逆鱗
ドゴォォォンッ!
炎と水が激突した。
膨大な水が一瞬で蒸発し、白い蒸気が広場を覆い尽くす。
その中を、フーガが駆け抜けた。
「……っ!」
セリオは《飛燕》を交差させる。
ガギィンッ!
白煙を裂いて現れた《龍憑》が、双剣へ叩きつけられた。
重い。
受け止めた両腕が軋む。
「……くっ!」
「ははっ! どないしたん!」
「……うるせぇ!」
セリオが右の《飛燕》を押し返す。
同時に、左の剣を下から斬り上げた。
フーガは上体を反らす。
刃が顎先を掠めた。
だが、その背後。
ドゴゴゴッ!
石畳が隆起した。
「……お?」
巨大な岩柱が、フーガの退路を塞ぐ。
さらに左右から、炎が迫った。
セリオは《飛燕》を振りかぶる。
「……もらった!」
だが。
「……甘いなぁ」
フーガが身体を沈めた。
右足を僅かに引き、振り下ろされた双剣の内側へ踏み込む。
「……っ!」
《龍憑》の柄が、セリオの手首を打った。
ガンッ!
斬撃の軌道が逸れる。
フーガはそのまま身体を回転させ、炎が迫るより早く、セリオの側面へ抜けた。
ゴォォンッ!
炎が岩柱へ激突する。
砕けた石が飛び散った。
「……ちっ!」
セリオは後方へ跳ぶ。
追撃に備え、《飛燕》を構え直した。
だが。
フーガは追ってこなかった。
「…………」
《龍憑》を肩へ担ぐ。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……なぁ、兄ちゃん」
「……あ?」
「一個、聞いてええか?」
「なんだよ」
フーガが首を傾げる。
「……いつまで、それ続けるつもりや?」
「…………」
セリオの眉が動いた。
「……何の話だ」
「いやなぁ」
フーガが周囲を見渡す。
砕けた石畳。
燃え上がる炎。
地面を流れる大量の水。
あちこちに突き出した岩柱。
「そら、凄いで」
《龍憑》で肩を軽く叩いた。
「四つの霊器を使い分けて、四属性の術まで操る」
にやりと笑う。
「普通の相手やったら、とっくに終わっとるやろな」
「……だったら何だ」
「……せやけど」
フーガの笑みが、僅かに薄れた。
「……それ、お前の本気ちゃうやろ?」
「…………」
セリオが目を細める。
「……何が言いてぇ」
「そのまんまや」
フーガは《龍憑》を下ろした。
「剣も術も、見事なもんや。せやけど、まだ何か残しとる」
一歩、前へ出る。
「……もっと本気出せや」
「…………」
「せっかく、こんだけおもろい相手に会えたんや」
フーガが笑う。
「全部見せてくれへんか?」
沈黙。
セリオは、しばらくフーガを見つめていた。
やがて。
「……一つ、勘違いしてるぞ」
「……ん?」
「俺は出し惜しみしてるわけじゃねぇ」
《飛燕》をゆっくりと下ろす。
「ただ……ちょっと気持ちが乗ってなくてな」
「…………」
フーガが目を瞬かせた。
「……は?」
「なんだよ」
「いやいや! なんやそれ!」
フーガが思わず声を上げる。
「こっちは結構楽しみにしとったんやで!」
「知るかよ。テメェが勝手に期待してただけだろ」
「そらそうやけど!」
フーガが呆れたように笑う。
だが。
セリオは、もう笑っていなかった。
「……まぁ、いいわ」
ぽつりと呟く。
《飛燕》が、淡い光となって消えた。
空になった両手を下ろし、静かに息を吸う。
「……頼む」
セリオが顔を上げた。
「フィン・シルフィロード」
ゴォッ!
風が吹いた。
フーガの足元を、青緑の光が駆け抜ける。
「…………」
その瞳が、僅かに細くなった。
セリオの周囲へ集まる風が、まるで意思を持つかのように渦を巻き始める。
ゴォォォォッ!
