笑み
ダンッ!
二人の距離が、一気に縮まった。
先に動いたのは、アルト。
右拳を突き出す。
ミュゼが首を傾けた。
拳が頬の横を通り過ぎる。
そのまま。
《遊猫》の鉤爪が、アルトの脇腹へ伸びた。
だが。
「……っ!」
アルトは拳を引かなかった。
踏み込んだ足を軸に、身体を捻る。
そして。
ドッ!
「ぐっ⁉︎」
左肩を、ミュゼの胸元へ叩きつけた。
ミュゼの身体が浮く。
だが、吹き飛ばされる寸前。
片足をアルトの腰へ引っかけた。
「……っ!」
ぐいっ!
アルトの身体が傾く。
二人は、そのまま石畳へ転がった。
ドンッ!
「……ぐっ!」
アルトが背中を打つ。
その上。
ミュゼが、するりと身体を滑り込ませた。
「……へへっ」
片膝をアルトの肩へ押し当てる。
もう片方の脚を、右腕へ絡めた。
「また捕まえたっすよ」
「……くそっ!」
アルトが腕を引く。
だが。
ミュゼは腰を落とし、関節を固定した。
「さっきと同じっす」
ぐいっ!
「……っ!」
肘に痛みが走る。
「力だけじゃ、抜けられないっすよ?」
「……そうかよ!」
アルトが左手を地面についた。
ぐっ。
背中を浮かせる。
「……え?」
ミュゼの眉が動いた。
アルトは、身体を起こそうとしていた。
右腕を封じられたまま。
左腕と両脚だけで。
「……ちょっ!」
「……離れろ!」
アルトが腰を跳ね上げた。
ドンッ!
「うわっ!」
ミュゼの身体が浮く。
だが。
すぐに腕を離し、後方へ跳んだ。
トンッ。
着地。
アルトも、勢いよく立ち上がる。
「……っつぅ」
右腕を振った。
肘が痛む。
それでも。
動かせないほどではない。
「……なんすか、その力」
ミュゼが呆れたように笑った。
「普通、あそこから起き上がれないっすよ」
「起きられたぞ」
「……見りゃ分かりますって」
アルトが拳を構え直す。
「もう一回だ」
「……あはは」
ミュゼも腰を落とした。
「いいっすねぇ」
だが。
その笑みの奥。
ミュゼは、僅かに警戒を強めていた。
力は、明らかにアルトが上。
まともに組み合えば、押し切られる。
だからこそ。
捕まえた瞬間に、関節を極める。
それでも。
強引に抜けてくる。
(……面倒っすねぇ)
ミュゼが息を吐く。
そして。
シュッ!
低く踏み込んだ。
「……っ!」
アルトが迎え撃つ。
拳。
ミュゼは身体を沈めた。
そのまま、足元へ。
だが。
アルトは蹴らなかった。
「……?」
ミュゼの視線が動く。
アルトは、僅かに後ろへ下がっていた。
追えば、拳の間合い。
下がれば、アルトが踏み込んでくる。
「……へぇ」
ミュゼが笑う。
「考えてるじゃないっすか」
「……当たり前だろ」
「いやぁ、てっきり」
ミュゼが肩を竦める。
「全部、力任せなのかと」
「……それじゃ当たんねぇからな」
「……なるほど」
ミュゼの目が細くなる。
「じゃあ……」
すっ。
右足を前へ出した。
「これは?」
シュッ!
《遊猫》の爪が、アルトの顔へ伸びる。
アルトは身を引く。
その瞬間。
ミュゼが手首を返した。
爪の軌道が変わる。
「……っ!」
アルトは咄嗟に左腕を上げた。
だが。
ミュゼは、爪を引いた。
空振り。
そのまま。
身体を回転させる。
ドッ!
「ぐっ!」
踵が、アルトの脇腹を捉えた。
アルトの身体が傾く。
だが。
倒れない。
踏み込む。
「……っ!」
ミュゼの目が見開かれた。
蹴りを受けたまま。
アルトが、距離を詰めていた。
ぐっ!
ミュゼの足首を掴む。
「……またっ⁉︎」
「捕まえた!」
アルトが腕を引いた。
ミュゼの身体が崩れる。
だが。
その瞬間。
ミュゼは、自ら地面へ手をついた。
ぐるり。
身体を捻る。
掴まれた足を軸に。
もう片方の脚が跳ね上がった。
「……っ!」
アルトの顔へ。
踵。
ドッ!
「ぐっ!」
頬を蹴られた。
アルトの手が緩む。
その隙に。
ミュゼは足を引き抜いた。
トンッ。
着地。
「……っつぅ」
ミュゼが足首を回す。
「ほんっと、足掴むの好きっすね」
「掴めるからな!」
「……そういう問題っすか?」
「そういう問題だ!」
「……あはは!」
ミュゼが笑う。
アルトも、口元を緩めた。
だが。
次の瞬間。
ミュゼが動いた。
ダンッ!
「……っ!」
アルトが拳を構える。
ミュゼは右へ。
アルトも右へ踏み込む。
だが。
ミュゼは、そこで止まった。
「……っ!」
アルトの重心が、僅かに流れる。
その瞬間。
シュッ!
鉤爪が、アルトの太腿を掠めた。
「……ぐっ!」
アルトが足を引く。
だが。
ミュゼは追わなかった。
代わりに。
アルトの胸元へ、掌を当てた。
ドッ!
「……がっ!」
短い衝撃。
アルトの身体が後方へ押し出された。
数歩。
足がもつれる。
それでも。
倒れない。
ぐっ。
地面を踏みしめる。
「……っ!」
アルトが顔を上げた。
ミュゼは、既に次の構えへ移っていた。
「……ほら」
笑う。
「一瞬っすよ」
「…………」
「ほんの一瞬」
《遊猫》の爪が、ゆっくりと持ち上がる。
「それだけで、変わっちゃうんすから」
アルトが拳を握り直した。
「……だったら」
足を開く。
腰を落とす。
「次は、その一瞬を取る!」
「……あはは!」
ミュゼが笑った。
「……いいっすねぇ!」
だが。
その瞳は。
少しも笑っていなかった。
再び。
二人の距離が、縮まった。




