↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/26

4-1 安全な寝室

同じ寝室で眠るようになって、もう随分経った。


最初の頃は、隣に誰かがいるというだけで何度も目を覚ました。エルンストが寝返りを打てば気づいたし、掛布が擦れる音にも反応した。目が覚めるたびに時刻を考え、翌日の予定を思い出し、まだ起きる時間ではないと分かってから、もう一度目を閉じていた。


けれど最近は、それも減っている。


夜中に一度も目を覚まさず、朝まで眠る日さえあった。


目が覚めても、隣からエルンストの呼吸が聞こえれば、それでよかった。何も起きていない。まだ眠っていていい。そう思って、もう一度目を閉じられるようになった。


寝室の警備も見直した。


最初の襲撃以降、屋敷の警備体制にはいくつもの変更が入っている。巡回の経路、時間、夜間の人員配置。寝室から警備の詰所へ直接異常を知らせる呼び鈴も確認した。


エルンストと同じ寝室を使えば、守るべき場所も一つになる。


だからここは、以前よりずっと安全なはずだった。


その夜、コーネリアは夢を見なかった。


深く眠っていた。


だから。


目を覚ますのが、ほんの少し遅れた。


何がきっかけだったのかは分からない。


音がしたような気もする。


床板が僅かに鳴ったのかもしれない。あるいは、閉じていた空気が動いたのか。


コーネリアは目を開けた。


まだ暗い。


窓から差し込む月明かりだけが、寝室の床を淡く照らしている。


一瞬。


いつものように、隣から呼吸が聞こえた。


旦那様がいる。


そう認識して、もう一度目を閉じかけた。


その時だった。


月明かりが、途切れた。


コーネリアの目が開く。


人影があった。


寝室の中に。


考えるより先に身体が動いた。


上体を起こす。


その動きに気づいたのか、人影も止まった。


窓から入る僅かな光を、鈍いものが反射する。


剣。


眠気が消えた。


「旦那様!」


声を上げると同時に、コーネリアは寝台を降りた。


身体強化をかける。


男がこちらを向いた。


顔の下半分を布で覆っている。


知らない顔だった。


少なくとも、屋敷の使用人や警備兵として見覚えはない。


コーネリアは男と寝台の間へ入った。


「旦那様、起きてください!」


返事がない。


男が踏み込んだ。


剣が横薙ぎに振られる。


コーネリアは半歩下がって刃を避け、そのまま男の外側へ回った。


追撃。


今度は身体を沈める。


頭上を剣が通過した。


遅い。


そう思った。


グレアムよりずっと遅い。


剣筋も読める。


間合いも分かる。


武器さえあれば、難しい相手ではない。


武器がなくても。


寝台には厚い掛布がある。椅子もある。燭台もある。布を腕へ巻いて刃を受けてもいい。相手の手首を取ることも、おそらくできる。


倒せる。


そう判断したところで。


別の言葉が浮かんだ。


――一人で戦うな。


エルンストに言われた言葉だった。


前回の襲撃の後、何度も言われた。


危険なことをするなとは言わない。


お前が戦えることも分かった。


それでも、何かあったらまず人を呼べ。


一人で全部やろうとするな。


そう言われた。


「旦那様!」


もう一度呼ぶ。


返事はない。


おかしい。


いつものエルンストなら、最初の声で目を覚ます。


朝は寝台からなかなか出たがらないが、目覚めそのものが悪いわけではない。それをコーネリアはもう知っている。


まして今は、自分が大声を上げている。


男の剣が寝台の柱を掠め、硬い音を立てた。


それでも。


エルンストは動かなかった。


寝返りさえ打たない。


「旦那様……?」


ほんの一瞬、そちらへ意識が向いた。


男が踏み込む。


コーネリアは身体を捻った。


刃が寝衣の袖を掠める。


そのまま反撃しかけて。


止めた。


まず、人を呼ぶ。


エルンストの声が蘇った。


寝室の入口を見る。


呼び鈴は扉の脇にある。


壁際から垂れた紐を引けば、警備の詰所で鐘が鳴る。


第一の襲撃の後、自分でも確認した。


寝台から、およそ十メートル。


普段なら数秒もかからない距離だった。


コーネリアは床を蹴った。


男が追う。


背後で足音。


振り向かない。


扉まで半分。


男が横から回り込んできた。


剣が振られる。


身を沈める。


そのまま抜けようとしたところで、肩からぶつかられた。


「っ……」


身体が弾かれる。


床へ片手をついた。


すぐに立つ。


痛みはない。


問題ない。


寝台を見る。


エルンストは、まだ同じ姿勢で眠っていた。


胸が規則正しく上下している。


呼吸はしている。


けれど、静かすぎる。


いつもの寝息ではなかった。


最近は、夜中に目を覚ました時、その呼吸を聞いて、安心していた。


眠っている。


ここにいる。


何も起きていない。


だから、自分も眠っていい。


そう思えた。


けれど今は。


呼んでも起きない。


家具が鳴っても起きない。


剣が柱へ当たっても、身じろぎ一つしない。


眠りが深いだけではない。


胸の奥が、すっと冷えた。


「……薬」


小さく声が漏れた。


いつ。


夕食か。


その後に飲んだものか。


寝る前か。


分からない。


考えている暇はなかった。


男がまた来る。


コーネリアは横へ避けた。


今度は椅子を蹴り倒す。


男との間へ滑り込んだ椅子が、足を止める。


その隙に走る。


呼び鈴へ。


あと五メートル。


