1-2 望まない花嫁
エルンストは、結婚する気などなかった。
少なくとも、今ではなかった。
父が急死し、侯爵位を継いで、ようやく二年になる。領地には片づける問題が山ほどあり、王都との折衝もある。そんな時期に、叔父が縁談を持ってきた。
相手はコーネリア。由緒ある家の一人娘。
家格だけなら悪くない。
その後に聞かされた話がひどかった。
幼い頃から男のように育てられ、ドレスより騎士服を好み、令嬢らしい教育もろくに受けず、男たちに混じって剣を振り回していたという。
気が強い。粗暴。男勝り。社交にもほとんど出ていない。そして父親自身が娘を疎んじている。
「そんな女を、なんで俺がもらわなきゃならないんだ」
何度言っても、結局叔父に押し切られた。
婚姻の日が近づくにつれ、エルンストの中では勝手に花嫁の姿が出来上がっていた。
大柄で肩幅が広く、下手をすれば自分と同じくらい背がある。ドレスを着せても似合わず、気に入らなければ使用人を怒鳴りつけるような女。
剣でも腰に差して馬車から降りてくるかもしれない。
実際に馬車から降りてきた女を見て、エルンストは黙った。
小さい。
最初に思ったのは、それだった。
自分よりずっと低く、細い。色の薄い金髪をきちんと結い上げ、落ち着いたドレスを身につけている。印象的な青銀の瞳にずっと通った鼻筋、小さな唇。顔立ちも派手ではないが整っていた。
どこからどう見ても貴族令嬢だった。
少なくとも、想像していたゴリラのような女ではない。
それだけで少し気が楽になった。
コーネリアはこちらへ歩いてくる。
妙にゆっくりだった。一歩一歩、歩幅を測っているように見える。
適切な距離で止まり、礼をする。
「初めまして、旦那様。コーネリアと申します。至らぬところも多いかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「……聞いてたのと、ずいぶん違うな」
思わず口から出た。
コーネリアの表情が止まった。
「……申し訳ありません」
「いや。別に謝れって意味じゃねえよ」
「失礼いたしました」
また謝った。
エルンストは眉を寄せた。
変な女だと思った。
見た目は想像よりずっとましだった。ただ、何かがおかしい。
「……まあいい。疲れただろ。今日は休め」
「はい。ありがとうございます」
綺麗に微笑む。だが妙に作り物めいて見えた。
翌朝もコーネリアはきちんとしていた。
「おはようございます、旦那様」
向かいに座り、背筋を伸ばして静かに食事をする。
男勝り。粗暴。気性が荒い。剣を振り回す。
今のところ、その片鱗すらない。
ただし、やはり時々おかしかった。
「…………」
「何?」
向かいからじっと見られていることに気づいて顔を上げる。
コーネリアが一瞬固まった。
「申し訳ありません」
「いや、だから何?」
「……何でもありません」
「何でもないなら、そんな見んなよ」
「はい。失礼しました」
目を伏せる。
何なのだ。
言いたいことがあるなら言えばいい。食事が気に入らないのか、この家が気に入らないのか。
望まない結婚なのは向こうも同じだろう。別に仲のいい夫婦を演じろとまで言うつもりはない。
ただ、何か言いたげな顔でこちらを見て、聞けば何でもないと言われるのは正直あまり感じがよくない。
三日もすると、使用人たちから報告が上がり始めた。
「今のところ、大きな問題はございません」
「ほんとか?」
「はい」
「使用人に無茶言ったりしてない?」
「ございません」
「勝手に剣振り回したり」
「なさっておりません」
「怒鳴ったりは?」
「むしろ、非常に静かでいらっしゃいます」
家令によれば、コーネリアは侯爵夫人として必要なことを熱心に覚えようとしているらしい。
家政について説明すれば細かく質問する。領内について資料を渡せば、翌日にはほとんど頭に入っている。注意されたことを二度繰り返すこともほぼない。
「普通のご令嬢がすでにご存じのことをご存じない場合はございますが、覚えは非常によろしいかと」
「へえ」
「領地の主要な産業についても、すでに一通り把握なさいました」
「もう?」
それは素直に感心した。
