定食屋VS元勇者魔王! 〜知ってる魔王は良い魔王
「折角だ、仕上げに溶け果実のソースを作るとしよう」
そう言って、ジルヴァラク様はまな板の前に立ち、黙々と果実を剥き始めました。
皮はくるくると一枚の帯のように剥かれ、果肉は均等なサイズにすぱすぱと。……あの、魔王様ですよね? 戦闘より調理のほうが似合ってません?
「……煮すぎると、甘味が立ちすぎるな」
そう呟きつつ、スパイスをほんの少し指先でつまみ、まるで香水でも作っているかのような動作でフライパンに落としました。濃厚な果実の香りに、香草とバターの匂いが混じって食欲を優しく刺激します。
盛り付けを終えたクラーケンの香草バター揚げは、ふわりと香ばしい香りを放ちながら完成間近でした。
正直とっても美味しそうです。
でも、ここで負けるわけにはいきません。定食屋は根性です!
内心そんなことを思っていたら、店がずしんと低く鳴って、床がわずかに震えました。
「……ん? 何ですか、今の?」
私は戸惑い、辺りをきょろきょろと見回しました。
まさかクラーケンの祟り?
あれだけ美味しそうに揚げられても、文句あるんですか!?
それとも例の道具袋から、今度は『クラーケンの大脚』でも取り出したんですか!?
しかし、ジルヴァラク様も不思議そうに手を止めて厨房から顔を出しています。
この揺れが彼の仕業ではないのなら、一体何が原因なのでしょうか?
――次の瞬間、店の扉がものすごい勢いで開け放たれました。
身を屈め、一歩一歩大地に根を張る古木のような足取りで入店したのは、隣国の魔王グリム様。
その装いは王の風格そのものです。広い肩を覆う毛皮は漆黒と濃緑が混じり合い、まるで深い森の闇をそのまま切り取ったかのようでした。
ヘラジカに似た巨大な角は堂々と掲げられ、その姿には人智を超えた自然の摂理を思わせる迫力が漂っています。動くたび、肩や胸元の飾りがかすかに音を立て、その度に空気が震えるようでした。
「俺の名はグリム。魔を冠し、獣を率いて覇を唱える獣王なり。咆哮は万物を震わせ、爪牙はあらゆるものを切り裂き、森羅万象、遍く生ける獣たちの尊崇を一身に集めし者。荒野を駆け抜け、天地を制するが我が宿命。ヒトよ、覚悟はあるか? 魔獣の頂点に立つ俺を満たす料理を示せ」
グリム様はひときわ冷たい声で名乗りを上げました。
私は胸の鼓動を抑え、静かに頭を下げます。
あれ? グリム様が店内に踏み込んだだけで店が揺れるって、ちょっとどういうことですかね……?
バルゼオン様に連れられてお店に来るときは、まったく揺れてなかったのに。
――もしかして、今までは私に気を遣って、そっと歩いてくれてたんですか?
私は思わず心の中で手を合わせて感謝しました。
お気遣い、いつもありがとうございます。
今まで気づかなくてごめんなさい!
グリム様はゆっくりと店内中央に進み出ると、鋭い獣の瞳で真っ直ぐこちらを見据えました。
迫力と品格が共存しています。これが魔王ってやつなんですね。
今までバルゼオン様が魔王のスタンダードだと思ってましたが、完全に誤解でした。
私がグリム様に感動していると、ふわりと店内に香炉が六つ出現しました。
……しゃらん。
小さな鈴の音が、ささやくように響き渡ります。
同時に濃密で甘美な香りが店内に広がりました。バニラと薔薇と……なにか背徳めいた甘さが含まれた香り。
その煙が道を作るように床を満たした頃、姿を現したのは、全身を薄絹のヴェールに包んだ西の魔王アモルテ様でした。
華やかな紅い長髪は流れるように肩を滑り落ち、白磁のように滑らかな肌はうっすらと薄絹越しに透けています。
端正で危ういまでに艶やかな面立ち。
全身を包む薄絹のヴェールは、かろうじてその肢体を覆い隠しているというより、むしろ見る者の視線を誘うかのようです。
近づくにつれて、空気がゆっくりと湿り気を帯び、息を吸うたび肺が甘さで満たされるような錯覚すら覚えました。
「こんにちはぁ……」
私は静かに姿勢を正し、小さく息を呑みました。
「……僕は西域を支配する、情欲と狂愛の魔王アモルテだよ♡ 魅惑の瞳と甘美な快楽で、幾千の魂を虜にする愛の支配者にて勝利者。――愛は喜び、愛は狂気、そして愛は至高にして最高の苦痛! 僕はそのすべてを司り、心を弄ぶ魔王なのさ。さて、君の料理が僕の胸を焦がすような『愛』をもたらすのか……見せてもらうよ?」
……ちょっと待ってください。
今のアモルテ様ですよね?
