魔脈 化身
◇ ◇ ◇
カランッ。
石畳の上で、長剣が小さく音を立てた。
「…………」
リオネルは動かなかった。
正面には、短剣を構えたドーマ。
その足元には、先ほど手放した《化双》の長剣が転がっている。
「……どうしたよ、騎士様」
ドーマがにたりと笑った。
「そんな怖ぇ顔して。拾っちまうぞ?」
「…………」
「おいおい、無視かよ」
ドーマが右足を動かした。
爪先が、長剣の柄へ近づく。
リオネルの視線が、僅かに下がった。
「……へへっ」
その瞬間。
ドーマが地面を蹴った。
長剣は拾わない。
左手の短剣を突き出し、リオネルの懐へ飛び込む。
「ほらよ!」
シュッ!
狙いは喉。
リオネルはバックラーを持ち上げた。
カンッ!
短剣が弾かれる。
だが、ドーマは笑っていた。
「……そっちじゃねぇんだよ!」
右足が跳ね上がる。
足元に転がっていた長剣。
その柄を、爪先が掬い上げた。
クルッ!
宙へ舞う長剣。
ドーマは右手を伸ばした。
短剣を盾で受けさせ、長剣を拾い直す。
そして、盾を上げたリオネルの右側から斬り込む。
それが、ドーマの狙いだった。
だが。
「……遅い!」
「……あ?」
リオネルは長剣を見ていなかった。
短剣を弾いたバックラーを引き戻すと同時に、右足を踏み込む。
ドーマの右手が長剣を掴む。
その直前。
シュッ!
騎士剣が走った。
「ぐあっ!」
ザシュッ!
ドーマの右腕に、深い傷が刻まれた。
伸ばした手が止まる。
長剣は、そのまま二人の間を落ちていった。
カランッ!
「……っの野郎!」
ドーマが短剣を振るう。
だが、リオネルは既に身体を捻っていた。
第二継承技。
《受流》。
バックラーの縁が短剣の側面を捉える。
カンッ!
刃が外側へ流れた。
そのまま踏み込む。
「はぁっ!」
騎士剣が、ドーマの胸元へ迫った。
「……くそっ!」
ドーマが後方へ跳ぶ。
ザシュッ!
紫色の服が裂け、胸に赤い線が走った。
着地したドーマが、数歩よろめく。
「……いってぇなぁ、おい」
右腕を押さえた。
指の間から、血が滴っている。
「……ったく。どいつもこいつも……」
リオネルは剣を構え直した。
「貴様の狙いは、あの長剣だろう」
「……あ?」
「私に短剣を防がせ、その隙に拾い上げた長剣で斬り込む」
「…………」
「だが、貴様の右腕が動くより、私の剣の方が速い」
ドーマが黙り込んだ。
そして。
「……へへっ」
笑った。
「よく分かったじゃねぇか」
右腕をぶらりと下げる。
「でもよぉ……」
ドーマの口元が歪む。
「本当に、それだけだと思うか?」
「…………」
リオネルの目が細くなった。
ドーマは、落ちた長剣へ視線を向けた。
そして、わざとらしく肩を竦める。
「……あーあ。拾えなかったなぁ」
右足が、再び動く。
今度は長剣の刃へ向けて。
(……またか)
リオネルは騎士剣を握り直した。
先ほどの失敗。
それさえも、次の攻撃へつなげようとしている。
ドーマの右手は負傷している。
長剣を拾ったところで、満足に振るえるとは限らない。
ならば。
(……本命は別にある)
リオネルはドーマの足元を見た。
長剣。
右足。
そして、僅かに沈んだ腰。
「……そこか!」
ダンッ!
リオネルが踏み込んだ。
ドーマの右足が跳ね上がる。
だが、長剣は蹴り上げられなかった。
代わりに。
ブンッ!
蹴りが、リオネルの膝へ向かって放たれる。
「……へへっ!」
ドーマが笑う。
「引っ掛かったなぁ!」
だが。
その蹴りは、空を切った。
「……あ?」
リオネルは踏み込む足を変えていた。
右ではなく、左。
身体を半歩だけ外側へずらし、蹴りの軌道から外れる。
そして。
ガンッ!
