3-7 旦那様の叔父上
警備の見直しを始めてから、コーネリアが目を通す書類はずいぶん増えた。
最初は屋敷の見取り図と現在の巡回表だけだった。それが過去の配置記録になり、門の出入りを記した帳簿になり、使用人の採用記録や商会との契約書にまで広がっている。
今ある警備には、それぞれ今の形になった理由があるはずだった。
侵入を防ぐために閉じた通路が、火災時の退路だったかもしれない。人員を増やした場所があれば、その分だけどこかが薄くなっているかもしれない。理由を知らずに目についた穴だけを塞げば、別のところへ新しい穴を作る。
だからコーネリアは、変更された時期と理由を一つずつ確認していた。
「……やはり、この辺りからですね」
机いっぱいに広げた記録を見比べながら呟くと、向かいにいたルートヴィヒが顔を上げた。
「何かございましたか」
「いえ。逆です。十年ほど前から、急に記録が詳しくなっています」
古い帳簿を一冊、その隣へ新しいものを並べる。
十五年前の記録はひどく簡素だった。
誰が勤務していたのか。何時に交代したのか。それだけは辛うじて分かるが、配置を変更した理由までは残っていない。新しく雇われた者についても、名前と出身地しか記載されていないものがある。
それが十二、三年前から少しずつ変わり始める。
紹介者。
身元の確認先。
採用を許可した者。
警備配置を変更した理由。
商人であれば、誰の許可で屋敷のどこまで立ち入れるのか。
現在とまったく同じではないが、必要な情報を後から辿れるようになっていた。
「この頃に、書式を改めたのでしょうか」
「おそらくは。私がこちらへ参りました時には、既に現在に近い形でございました」
「では、それ以前については分からないのですね」
「申し訳ございません」
「いえ。記録していなかったものは、今からでは仕方ありません」
十年以上前の書類だけを見れば、不備はいくらでも出てくる。
けれど、それを誰かの怠慢だと決めつけることはできない。
単に、当時は記録する決まりがなかったのかもしれない。
コーネリアの実家でも似たようなことはあった。昔から続く仕事ほど、誰もが当然のように知っていることが記録に残されていない。代替わりや担当者の交代をきっかけに初めて問題になり、少しずつ書式が整えられていく。
だから古い記録については、分かる範囲で確認するしかない。
問題は、その後だった。
「こちらは三年前ですね」
一枚の記録を抜き出す。
裏門の出入りについてのものだった。
通常、夜間の出入りには事前の申請が必要になる。急用であればその限りではないが、その場合も翌日に理由と許可した者を記録する。
ところが、一人の商人だけが何度か深夜に門を通っていた。
理由の欄は空白。
許可者も記載されていない。
ただし備考に、ディートリヒの名があった。
コーネリアは、その名前を見つめた。
数日前にエルンストから聞いたばかりだ。
先代侯爵が亡くなったあと、若くして家を継いだエルンストを支えた叔父。
人員を整え、取引先を紹介し、領内の事情を教えた人。
そして。
自分とエルンストの縁談をまとめた人。
「……こちらもです」
別の採用記録を見つけた。
二年前。
通常なら、紹介者とは別に身元を確認した記録が残る。
それがない。
紹介者の欄には、ディートリヒと直接書かれているわけではなかった。別の貴族の名前がある。
「この方は、どなたでしょう」
ルートヴィヒが書類を受け取り、しばらく考えた。
「ディートリヒ様の奥方のご実家と縁のある方だったかと存じます」
「そうなのですね」
もう一枚。
こちらも三年前。
商会そのものは以前から出入りしているが、先代侯爵が亡くなった直後から、搬入口より内側まで商人が入れるようになっている。
変更の正式な記録はない。
ただ、当時の簡単な申し送りに、ディートリヒの判断で許可したとあった。
一つ一つなら、さほど不自然ではなかった。
むしろ時期を考えれば、理由は想像できる。
先代侯爵が突然亡くなった。
当主が代わった。
エルンストはまだ二十代になったばかりで、十分な引き継ぎも受けていなかった。
人が足りない。
判断できる者が足りない。
それでも侯爵家は止まらない。
食料も物資も毎日入ってくる。領地から報告が届き、商人が訪れ、使用人が辞めれば新しく雇わなければならない。
そんな中で、経験のある叔父が知人を紹介する。
緊急だから一部の手続きを後にする。
信用できる商会だから、その都度の確認を省く。
それ自体はあり得ることだった。
問題があるとすれば。
「……そのままなのですね」
コーネリアは呟いた。
混乱していた時期に省いた手続きが、二年、三年経った今も省かれたままになっている。
その間に問題が起きなかったから、誰も見直さなかったのだろう。
それも珍しいことではない。
けれど、警備という観点だけで考えるなら。
「一度、現在の規則に合わせて確認し直した方がよいと思います」
「……左様でございますね」
ルートヴィヒの返答が、ほんの少し遅かった。
コーネリアは顔を上げた。
「何か問題がございますか?」
「いいえ」
いつも通りの穏やかな顔だった。
「ただ、ディートリヒ様に関係するものが多うございますので。旦那様へ一度ご相談なさるのがよろしいかと」
「もちろん、そのつもりです」
勝手に変更するつもりなどない。
そもそもコーネリアには、ディートリヒを疑う理由がなかった。
エルンストが心から信頼している。
父を亡くしたばかりの若いエルンストを助けた。
そして自分にも、この家へ来るきっかけを与えてくれた。
感謝している。
それは間違いなかった。
ただ。
コーネリアは、ディートリヒの名が記された紙を見た。
なぜ、自分だったのだろう。
先日、エルンストから縁談をまとめたのがディートリヒだと聞いた時には、ただ嬉しかった。
もし彼が自分を選ばなければ、今ここにはいない。
エルンストにネルと呼ばれることもなかった。
剣を持つことを許されることも。
温かい牛乳が好きだと知ることも。
夜、誰かの呼吸を聞きながら眠ることもなかった。
だから自分にとっては、とても良い縁談だった。
けれど。
エルンストにとっても、そうだったのだろうか。
コーネリアは自分の手元を見る。
公爵家の娘という肩書はある。
だが、父がこの婚姻をどれほど重視しているのかは分からない。嫁いでから、公爵家から積極的な働きかけがあったわけでもない。
自分自身についても同じだった。
侯爵夫人として知らなかったことは多い。
この家へ来てから教えられたことも多い。
剣や警備については多少役に立てるようになったけれど、それは本来、妻を選ぶ時に期待されるものではなかったはずだ。
ディートリヒはエルンストを大切にしている。
少なくとも、エルンストはそう思っている。
ならば。
なぜ、自分を。
「奥様?」
ルートヴィヒに呼ばれ、コーネリアは顔を上げた。
「申し訳ありません。少し考えておりました」
「何か気になることでも?」
「……いえ」
一度、首を振る。
これは警備とは関係がない。
それに、考えても分からないことだった。
「旦那様へ確認いたします」
資料をまとめた。




