁぁ!!」
私の平穏な秋は、跡形もなく崩壊してしまいました。
ただただ、秋刀魚だけが美味しそうに煙を立てて焼けています。
ああ、せめて秋刀魚だけでも無事に美味しく焼き上がりますように──。
もはや私は祈るようにうちわを握りしめ、ぱたぱたと七輪をあおぎ続けるしかありませんでした。