「真面目ではあるのか」
「そのようにお見受けいたします」
少なくとも、押しつけられた婚姻だからと好き勝手に振る舞う女ではないらしい。
「奥様は、かなり緊張なさっているのではないでしょうか」
年嵩の侍女が言った。
「緊張?」
「はい。まだお越しになって数日でございますし」
「そんな殊勝な女か?」
侍女が微妙な顔をする。
「……旦那様」
「何だよ」
「いえ」
聞いていた話では、もっと気の強い女だった。
「噂がすべて正しいとは限りませんので」
「まあ、そうだけど」
実物が噂とはかなり違うことは分かる。それでも警戒は残っていた。
叔父が強引に勧めてきた婚姻だ。大人しく見えるからといって簡単に信用するのも違うだろう。
四日目の夕食。
コーネリアはまた時々こちらを見ていた。
顔を上げる。目が合う。コーネリアの手が止まる。
「……何だよ」
「申し訳ありません」
「だから何で謝るんだよ」
「失礼しました」
「いや、そうじゃなくて。何か言いたいことがあるなら言えよ」
コーネリアは黙った。
「何?」
「……いえ。何でもありません」
「何でもないなら、いちいちそんな顔すんなよ」
言ってから、少し強かったかと思った。
コーネリアの顔から表情が消えた。だが、それも一瞬だった。
「申し訳ありません」
またそれだ。
「もういい」
「……はい」
それきり一度もこちらを見なかった。
妙に静かな夕食だった。
翌朝、コーネリアは何事もなかったように食堂へ来た。
「おはようございます、旦那様」
「……おう」
昨日より顔色が悪いような気はした。
だが普通に歩き、普通に座っている。
「昨日の」
言いかけると、コーネリアの手が一瞬止まった。
「はい」
「……いや。何でもない」
「……承知しました」
妙な間があった。
やっぱり何か言いたげだった。
「何?」
「いえ」
またか。
エルンストはため息をついた。
コーネリアの指先が少し強くナイフを握ったことには気づかなかった。
食事がほとんど減っていないことにも。
その日、家令からまた報告を受けた。
「奥様は本日、領内の冬支度について確認なさいました」
「もうそこまでやってんの?」
「はい。昨夜のうちに、昨年度の資料にも目を通されたようです」
「昨夜?」
「そのようです」
「……寝ろよ」
家令がこちらを見る。
「旦那様からお伝えになりますか?」
「なんで俺が」
「旦那様ですので」
「いや、そりゃそうだけど」
そこまで面倒を見る必要があるのだろうか。子供ではない。疲れたら自分で寝るだろう。
真面目に取り組んでいること自体は悪くない。
「放っとけ。無理なら自分でやめるだろ」
「……承知いたしました」
結婚して一週間。
エルンストのコーネリアに対する評価は少しだけ変わっていた。
少なくとも聞いていたような粗暴な女ではない。
見た目は普通の令嬢。むしろ小柄で大人しく見える。
仕事は真面目。覚えもいい。使用人への態度にも問題はない。侯爵夫人として役に立とうという意思もあるらしい。
だから、最初に想像していた最悪の結婚ではないのかもしれない。
ただ。
「……何なんだろうな、あいつ」
妙な女だった。
何か言いたげにこちらを見る。聞けば何でもないと言う。すぐ謝る。時々、こちらが何か言うだけで妙に固くなる。
それなのに翌日には何事もなかったような顔で現れる。
「俺のこと嫌いなら、別に嫌いでいいんだけどな」
政略結婚なのだから、お互い役目を果たせばそれでいい。
向こうだって、そのつもりなのだろう。
実際、役目を果たそうとはしている。
それなら当面は十分だ。
エルンストはそう結論づけ、仕事へ戻った。
同じ頃、廊下の向こうをコーネリアが歩いていた。
いつも通り、教えられた通りの狭い歩幅で。背筋を伸ばしすぎないよう注意しながら。
朝から続く頭痛は感覚鈍化で遠ざけていた。胃の気持ち悪さも、もう気にならない程度になっている。
先ほどエルンストと目が合った時、眉間に皺が寄った。
何か間違えただろうか。
けれど、聞いてまた機嫌を損ねるのもよくない。
今日はもう少し、自然に笑えるよう練習しよう。
そんなことを考えているとは、エルンストは知る由もなかった。