普段ふわふわした感じで店に入ってきて、軽い調子で「メルヴィちゃん、愛の籠った定食をお願いね!」なんて笑っているあのアモルテ様ですよね……?
心臓止まるかと思いましたよ!!!
キャラ変が激しすぎて、どうリアクションしたらいいのか全くわからないんですが。こんな時、どういう顔をすればいいのか誰か教えてください。(困惑)
でも、とりあえずホッとしました。
良かった……。
知らない怖い魔王様が来たら、どうしようかと思いましたよ。
グリム様もアモルテ様も、完全に顔見知りの魔王様です。
見た目こそ『魔王&魔王』な迫力ですが、中身は完全にホームじゃないですか!
なんかもう、実家のような安心感!!!!
私は安堵のあまりその場にしゃがみ込み、両手を合わせて祈りました。
神様魔王様、ありがとうございます……!
知り合いの魔王様たちを審査員として送り込んでくれて、もう心の底からよっしゃって感じです!!
そんな私のリアクションを見て、ジルヴァラク様が難しい表情で近寄ってきました。
「……心配するな、メルヴィ殿。このお二方は確かに大陸でも屈指の魔王殿だが、料理審査ごときで命まで奪ったりはしないはずだ。安心してくれ」
「えっ?」
思わぬ慰めに、私は一瞬ぽかんとしてしまいました。
いや、別にこのお二人に本気で怯えて祈ったわけじゃ――
……あっ、いやいやいや!
ここで「知り合いですから大丈夫」とか言ったら絶対マズイやつですよね!?
「無理に勇気を出さずとも良い。オレ様も勇者時代には何度も魔王の威圧に怯えたものだ。怖がることは恥ではないのだぞ?」
「いえ、その、別に命の心配で祈ったわけじゃな……いえ、あの、はい。とにかく慰めてくださって、本当にありがとうございます……!」
ごめんなさいジルヴァラク様。
私が変なリアクションをしたせいで、余計な気遣いをさせてしまいました。
私は厨房に戻りながら、真剣に料理に打ち込む彼の背中をそっと見つめます。
ジルヴァラク様、本当にごめんなさい。
でもこれも生きるためです。定食屋の平穏を守るためには仕方ないんです。
これが……これが定食屋のリアルというものなのですよ!!!
よし、気を引き締めましょう。
不本意ながらちょっと有利な気がしますけど、料理に手加減はしません。
正々堂々と勝負です!
◆
魔獣王の側近・ガウエルの日常
「……魔を冠し、獣を率いて覇を唱える獣王なり。咆哮は万物を震わせ……せ……次は何だ……?」
グリムのおっさんが、誰も見ていない廊下で眉間に皺を寄せながら名乗りを繰り返している。その苦虫を噛み潰したような顔があまりにも面白くて、俺はこっそり柱の影で肩を震わせた。
魔王の威厳だか何だか知らねぇが、こういう芝居じみた名乗りが、おっさんは本当に嫌いらしい。
「……ったく。魔王だの支配者だの、大仰な肩書きは俺には合わん。どうしてもこれを言わねばならんのか?」
ぼそっと呟き、グリムのおっさんは深々とため息をついた。
そりゃまあ、武器振り回してるほうが遥かに楽だろうさ。だが、それじゃ魔王稼業が務まらねえってのも事実だ。
俺は壁から身を乗り出して、からかうように声をかけた。
「まあ頑張って覚えろよ。俺を倒した時は、結構さまになってたんだからさ」
おっさんが鋭い眼で俺を睨んだが、俺は構わずに肩をすくめてみせた。
結局、おっさんは舌打ちを一つ残し、もう一度渋々名乗りを繰り返し始めた。その背中を眺めながら、俺は心の中だけで笑う。
まったく、世話が焼ける魔王様だよ、ほんとに。




