1-6 まずは、休め
コーネリアが目を覚ましたと聞いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
医師からは、しばらく安静にさせるよう言われている。熱もある。極度の疲労と睡眠不足、それに食事が十分に取れていないことも重なっているらしい。
命に関わるような状態ではない。
それを聞いて、エルンストはひとまず安心した。
安心したのだが。
寝室へ入ると、コーネリアは寝台の上に起き上がっていた。
背筋を伸ばしている。
きちんと両手を膝の上に揃え、こちらを待っていた。
「……寝てろって言われなかったか?」
「申し訳ありません」
早速これだった。
エルンストは何か言いかけ、やめた。
怒るな。
今日は話をする。
そのために、念のため家令まで連れてきたのだ。
寝台の脇へ椅子を置かせ、腰を下ろす。家令は少し離れたところに立った。
「コーネリア」
「はい」
呼ぶと、肩がわずかに強張った。
顔色はまだ悪い。
それでも朝よりはいくらかましに見える。
「朝のことなんだけど」
「はい」
「……そんな顔すんなよ」
さらに強張った。
失敗した気がした。
「いや、怒りに来たわけじゃない」
「はい」
返事だけはする。
だが、どう見ても安心していない。
視線は膝の上へ落ちている。指先がわずかに強く重なっていた。
「今朝は、大変なご迷惑をおかけいたしました」
「それ」
エルンストは眉を寄せた。
「それだよ。別に迷惑かけたから怒ってるわけじゃない」
「ですが、食事の席で意識を失うなど、侯爵夫人として――」
「そこじゃねえって」
コーネリアの口が閉じた。
また顔が白くなる。
「……悪い。今のも怒ってない」
難しい。
何を言っても怯えさせている気がする。
エルンストは頭を掻いた。
「とりあえずさ」
できるだけ声を落とす。
「別に、朝倒れたくらいでお前を追い出したりしねえから」
コーネリアが顔を上げた。
目を見開いている。
朝の様子から半分勘で言ったが、当たっていたらしい。
エルンストはため息をついた。
「やっぱりそれ考えてたのかよ」
「……申し訳ありません」
「だから謝るなって」
言ってから、また肩が強張る。
「……もういい。いや、もういいっていうのは話をやめるって意味じゃないからな」
自分で言っていて何をしているのか分からなくなってきた。
後ろで家令が小さく息を吐いた気がした。
「とにかく。倒れたからって追い出さない。具合が悪くても追い出さない。今日何もできなくても追い出さない。分かった?」
しばらくして。
「……はい」
返事はあった。
しかし、どうにも腑に落ちていない顔だった。
伝わっているのだろうか。
エルンストにはまるで自信がなかった。
「まずは少し身体を休めろ。医者にも言われただろ」
「はい。体調管理もお役目のうちと承知しております。今後はこのようなことがないよう、十分に注意いたします」
「…………」
違う。
たぶん違う。
いや、絶対違う。
「そういう話じゃねえんだけどな……」
「では、どのようにすればよろしいでしょうか」
真面目な顔で聞かれた。
エルンストは額を押さえた。
どのようにと言われても、寝て食って治せとしか言いようがない。
「お前さ」
朝からずっと引っかかっていたことを思い出した。
「半月くらい、まともに寝てないんだって?」
コーネリアが少し考えた。
「毎日、就寝はしております」
「何回も起きてるんだろ」
「……はい」
「飯も食えてない」
「食事は毎日いただいております」
「量が減ってるって聞いた」
「……以前よりは」
「吐いてる」
沈黙した。
「それで今朝、あの熱だろ」
「はい」
「なんで動けるんだよ」
純粋な疑問だった。
あれだけ条件が揃っていれば、普通はもっと前に寝込んでいる。
ましてコーネリアは、見るからに丈夫な身体ではない。
ところが本人は、今朝まで毎日普通に歩き回っていた。
コーネリアがきょとんとした。
「身体強化を使用しておりますので」
「……は?」
「それと、感覚鈍化を」
「感覚鈍化?」
「はい。頭痛や吐き気が強い時は、少し遠ざけております」
あまりにも当然のように言う。
エルンストはしばらく言葉が出なかった。
「いつ?」
「いつ、とは」
「その魔術。いつ使ってんだよ」
「必要な時に」
「だから最近だよ」
「……朝、起きてからです」
嫌な予感がした。
「いつ切る?」
「就寝前に」
「…………」
エルンストはコーネリアを見た。
コーネリアもこちらを見ている。
何がおかしいのか分かっていない顔だった。
「そんなもん四六時中使って、無理やり身体動かす奴がいるか!」
声が響いた。
しまった、と思った時には遅かった。
コーネリアの身体がびくりと震えた。
一瞬で顔から血の気が引く。
「申し訳ありません」
「いや」
エルンストはすぐに声を落とした。
「今のは俺が悪かった」
「申し訳――」
「違う。お前じゃなくて俺が悪かったって言ったんだ」
「……はい」
「いや、でもさ」
どうしても納得できない。
「普通やらないだろ、そんなこと。具合悪いの分かってて、魔術で感じなくして動くって――」
「旦那様」
横から静かな声が入った。
エルンストは口を閉じた。
家令がこちらを見て、それからコーネリアへ向き直った。
「……何だよ」
「旦那様は、奥様をこれでも心配されているのです」
「これでもって何だ」
「そのままの意味でございます」
