一歩、また一歩
アルトは、透明容器へ向かってゆっくりと歩き出した。
一歩。
また一歩。
近づくたびに、容器の中に浮かぶ小さな生き物の姿がはっきりと見えてくる。
白く柔らかな身体。
長い耳のような突起。
短い手足。
精霊と呼ぶには、あまりにも幼い姿をしていた。
「……精霊、だよな……」
アルトの声が、静かな部屋に小さく響く。
その瞬間。
足が止まった。
「……。」
今まで、アルトが近づいた精霊は例外なく逃げ出した。
姿を見ただけで怯えられた。
声をかける前に隠れられた。
手を伸ばせば、悲鳴を上げて遠ざかっていった。
目の前の幼い精霊も、同じかもしれない。
自分が近づけば、怖がらせてしまうかもしれない。
「……どうしよう。」
助けたい。
今すぐ管を外し、この容器から出してやりたい。
だが、逃げ場のない容器の中で怯えさせてしまうのは嫌だった。
アルトはその場に立ったまま、動けなくなる。
すると。
容器の中の幼精が、不思議そうに首を傾げた。
「……え?」
逃げない。
怯えてもいない。
ただ、じっとアルトの顔を見つめている。
アルトが少しだけ右へ顔を動かすと、幼精も同じ方向へ首を傾けた。
「……。」
アルトは恐る恐る、もう一歩だけ近づく。
幼精は逃げなかった。
それどころか、アルトの動きを追うように容器の中をゆっくりと漂ってくる。
「怖く……ないのか?」
返事はない。
幼精はただ、興味深そうにアルトを見つめている。
アルトは透明容器のすぐ前まで近づいた。
そして。
震える手を、ゆっくりと持ち上げる。
「……触っても、いいか?」
容器に隔てられているため、直接触れることなどできない。
それでも、アルトは許可を求めずにはいられなかった。
幼精はまた、小さく首を傾げる。
アルトは壊れ物を扱うように、そっと手を伸ばした。
指先が透明な壁へ触れる。
ひんやりとした感触が、手のひらへ伝わってきた。
「……。」
幼精はアルトの手をじっと見つめた。
それから、何かの匂いを確かめるように鼻先を近づけてくる。
透明な壁を挟み、アルトの手のひらへ顔を寄せた。
「……っ」
アルトは息を呑む。
幼精はしばらくアルトの手を眺めると、小さな腕を伸ばした。
指先ほどしかない、小さな小さな手。
その手を、容器の内側からアルトの手のひらへ重ねる。
透明な壁に隔てられている。
温度も、柔らかさも伝わらない。
それでも。
確かに、手と手が重なっていた。
「……!」
アルトの瞳が大きく見開かれる。
「お、俺のこと……怖くないのか……?」
幼精は、何を言われているのか分からないように首を傾げた。
怯えていない。
手を離そうともしない。
ただ、不思議そうな瞳でアルトを見つめ続けている。
「うっ……。」
アルトの喉から、小さな嗚咽が漏れた。
「うぅっ……。」
視界が滲む。
次から次へと涙が溢れ、頬を伝って落ちていく。
今まで、何度も精霊へ近づこうとした。
何度も話しかけようとした。
仲良くなりたいと願った。
だが、いつも怖がられた。
自分の姿を見ただけで逃げられた。
仕方がないと笑ってみせても、そのたびに胸の奥は痛かった。
それでも諦められなかった。
いつか、自分を怖がらない精霊に会えるかもしれない。
いつか、手を伸ばしてくれる精霊がいるかもしれない。
そして今。
ようやく見つけた。
自分を怖がらず、手を重ねてくれる精霊を。
「グスッ……。」
アルトは空いている手で、乱暴に涙を拭った。
「待ってろ。」
声は震えていた。
「今、助けるからな。」
幼精はアルトの手から離れず、静かに見つめている。
アルトは名残惜しそうに手を離した。
そして《砕》を両手で握る。
狙うのは、容器そのものではない。
容器を固定している金属部分。
幼精を傷つけないよう、慎重に壊さなければならない。
「少しだけ、離れてろ。」
アルトは《砕》を振り上げた。
その瞬間だった。
ドッカァァァンッ!
「うわっ!」
工場全体を揺らすような爆発が起きた。
足元が大きく揺れ、天井から金属片と埃が降り注ぐ。
バリバリバリッ!
壁を走る配管が激しく震え、青白い火花をまき散らした。
アルトは咄嗟に透明容器へ覆いかぶさるように身を低くする。
「何だ!?」
続けて、遠くから二度目の爆発音が響く。
ドォォンッ!
部屋の照明が激しく明滅した。
「まさか……。」
アルトは揺れる床に耐えながら、扉の方を振り返る。
「ライの奴、何しやがった……?」