石畳の破片が巻き上がり、周囲の炎が大きく揺らいだ。
「……ほう」
フーガが口元を吊り上げる。
その正面。
セリオの姿が、変わり始めた。
黒髪の毛先が、白銀へ。
さらに、淡い青緑へと透けていく。
虹色の瞳には、青緑の光が強く宿った。
黒い衣服へ重なるように、白銀の装束が現れる。
肩から伸びた布は、途中から風へ溶け。
腕と脚には、薄い装甲。
そして。
その背後。
二本の巨大な風の帯が、ゆらりと揺れた。
「……ははっ」
フーガが笑った。
「……霊名か」
驚いた様子はない。
むしろ、待ち望んでいたものをようやく目にしたような笑みだった。
「なるほどなぁ。そこまで使えるんか」
その時。
『――やっと出番かよぉ!』
声が響いた。
セリオの肩の上。
小さな少年が、大きく伸びをしている。
手のひらに収まりそうな身体。
背中には、二枚の燕の翼。
『遅ぇよ、セリオ!』
「うるせぇ」
『ずーっと待ってたんだぞ!』
「分かったから騒ぐな」
『分かってねぇだろ!』
「…………」
フーガが二人を見つめる。
そして。
「……はははっ!」
声を上げて笑った。
「なんや、ずいぶん賑やかな精霊やな!」
『おっ!』
少年がフーガへ顔を向ける。
『オイラはフィン! よろしくな〜!』
「おう! よろしゅうな!」
「……テメェら」
セリオが眉間を押さえた。
「戦闘中だぞ」
『分かってるって!』
フィンが笑う。
『だから呼んだんだろ?』
「……ああ」
セリオが顔を上げた。
両手へ光が集まる。
風を纏う双剣《飛燕》が、再び姿を現した。
「……行くぞ、フィン」
『おう!』
ゴォォォォッ!
風が爆ぜた。
セリオの足が、石畳から離れる。
そのまま、ふわりと宙へ浮かび上がった。
「……ええなぁ」
フーガが呟く。
「ほんま、ええやん」
《龍憑》を構え直す。
「ほな、見せてもらおか!」
ダンッ!
フーガが地面を蹴った。
同時に。
セリオの姿が消える。
「……っ!」
フーガの視線が動いた。
右。
いや、上。
ガギィィンッ!
頭上から振り下ろされた《飛燕》を、《龍憑》が受け止めた。
「……ははっ!」
フーガが笑う。
「速いなぁ!」
「まだまだだ!」
セリオの身体が、風に乗って後方へ滑る。
背後の二本の風の帯が、大きく広がった。
ゴォッ!
無数の風刃が、左右からフーガへ襲いかかる。
フーガは《龍憑》を振るった。
一閃。
二閃。
迫る風刃を斬り裂き、身体を僅かに傾けて残りを躱す。
だが。
その奥から、セリオが飛び込んできた。
「喰らえ!」
ガギィンッ!
双剣が交差する。
フーガの刃が押し込まれた。
そこへ。
セリオの蹴りが突き刺さる。
ドゴッ!
「……ぐっ!」
フーガの身体が吹き飛んだ。
石畳を削りながら後退し、片膝をつく。
セリオは追撃しなかった。
宙に浮いたまま、ゆっくりと《飛燕》を構える。
『おっしゃあ! 今のいい感じだったぜ!』
フィンが嬉しそうに拳を振り上げた。
「……当然だろ」
セリオが口元を吊り上げる。
そして、フーガを見下ろした。
「……どうした?」
《飛燕》を肩へ担ぐ。
「さっきまでの威勢はよ」
「…………」
フーガは答えなかった。
俯いたまま、肩を揺らしている。
「……くくっ」
笑っていた。
「……ははっ」
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……ええなぁ」
「……あ?」
フーガが笑った。
「その程度で、そこまでイキれるんやなぁ」
「…………」
セリオの表情が変わった。
『……あぁ?』
フィンも眉を吊り上げる。
「……テメェ、今なんつった?」
「いやぁ、羨ましいわ」
フーガは立ち上がると、《龍憑》を肩へ担いだ。
「霊名を使えたくらいで、そない自信満々になれるんやもんなぁ」
「……何が言いてぇ」
「……別に?」
フーガが首を傾げる。
「ただなぁ……」
その笑みが、僅かに薄れた。
「いつから霊名程度で、そこまで偉そうにできるようになったんやろなぁ、思うて」
「…………」
セリオが《飛燕》を握り直す。
その周囲で、風が激しく渦を巻き始めた。
「……テメェ、随分と舐めた口利くじゃねぇか」
「……ははっ」
フーガは小さく笑った。
「まぁ、今時やな」
まるで、それ以上語る必要もないとでもいうように。
《龍憑》を軽く振る。
「……ほな、続きやろか」
「……上等だ」
セリオの背後で、二本の風の帯が大きく広がった。
「その余裕ごと、叩き潰してやるよ!」
ゴォォォッ!