バックラーが、ドーマの膝を打った。
「ぐおっ!」
ドーマの身体が傾く。
そこへ、騎士剣が伸びた。
シュッ!
「……っ!」
ドーマは咄嗟に短剣を持ち上げた。
ガキィンッ!
刃がぶつかる。
だが、力が違う。
ドーマの左腕が押し込まれた。
「……ぐっ!」
リオネルは剣を引く。
そして、間を置かずに振り下ろした。
ザシュッ!
「ぐあっ!」
ドーマの肩が裂ける。
さらに一撃。
ドーマが短剣で受けようとする。
だが。
カンッ!
リオネルの騎士剣が、短剣の側面を弾いた。
開いた胴へ。
ドッ!
バックラーが叩き込まれる。
「ぐぼっ!」
ドーマの身体が後方へ吹き飛んだ。
ズザザッ!
石畳を滑り、片膝をつく。
「……げほっ! げほっ!」
咳き込む。
右腕。
肩。
胸。
先ほど斬られた腹部も、まだ血が滲んでいた。
「……くそっ」
ドーマが顔を上げる。
その正面。
リオネルは騎士剣を下ろさず、静かに立っていた。
「……貴様の剣は、確かに厄介だ」
「……あぁ?」
「だが、どれほど手を変えようと、貴様自身が動かなければ攻撃は成立しない」
リオネルが一歩、前へ出る。
「私が見ているのは、刃だけではない」
「…………」
「貴様の足運び。重心。呼吸。そして、攻撃に移る瞬間」
騎士剣の切っ先が、ドーマへ向けられた。
「欺くための動きも、剣を振るうための動きも、見極めればよい」
「…………」
ドーマは、しばらく黙っていた。
やがて。
「……いやぁ」
ゆっくりと立ち上がる。
「強い強い。さすが騎士様」
傷ついた右腕を軽く振った。
「参ったねぇ。こりゃ、剣じゃ敵わねぇわ」
「…………」
「いや、ほんと。大したもんだ」
ドーマが笑う。
だが、リオネルは表情を変えなかった。
「貴様では、私には勝てない」
「…………」
一瞬。
ドーマの動きが止まった。
そして。
「……ぶっははは!」
腹を抱えて笑い出した。
「ひっでぇなぁ! おい!」
笑い声が、広場へ響く。
「こっちは褒めてやってんのによぉ!」
「事実を述べたまでだ」
「……ぶはっ! 事実だってよ!」
ドーマは何度も肩を揺らした。
だが。
その笑い声が、不意に止まる。
「…………」
俯いたまま、口元を歪めた。
「……あんまり舐めたこと言ってんじゃねぇぞ、コラ?」
低い声。
先ほどまでの軽薄な調子が、消えていた。
リオネルは僅かに目を細める。
「……ならば」
騎士剣を構え直した。
「これで終わりだ!」
ダンッ!
リオネルが踏み込む。
鋭い一閃。
ドーマの胴を捉える、迷いのない斬撃。
だが。
「《魔脈》」
ドーマが呟いた。
その身体へ、魔力が巡り始める。
「…………!」
リオネルの瞳が動いた。
先ほどまでとは違う。
ドーマの全身に、異質な力が満ちていく。
そして。
「《化身》」
ゆらり。
ドーマの身体が揺れた。
酔いに任せて倒れかけたような、頼りない動き。
だが、リオネルは剣を止めなかった。
間合いは捉えている。
相手の重心も、見えている。
この距離ならば、避けられない。
シュバッ!
騎士剣が、ドーマの胴を薙いだ。
ザシュッ!
「…………?」
リオネルの眉が動く。
斬った。
確かに、刃は届いた。
だが。
(……浅い?)
ドーマの身体が、斬撃に沿うように傾いていた。
まるで、身体を支える骨が消えたかのように。
力なく沈み込み、刃の進む方向へ流れていく。
衣服が裂け、血が散る。
しかし、致命傷には届かない。
「……なんだ……?」
リオネルは咄嗟に剣を引こうとした。
だが、その瞬間。
ぐんっ!
