第一部 灰の記憶 30 閉じる扉
第一部の終わりです。
扉を閉めることは、問いを閉じることではありません。
エリゼーが自分の責任として何を選ぶのかを描きます。
保管室の扉は、最後に閉めるときだけ、重い音がした。
朝には何度も人が通り、昼には紙と荷が運び込まれる。
けれども夜になると、その大きな扉は、部屋にあるものの重さを思い出したように動く。
エリゼーは机の上の紙を一枚ずつ片づけた。
受領した三通の報告。
その所在を記した札。
自分が書いた照会の覚え書き。
何が原本で、何が写しで、何が自分自身の疑問なのか。
混ざらないように、置き場所を分けた。
* * *
若い書記が最後の棚を見回した。
「これで終わりですか」
エリゼーは答える前に、机の端に置かれた封を見た。
「今日の仕事は、ここまで」
「この件は?」
書記は、カール・ライスターの報告の方へ目を向けた。
「まだ終わっていないわ」
彼女がそう言うと、書記は不安そうにした。
「問題があるんですか」
エリゼーは、しばらく考えた。
「問題がある、とまでは言えない。ただ、確かめたいことがあるの」
「誰に?」
「まずは、報告を作った手順を知っている人へ」
書記は安心したようでも、まだ腑に落ちないようでもあった。
「その先は?」
「返事を読んでから考えるわ」
エリゼーは、そこで言葉を止めた。
今の自分には、それ以上の答えがなかった。
* * *
帰り支度をした書記が戸口で振り返り、遠慮がちに尋ねた。
「先生は、答えが来なかったら、どうしますか」
エリゼーはすぐに答えなかった。
「次に尋ねられる手順を確かめるわ。それでも答えが来ないなら、来ないという経過を残す」
「いつまでですか」
その問いにだけは、今でも答えられないだろう。
「分からない。ただ、わたしたちのあとに読む人が困らないようにしたいの」
書記は一度うなずいた。
「では、明日も来ます」
「ええ。明日も」
短い挨拶を交わす。
それだけで、明日ここに別の手があることをエリゼーは確かめられた。
書記が帰ったあと、彼女は一人で棚の間を歩いた。
背の高い木の枠が、暗がりに細い道を作っている。
ここへ初めて来た頃、棚の高さに驚いたことを思い出した。
埃を払おうとして、動かしてはならない箱へ手を伸ばした。
親切のつもりで、人が探す場所を変えてしまうところだった。
それから長い年月が過ぎた。
エランのことを思った。
彼が何を必要としていたか知る前に、彼のための答えを決めようとした。
今も、時折、あの頃と同じ手をしている気がする。
一つの出来事に、早く説明を与えたい。
説明できれば、それを正す方法も見つかる気がする。
けれども、別の人の人生を自分の答えで埋めてしまったら、取り返せないこともある。
彼女は棚の札を確かめてから、一冊の帳面の背へ触れた。
動かさない。
今日は、それが必要な仕事だった。
* * *
外では祈りの鐘が鳴っていた。
石壁を通して、低い音が部屋へ届く。
エリゼーは窓際に立った。
人々はあの鐘を聞き、足を止めたり、祈ったり、何もせず通り過ぎたりするだろう。
誰に魔法が与えられ、誰には与えられないのか。
自分がどれだけ正確に祈っても、力が現れない理由は、いまも分からない。
それでも、祈る人々の声を無意味だとは思わなかった。
あの灰の道で手を差し伸べた人のことを、思い出す。
名前を知らない。
どこで生きているのかも分からない。
ただ、彼女の手を引く力が、確かに存在した。
分からないものがあっても、そこに誰かがいたという事実は残る。
彼女はそれを守る仕事を選んだのだった。
* * *
棚に戻る途中、保護紙の端が机からわずかに突き出していることに気づいた。
エリゼーはそれを正し、記録が擦れないよう角をそろえた。
力を失った聖職者の報告も、避難してきた人々の名前も、ここでは紙という同じ形をしている。
だからといって、その紙を生み出した苦しみや生活が同じになるわけではない。
並べて読めることと、一つの答えにまとめてよいことは違う。
エランの声を思い出す。
「僕が何をしたいか考える前に、答えが決まっていることがある」
胸がかすかに痛んだ。
今度こそ、知らないことを知らないまま残すところから始めたい。
彼女は写しの頁を閉じた。
机へ戻ると、照会の文を清書した。
異変を最初に確認した者。
伝達された時刻の根拠。
その確認に用いた記録の所在。
必要な項目を簡潔に並べ、正式な手順に従って提出できる形に整えた。
誰かを責める言葉はない。
だが、答えが戻れば、次に確かめるべきことが生まれるかもしれない。
そしていつか、書類を作った者の先にいる人間へ、自分の言葉で問いかけなければならない日が来るかもしれなかった。
エリゼーは署名する前に、筆を止めた。
自分が知りたいから尋ねるのか。
記録を守りたいからか。
傷ついた人々を救うためなのか。
どれか一つだけを選んでも、正直ではないように思えた。
すべてを胸に残したまま、名を書いた。
エリゼー・ロタスト。
紙の上の文字が乾くまで待ち、所定の差し出し口へ文書を置いた。
明日の係が受け取るだろう。
いつ返事があるかは分からない。
返事がなかったとき、どうすべきかも、まだ決めていなかった。
しかし今日、彼女は一つの仕事を終えた。
扉の鍵を回す。
木と金具がかみ合い、低い音がした。
部屋の中には、人の名前と、まだ答えのない言葉が残っている。
廊下の奥には、夜番の人が灯す小さな明かりがあった。
エリゼーはその下を通り、外へ続く階段を降りた。
石段は濡れている。
足を置く位置を、一段ずつ確かめる。
幼い日に灰の道を歩いたとき、彼女の歩幅に合わせてくれた人がいた。
今の自分は、その人の名さえ知らない。
それでもその人がいたから、こうして自分の足で歩いている。
答えがないまま受け取ってきたものは、祈りだけではなかった。
もし明日、文書に何も新しい記載が加わらなくても、今日の問いが無意味になるわけではない。
彼女は立ち止まらず、残りの段を降りた。
夜の風が頬に当たった。
今日も魔法は起こらなかった。
しかし、彼女は明日、自分の手で扉を開けることができる。
その当たり前のことが、少しだけ頼もしかった。
第一部「灰の記憶」はここで一区切りです。
エリゼーは過去への悔いを消したのではなく、決めつけずに問いを進める道を選びました。
魔法喪失の原因と記録の大きな矛盾は第二部へ続きます。