おかしい。


そう思った。


ここまで音を立てている。


自分は何度も叫んだ。


剣も家具も音を立てた。


それなのに、廊下から誰も来ない。


夜間の警備配置は確認した。


寝室の周囲から完全に人がいなくなる時間はない。


巡回の間隔も短くした。


何かあれば、すぐに誰かが来る。


そのために変えた。


変えたはずだった。


男が椅子を蹴り退けた。


コーネリアは扉を見る。


誰も来ない。


旦那様も起きない。


警備も来ない。


偶然ではない。


外から侵入した男が一人いる。


それだけではない。


屋敷の中で、何かが起きている。


その可能性を認識した瞬間、頭の中でいくつもの選択肢が開いた。


男を倒す。


剣を奪う。


窓から外へ出る。


エルンストを抱えて逃げる。


誰が敵か分からない以上、警備そのものを信用しない。


どれもできる。


少なくとも、試すことはできる。


けれど。


――まず、人を呼べ。


エルンストの声が、記憶の中で響いた。


一人で戦うなと言われた。


まず人を呼べと。


この屋敷の全員が敵だと決まったわけではない。


警備の詰所まで掌握されているとも限らない。


呼び鈴が鳴れば、誰かが来るかもしれない。


旦那様が、そうするようにと言ったのだ。


ならば。


まずは、呼ばなければならない。


男が踏み込んでくる。


コーネリアは寝台へ手を伸ばした。


厚い掛布を掴み、一気に引き剥がす。


眠ったままのエルンストの身体が露わになった。


ほんの一瞬、躊躇する。


寒いかもしれない。


そんな考えが浮かんだ自分に、コーネリアは驚いた。


今は、それどころではない。


広げた掛布を男へ投げつける。


視界が塞がれた。


その瞬間、脚へ強化を集中させる。


床を蹴った。


一気に加速する。


あと五メートル。


背後で布が裂ける音。


あと三メートル。


風を切る音が近づく。


避ければ、呼び鈴から離れる。


コーネリアは前へ出た。


左肩に熱が走った。


「っ……!」


身体が揺れる。


寝衣が裂け、遅れて鋭い痛みが来た。


温かいものが腕を伝う。


浅い。


腕は動く。


なら、問題ない。


あと二歩。


壁へ身体ごと飛び込むようにして、手を伸ばす。


指先が紐へ触れた。


掴む。


そのまま、力いっぱい引いた。


壁の中で、仕掛けが動く感触がした。


遠く。


ほんの僅かに。


鐘の音が聞こえた気がした。


「……届いた」


息を吐く。


これで、人が来る。


そう思った。


次の瞬間。


背後の足音が、遠ざかった。


コーネリアは振り返る。


男がこちらを見ていない。


向かっているのは。


寝台。


眠ったままのエルンスト。


コーネリアの呼吸が止まった。


男が剣を持ち上げる。


その刃の下で、エルンストはまだ静かに眠っていた。


「――旦那様!」


何も考えなかった。


人を呼べとも。


一人で戦うなとも。


自分が武器を持っていないことも。


身体強化を限界まで引き上げる。


床を蹴った。


十メートルの距離が、一瞬で消えた。


男の剣が振り下ろされる。


間に合わない。


剣を受けるものはない。


逸らす時間もない。


コーネリアはそのまま寝台へ飛び込んだ。


エルンストの身体へ覆いかぶさる。


眠ったままの頭を胸元へ抱き込み、首と胸を自分の身体で隠す。少しでも覆える範囲を広げるように、背中を男へ向けた。


直後。


背中を、何かが走った。


熱い、と感じたのは最初だけだった。


次の瞬間には、身体の奥まで突き抜けるような激痛に変わった。


「――っ、ぁ……!」


息が止まる。


視界が白くなる。


身体が大きく揺れた。


腕から力が抜けそうになる。


けれど、離してはいけない。


コーネリアはエルンストの頭を抱えたまま、さらに身体を丸めた。


痛い。


背中なのは分かる。


深い。


呼吸をすると、傷の奥まで引き攣れるように痛む。


温かいものが急速に寝衣を濡らしていく。


それでも。


腕の中にあるエルンストの頭には、何も当たっていない。


首も。


胸も。


自分の身体で隠せている。


もう一度、剣が来るかもしれない。


守らなければ。


身体を起こさなければ。


男の位置を確認して。


次は。


そう考えたはずだった。


けれど、身体が動かなかった。


強化がうまく入らない。


指先の感覚が遠い。


視界の端から、急速に暗くなっていく。


まずい。


そう思った。


意識を失えば、旦那様を守れない。


「だん、な……」


声が続かなかった。


その時。


遠くで扉が開く音がした。


誰かが叫んでいる。


一人ではない。


複数の足音が、寝室へ雪崩れ込んでくる。


金属のぶつかる音。


怒号。


誰かが自分の名を呼んだ気がした。


来た。


呼び鈴は、届いた。


それなら。


旦那様は。


コーネリアは腕の中の身体を確かめようとした。


指に力を込める。


動かなかった。


けれど。


頬のすぐそばで、呼吸が聞こえた。


静かな呼吸。


いつも、夜中に目を覚ました時に聞いていたものとは少し違う。


不自然なほど深く。


呼んでも、揺すっても目を覚まさなかった呼吸。


それでも。


息をしている。


生きている。


旦那様は、ここにいる。


よかった。


その一つだけを残して、コーネリアの意識は途切れた。


読んで頂きありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。