ドーマの身体が跳ね起きた。
「……どこ見てんだ」
「……!」
声が、懐から響いた。
ドーマの左手。
短剣が、既にリオネルの脇腹へ向けられている。
「……っ!」
リオネルはバックラーを差し込んだ。
ガキィンッ!
短剣が盾を捉える。
だが。
ドーマは止まらない。
弾かれた左腕の力を抜き、肩を落とす。
そのまま、身体が横へ崩れた。
「……っ!」
リオネルが目で追う。
ドーマの膝が折れる。
倒れる。
そう思った瞬間。
ドッ!
「ぐっ!」
ドーマの肩が、リオネルの胸へ突き刺さった。
衝撃。
身体が後方へ押し戻される。
だが、リオネルは踏みとどまった。
「……はぁっ!」
騎士剣を振るう。
ドーマの首元へ。
だが。
ゆらり。
ドーマの頭が傾いた。
刃が髪を掠める。
次の瞬間には、反対側へ身体が流れていた。
「……なっ!」
「へへっ!」
ドーマが笑う。
「どうしたよ、騎士様!」
短剣が伸びる。
リオネルはバックラーで弾いた。
カンッ!
そのまま剣を返す。
だが、ドーマは力を抜いた。
斬撃の直前に、身体が沈む。
そして、刃が通り過ぎた瞬間。
再び、全身が引き締まる。
ドッ!
「ぐっ!」
ドーマの肘が、リオネルの肩を打った。
リオネルが一歩下がる。
そこへ、さらに短剣。
「……くっ!」
ガキィンッ!
バックラーで受ける。
だが、ドーマの身体は既に別の方向へ傾いていた。
右へ。
左へ。
前へ。
後ろへ。
まるで、足元の定まらない酔漢。
しかし。
倒れそうになるたび、その身体は不自然なほど鋭く動き出す。
(……これは……)
リオネルが歯を食いしばる。
動きが読めない。
いや。
違う。
読んだ動きと、実際の動きが一致しない。
重心が崩れたと思えば、次の瞬間には踏み込んでいる。
攻撃を受ける直前に力を抜き、反撃の瞬間だけ全身を締める。
筋肉の緊張と脱力。
その切り替えが、あまりにも速い。
「……へへっ」
ドーマが笑った。
「どうよ?」
ゆらり。
身体が揺れる。
「剣は、あんたの方が上手ぇ」
短剣をだらりと下げた。
「そいつぁ認めるよ」
「…………」
「けどなぁ……」
ドーマが、ゆっくりと顔を上げる。
その目には、先ほどまでのふざけた色が戻っていた。
「剣が上手けりゃ勝てるってんなら、苦労しねぇんだわ」
リオネルは答えなかった。
ただ、騎士剣を構え直す。
左腕のバックラーを、胸元へ。
呼吸を整える。
「……なるほど」
静かに呟いた。
「貴様の言う通りだ」
「……あ?」
「私は、貴様の剣を見極めたつもりでいた」
リオネルが一歩、前へ出る。
「だが、まだ知らぬ技があった。それだけのこと」
「…………」
「ならば、改めて見極めるまでだ」
ドーマが目を丸くした。
そして。
「……ぶっはは!」
笑った。
「おいおい! まだやる気かよ!」
「当然だ」
リオネルの剣先が、僅かに下がる。
構えを変えたのだ。
先ほどよりも、腰が低い。
バックラーは身体の近くへ。
相手の動きに合わせて、大きく剣を振るうつもりはない。
ドーマの不規則な動きに対し、最小限の動作で応じる構え。
「……貴様がいかなる技を使おうと」
リオネルは、真っ直ぐにドーマを見据えた。
「私の剣が鈍る理由にはならぬ」
「…………」
ドーマの笑みが、僅かに深くなった。
「……いいねぇ」
短剣を握り直す。
「そういうの、嫌いじゃねぇぜ」
ゆらり。
再び、身体が揺れた。
「……ほらよ」
ドーマが笑う。
「今度は、どこから来ると思う?」
リオネルは答えない。
ただ、剣を構える。
そして。
ダンッ!
二人が、同時に踏み込んだ。