コーネリアが家令を見た。
それからエルンストを見る。
「……しんぱい」
ひどく不思議そうだった。
エルンストは眉を寄せた。
「何だよ」
「いえ」
また視線が落ちる。
けれど先ほどまでとは少し違った。
何か、聞いたことのない言葉の意味を考えているような顔だった。
「……わたくしを、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「……そう、なのですか」
何だその反応は。
そう思ったが、今度は口にしなかった。
家令がいる意味は、わかっている。
「奥様」
代わりに家令が穏やかに声をかけた。
「まずは、魔術をお切りください。今のお身体では、維持すること自体がご負担かと存じます」
コーネリアがわずかに迷うそぶりをした。
「ですが、切ってしまうと多分……」
「多分?」
エルンストが聞く。
「起き上がれないかと思います」
「…………は?」
コーネリアは至って真面目だった。
「身体に、あまり力が入りませんので」
「だからなんでそんな身体で今まで――」
「旦那様」
「分かってる!」
止められた。
エルンストは大きく息を吐いた。
怒鳴るな。
怒鳴ると怯える。
今朝分かったばかりなのに、もう二回目だ。
「……いいから、切れ」
コーネリアの肩が少し揺れた。
エルンストは言い直す。
「切っていい。今は動かなくていいから」
「ですが」
「俺がいる。ルートもいる。起きてられなくても困らない」
コーネリアはしばらく黙っていた。
それから家令を見る。
家令が頷いた。
ようやく。
「……承知しました」
コーネリアが目を閉じた。
ほんの数秒だった。
見た目には、何も起こっていないように思えた。
次の瞬間。
身体が傾いた。
「おい!」
エルンストは反射的に立ち上がった。
肩を掴む。
支える。
コーネリアの身体は、ほとんど抵抗なくこちらへ倒れてきた。
「ちょ、待て。本当に起きてられないのかよ」
「……もうしわけ、ありません」
声まで違った。
さっきまでの張った声ではない。
小さく、力がない。
「枕。背中に何か入れろ」
家令がすぐに侍女を呼んだ。
枕を重ね、そこへコーネリアの身体を預ける。
それでも姿勢を保つのがつらいのか、少しずつ横へ傾く。
エルンストは仕方なく肩へ手を添えたままにした。
「……大丈夫か?」
「…はい」
「いや、もうそれ信用しねえぞ」
コーネリアがわずかに目を瞬いた。
その直後。
「……っ」
口元を押さえた。
さらに青ざめる。
「おい」
「もう、し、わけ……」
「吐きそう?」
小さく頷く。
家令がすぐに容器を用意させた。
エルンストは呆然とコーネリアを見た。
身体強化を切っただけだ。
それだけで、まともに座っていることすらできない。
頭が痛い。
吐き気がする。
熱がある。
眠れていない。
食べられていない。
その全部を魔術で押さえ込んで、今朝まで普通の顔をして歩いていた。
「……本当に病人じゃねえか」
思わず呟いた。
なんとか戻すのは堪えたらしいコーネリアが、また身を固くした。
「…もうしわけ、ありません」
「いや、違う」
もう何度目か分からない。
「責めてねえよ」
そう言ってから、エルンストは改めて目の前の女を見た。
淡い金髪。
青ざめた小さな顔。
細い肩。
寝台へ身体を預けなければ座っていることさえできず、それでも謝ることだけは忘れない。
これを。
自分は一か月前、何だと思っていたのだったか。
粗暴。
男勝り。
気性が荒い。
騎士の真似事をする、扱いにくい女。
実際にやって来たコーネリアを見ても、どこかでその印象を引きずっていた。
何か言いたげにこちらを見る目を、反抗的なのかと思った。
妙に硬い態度を、可愛げがないと思った。
謝ってばかりいるのを、変な女だと思った。
「……俺、目悪かったのかな」
「何か仰いましたか」
「何でもない」
家令だけが聞いていたらしい。
そちらを見ると、何とも言えない顔をされた。
エルンストは無視した。
「コーネリア」
「…はい」
「とりあえず寝ろ」
また少し身体が強張る。
「話はそれからだ」
「ですが――」
「まずは魔術なしでも座ってられるくらいには身体戻せ。それまでは何もしなくていい」
「……なにも」
「しなくていい」
コーネリアが黙った。
やはり、どうにも不安そうだった。
だからエルンストは少し考えた。
自分なりに、できるだけ誤解されない言葉を探す。
こういうことは得意ではない。
それでも、言っておいた方がいいと思った。
「俺はさ」
コーネリアがこちらを見る。
「病人を、具合悪くなったからって追い出すような奴じゃないから」
その目が少しだけ大きくなった。
「今日寝てても、明日動けなくても、それでお前を実家に返したりしない」
一度言葉を切る。
「だから、まあ……信じろ」
精一杯だった。
これ以上うまい言い方は思いつかない。
コーネリアは何も言わなかった。
ただ、ひどく戸惑った顔でこちらを見ていた。
伝わったのか。
やはり分からない。
「……分かった?」
しばらくして。
「……はい」
小さな返事があった。
絶対分かってないな、とエルンストは思った。
それでも今日は、それでいいことにした。
「じゃあ寝ろ」
「はい」
今度は少しだけ素直だった。
エルンストは椅子へ座り直した。
とりあえず。
話をするには、この妻はあまりにも具合が悪すぎる。
そのことだけは、ようやく分かった。




