第二部 沈黙する記録 48 攻撃の命令
命令が出されたという事実は、魔法喪失の原因が分からなくても消えない
。紙に残った言葉は、遠くに暮らす人々へ向けられていた。
上層部への照会とは別に、閲覧が許可された公的な通達が届いた。
エリゼーが見たのは、カール・ライスターの名を記した命令の存在を知らせる書面だった。
敵対する共同体への攻撃を命じたこと。
命令の発出が記録されたこと。
その二点は、明確に示されていた。
命令が現地でどのように実行されたか、誰が傷ついたかについては、そこには書かれていない。
エリゼーは通達を置き、息を吐いた。
知りたかったことを一つ確かめても、胸が軽くなるとは限らない。
* * *
午後、礼拝堂の門には数人の旅人が集まっていた。
別の地域へ帰る途中だという母子が、道を尋ねている。
子どもは足の皮を擦りむいていた。
ジャック・ランスロが座る場所を示し、近くにいた人へ水を頼んだ。
エリゼーは水を運ぶ役を引き受けた。
「向こう側から来たんですか」
エリゼーが問うと、母親は慎重に頷いた。
「境に近い村です」
どちらの共同体に属するのか、母親は言わなかった。
エリゼーも尋ねなかった。
子どもの靴の紐がほどけていた。
母親は結び直そうとして、片手で抱えた荷物を下ろせずにいる。
「私が荷物を持ちましょうか」
エリゼーが声を掛けると、母親は安堵して包みを差し出した。
ただし、受け取る前にエリゼーは、底をどこで支えればよいか確かめた。
「両手で下から。中身が偏っているんです」
言われたとおりに持つと、見かけほど重くない。
持ち方を教えてもらってよかったと思った。
その小さな確認が、旅の途中の親子にとっては必要な助けだった。
子どもは傷に水が触れると顔をしかめた。
「しみる?」
「少し」
「ゆっくりでいいわ」
エリゼーは布を差し出した。
この子どもが通達に書かれた命令を知っているはずはない。
しかし、命令の先にある土地では、こうして足を傷めながら歩く人がいる。
ふたつを勝手に同じ出来事として結ぶことも、別の世界のこととして切り離すことも、今の彼女にはできなかった。
* * *
母親は水を飲み、礼を言った。
「この子が歩けるところまで休んでよいですか」
「ええ。門のこちら側なら、しばらく大丈夫です」
ジャックが答えた。
母親はようやく荷物を下ろした。
エリゼーが濡れた包みを乾いた石の上へ移そうとすると、母親はそっと首を振った。
「中に割れやすいものがあるんです」
「では、ここに置きましょう」
エリゼーは布を下へ敷いた。
子どもは何か言いたそうに包みを見つめた。
「大切なもの?」
「おばあちゃんの皿」
母親が小さく笑った。
「そんなものを持って歩くなんて、と言われるでしょうね」
「言いません。運ぶ理由は、持ち主がいちばんよく知っています」
包みの形から皿は一枚らしかった。
壊さずに運びたいという願いは、紙の通達には現れない。
エリゼーは子どもに、水をもう一口飲むよう勧めた。
誰かが何を守って移動しているのかを、決める権利は自分にないと思った。
その袋には布が何枚も巻かれていた。包みを壊さず運び続けるため、途中で結び直した跡がある。
エリゼーは、幼い日に自分を救った人物の手を思い出した。
あの人が敵側の者だったと知ったあとも、自分の掌に残る温かさは変わらなかった。
その感覚を、敵味方という言葉では説明できなかった。
* * *
保管室へ戻り、エリゼーは通達の保管先を確かめた。
書面を別の目的に使うことはできない。命令の存在が確認できたことと、その命令を誰にどう説明するかは別の問題だ。
若い書記が尋ねた。
「失われた魔法は、命令への罰だったんでしょうか」
その問いは、ずっとエリゼーの胸にもあった。
しかし彼女は書記へ答えを渡さなかった。
「そう考えたくなることは、あるわ」
「でも?」
「そうだと決めたら、私たちは命令を受けた人たちのことを考えなくなるかもしれない」
書記は眉を寄せた。
「どういうことですか」
「罰が下ったから終わりだ、という話になってしまう。実際に何が起きたのか、どんな暮らしがあったのか、まだ知らないのに」
エリゼーは通達に手を置いた。
「神が何をなさったかを語る前に、人間が何を命じたかは、きちんと読まなくてはいけないと思う」
書記は黙って頷いた。
* * *
夕方、門前にいた母子はもういなかった。
座っていた石の縁に、乾いた布の切れ端が残っていた。
エリゼーはそれを拾い、近くのごみ籠へ入れた。
誰かの一日を記録に残すには、同じ場所にいるだけでは足りない。
だが、人を助けるために必要なことが、いつも記録であるわけでもない。
彼女は濡れた布を絞った手を見た。
高位聖職者の名より、その日、門で出会った子どもの声の方が鮮明に残っていた。
それは、二つの出来事の軽重を決めるものではない。
ただ、自分がどこに立っているのかを知らせていた。
命令の発出は確認されましたが、実際の攻撃の経過や魔法喪失との因果は未確定です。
命令の先にいる人を見失わない章にしました。