セリオが急加速した。
石畳すれすれを滑るように飛び、フーガの正面へ迫る。
右の《飛燕》を振るう。
同時に、フーガの背後から巨大な岩柱が突き上がった。
正面と背後。
二方向からの挟撃。
だが。
「……あぁ、せや」
フーガが、ふと思い出したように口を開いた。
「そーいや、名乗ってなかったなぁ」
「……あ?」
セリオの眉が動く。
こんな状況で何を言い出すのか。
だが、フーガは気にする様子もなく笑った。
「不死隊第二……」
そこで、一度言葉を切る。
ほんの僅かな沈黙。
そして。
「……いや、第一席」
《龍憑》を握り直す。
「《逆鱗》、フーガ」
にやりと笑った。
「……よろしゅう〜」
「……今さら自己紹介かよ!」
セリオの《飛燕》が迫る。
背後からは岩柱。
逃げ場はない。
その瞬間。
フーガの全身を、魔力が駆け巡った。
《魔脈》。
そして。
巡る魔力が、一瞬にして右腕へ集中する。
《逆鱗》。
ガァァァンッ!
「……なっ⁉︎」
凄まじい衝撃が、セリオの両腕を襲った。
《飛燕》が弾かれる。
振り抜かれた《龍憑》の勢いに、風を纏った身体ごと押し戻された。
セリオは宙で体勢を立て直す。
だが。
視線を戻した時には、フーガの姿が消えていた。
『セリオ! 上だ!』
「……っ!」
顔を上げる。
フーガがいた。
頭上から、《龍憑》を振り下ろしている。
「……くそっ!」
セリオは咄嗟に《飛燕》を交差させた。
ガギィィンッ!
刃がぶつかった。
だが。
その瞬間。
セリオは、違和感を覚えた。
(……軽い?)
先ほどの一撃とは、まるで違う。
フーガは力任せに押し込んでこなかった。
交差した双剣の片側へ刃を滑らせ、僅かに角度を変える。
それだけで、セリオの防御に小さな隙間が生まれた。
「……っ!」
フーガの左手が伸びる。
ドゴッ!
掌底が、セリオの胸へ突き刺さった。
「……がっ!」
肺から空気が押し出される。
身体が後方へ弾かれた。
だが、風が支える。
セリオは空中で踏みとどまり、すぐさま右手の《飛燕》を振るった。
ゴォッ!
巨大な風刃が走る。
フーガは着地と同時に身を沈めた。
風刃が頭上を通過する。
そのまま地面を蹴り、再び距離を詰める。
「……ちっ!」
セリオは左手を突き出した。
ドゴゴゴッ!
フーガの進路を塞ぐように、岩柱が連続して突き上がる。
だが、フーガは止まらない。
一つ目を躱し。
二つ目を蹴り。
三つ目の陰へ身体を滑り込ませる。
次の瞬間。
岩柱の側面から、《龍憑》が突き出された。
「……っ!」
セリオは身体を捻った。
刃が頬を掠める。
薄く血が滲んだ。
『こいつ……!』
フィンが歯を食いしばる。
セリオもまた、目を細めていた。
速さだけではない。
力でもない。
自分の攻撃が、僅かな動きで外される。
防いだはずの刃が、次の瞬間には別の角度から迫ってくる。
その全てが、恐ろしく無駄のない動きだった。
「……ははっ」
フーガが笑った。
「……どないしたん?」
《龍憑》を軽く振る。
「まだ終わりちゃうやろ?」
「……当たり前だ!」
セリオの周囲で、風が爆ぜた。
同時に、炎が灯る。
水が浮かび上がる。
足元の石畳が震え始めた。
四属性。
そして、霊名。
セリオは持てる力を惜しまず、再び構えた。
「……次は、そう簡単に捌かせねぇぞ」
「……ええやん」
フーガが口元を吊り上げる。
「そういうん、好きやで」
そして、《龍憑》を静かに構えた。
「……ほな」
その瞳が、僅かに鋭くなる。
「もうちょい、本気で相手したろか」
ゴォォォォッ!
四つの属性が、一斉に動いた。
同時に、フーガが地面を蹴る。
二人の戦いは、さらに激しさを増していった。




