嫌いっすわ
シュッ!
《遊猫》の鉤爪が、アルトの頬を掠めた。
「……っ!」
アルトが拳を突き出す。
だが。
ミュゼは身体を横へ倒し、あっさりと躱した。
そのまま。
地面へ片手をつき。
身体を回転させる。
ブンッ!
踵が、アルトの側頭部へ迫った。
「……くっ!」
アルトが腕を上げる。
ドッ!
衝撃。
腕が痺れた。
だが。
アルトは退かなかった。
踏み込む。
ミュゼの着地点へ。
「……っ!」
ミュゼの目が動いた。
着地する寸前。
そこへ、アルトの拳が迫る。
「……へぇ!」
ミュゼは身体を捻った。
無理やり軌道を変える。
だが。
避けきれない。
ドゴッ!
「ぐっ……!」
拳が、脇腹を捉えた。
ミュゼの身体が横へ弾かれる。
ズザザッ!
地面を滑り。
片膝をついた。
「……っつぅ」
脇腹を押さえる。
呼吸が、僅かに乱れた。
「……やりますねぇ」
ミュゼが顔を上げる。
「……今の、狙ってたんすか?」
「ああ」
アルトが頷く。
「お前、避けるのは上手いけどさ」
「……はい?」
「避けた後は、絶対どっかに着地するだろ?」
「…………」
「だから、そこを狙った!」
ミュゼは一瞬、黙った。
そして。
「……あはは!」
笑い声を上げた。
「そりゃそうっすね!」
ゆっくりと立ち上がる。
「……いやぁ、参ったなぁ」
脇腹を軽く叩く。
「思ってたより、ずっと面倒っすね」
「……へへっ!」
アルトが笑う。
「そっか!」
「……褒めてないっすよ?」
「そうなのか?」
「……そうっすよ」
ミュゼは肩を竦めた。
その笑顔を見て。
アルトが、ふと口を開く。
「……なぁ、ミュゼ」
「……なんすか?」
「お前、なんでそんなに怒ってんだ?」
「…………」
ミュゼの動きが止まった。
「……怒ってないっすよ?」
「嘘だろ」
「…………」
「さっきから、ずっと変だぞ」
アルトが首を傾げる。
「俺、なんかしたか?」
「…………」
ミュゼは、アルトを見つめた。
そして。
「……あはは」
小さく笑った。
「……ほんっと」
《遊猫》の爪が、僅かに動く。
「……そういうとこっすよ」
「……?」
「なんでもないっす」
ミュゼが腰を落とした。
「続けましょ」
「……おう」
アルトも構える。
だが。
ミュゼは、すぐには動かなかった。
「……アルトさん」
「なんだ?」
「……一つだけ」
ミュゼが目を細める。
「不死隊にいたこと、後悔してます?」
「…………」
アルトは、少しだけ考えた。
「……してない」
「……へぇ」
「……嫌なこともあったけどさ」
拳を握り直す。
「でも、あそこで過ごしたことまで、嫌だったわけじゃねぇ」
「…………」
「……それに」
アルトが顔を上げる。
「お前らのことも、嫌いじゃねぇぞ」
「…………」
ミュゼの笑顔が、消えた。
ほんの一瞬。
そして。
「……そっすか」
再び、笑う。
「……そりゃ、よかったっすね」
ダンッ!
地面を蹴った。
「……っ!」
アルトが迎え撃つ。
右拳。
ミュゼは首を傾ける。
拳が頬を掠めた。
そのまま。
懐へ潜り込む。
シュッ!
「……ぐっ!」
《遊猫》の爪が、アルトの肩を裂いた。
だが。
アルトは、ミュゼの腕を掴んだ。
「……っ!」
ぐいっ!
引き寄せる。
ミュゼの身体が前へ崩れた。
「……捕まえた!」
左拳を振りかぶる。
だが。
ミュゼは笑った。
「……また、それっすか」
するり。
肩が沈む。
肘が曲がる。
掴まれた腕を軸に、身体を回転させた。
「……っ!」
アルトの腕へ、脚が絡みつく。
そのまま。
ぐいっ!
「……ぐっ!」
肩が引かれた。
だが。
アルトは、今度は逆らわなかった。
「……っ?」
ミュゼの目が動く。
アルトは、引かれる方向へ身体を倒した。
そして。
ドンッ!
「……ぐっ⁉︎」
ミュゼごと、地面へ転がり込んだ。
衝撃。
ミュゼの身体が、石畳へ叩きつけられる。
「……っつぅ!」
絡めていた脚が緩んだ。
その隙に。
アルトが腕を引き抜く。
「……へへっ!」
立ち上がる。
「今度は抜けた!」
「……っはは!」
ミュゼも、身体を起こした。
「……ほんっと、無茶苦茶っすね!」
だが。
その笑みが。
僅かに歪んだ。
アルトが、もう一度踏み込んだのだ。
「……っ!」
右拳。
ミュゼが身体を反らす。
しかし。
アルトは拳を止めた。
そのまま。
左足を踏み込む。
逃げ道を塞ぐ。
「……っ!」
ミュゼの目が見開かれた。
そして。
ドゴッ!
「ぐっ……!」
アルトの拳が、腹部へ突き刺さった。
身体が折れる。
だが。
ミュゼは倒れなかった。
アルトの腕へ、両手を添える。
そのまま。
ぐるり。
身体を回転させた。
「……っ!」
アルトの拳が、外へ流される。
同時に。
ミュゼの膝が、アルトの腹部へ突き上がった。
ドッ!
「……がっ!」
アルトの身体が浮く。
さらに。
シュッ!
《遊猫》が走った。
「……っ!」
アルトが咄嗟に身を引く。
だが。
胸元に、細い傷が刻まれた。
二人が離れる。
ザザッ!
「……っはぁ」
アルトが息を吐く。
腹が痛む。
肩も。
腕も。
脇腹も。
全身が、悲鳴を上げていた。
それでも。
目の前のミュゼは。
まだ笑っている。
「……いやぁ」
ミュゼが腹部を押さえた。
「……ほんっと、強いっすね」
「……お前もな」
アルトが答える。
「……へへっ」
「…………」
ミュゼは、アルトを見つめた。
真っ直ぐな目。
何も疑っていないような顔。
自分に向けられる、あの笑顔。
「……ほんっと」
小さく呟く。
「……嫌いっすわ」
「……ん?」
「なんでもないっす」
ミュゼが構え直した。
アルトも、拳を握る。
互いに。
傷だらけ。
呼吸も荒い。
それでも。
まだ。
どちらも倒れていない。
「……アルトさん」
「……なんだ?」
「……次は、どうします?」
「……決まってんだろ」
アルトが笑った。
「お前を倒す!」
「……あはは!」
ミュゼが笑う。
「……いいっすねぇ」
そして。
その笑みが、ゆっくりと薄れた。
「……じゃあ」
腰を落とす。
爪を構える。
「俺も、そろそろ……」
ミュゼの瞳が、鋭く細まった。
「本気で行きますかね」
アルトが拳を握り直す。
「……来い!」
次の瞬間。
二人の姿が、同時に動いた。
激突。
轟音。
石畳が砕け散る。
その戦いは。
まだ、終わらない。




