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精霊達の忘れ物  作者: 粉砕のじゅんこ
休暇

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649/672

今は…


 ドゴォンッ!


 アルトの拳が、石畳を砕いた。


「……うわっ!」


 寸前。


 ミュゼが身体を反らす。


 鼻先を拳が掠めていった。


 だが。


 アルトは止まらない。


 踏み込み。


 腰を捻り。


 左拳を突き出す。


「っと!」


 ミュゼは上体を横へ倒した。


 普通なら、そのまま地面へ転がるほど深く。


 片手をつき。


 身体を支える。


 その姿勢から。


 シュッ!


 《遊猫》の鉤爪が、アルトの脇腹へ伸びた。


「……っ!」


 アルトが身を引く。


 衣服が裂ける。


「危なかったっすねぇ!」


「まだだ!」


 アルトが踏み込む。


 今度は、蹴り。


 ブンッ!


「おっと!」


 ミュゼが腰を大きく反らした。


 だが。


 アルトは蹴り抜かなかった。


 途中で膝を曲げ。


 そのまま。


 足を踏み下ろす。


 ドンッ!


「……っ⁉︎」


 ミュゼの足元。


 石畳が砕けた。


 跳ね上がった破片を避け、ミュゼが横へ跳ぶ。


 その瞬間。


「そこだ!」


 拳が迫る。


「うおっ!」


 ミュゼが咄嗟に両腕を交差させた。


 ドゴッ!


「ぐっ……!」


 身体が浮く。


 そのまま、後方へ吹き飛ばされた。


 だが。


 空中で身体を丸め。


 地面に触れる直前。


 片手をつく。


 くるり。


 衝撃を逃がしながら回転し。


 トンッ。


 両足で着地した。


「……っつぅ」


 ミュゼが両腕を軽く振る。


「ほんっと、馬鹿力っすね」


「へへっ!」


 アルトが拳を構え直す。


「今度は当たっただろ!」


「……そうっすねぇ」


 ミュゼが腕を振る。


「当たりましたね」


「……?」


 アルトが首を傾げた。


 ミュゼは。


 そんなアルトを、じっと見ていた。


「……アーヴェル隊、見習い」


「ん?」


「いやぁ」


 ミュゼが小さく笑う。


「随分、馴染んでるみたいっすね」


「……そうか?」


「そうっすよ」


 肩を竦める。


「さっきも堂々と名乗ってたじゃないっすか」


「だって、俺はアーヴェル隊の見習いだぞ?」


「…………」


「なんだよ?」


「……いや」


 ミュゼは笑った。


「別に」


 アルトは怪訝そうな顔をする。


 だが。


 ミュゼは、それ以上何も言わなかった。


 不死隊を出て。


 ガイストへ行って。


 新しい居場所を見つけて。


 今では。


 あんなふうに、当たり前のように名乗っている。


「…………」


 胸の奥が。


 妙にざらついた。


「……アルトさん」


「なんだ?」


「そっちの仲間」


 ミュゼが、ちらりと視線を動かす。


 遠く。


 傷つきながらも、この戦いに巻き込まれた者たち。


「大事なんすか?」


「……ああ」


 即答だった。


「大事だ」


「…………」


「レテも、ログも、ヒルトも、フィリアも、ユノも」


 一人ずつ。


 迷うことなく。


「みんな、大事な仲間だ」


「…………」


 ミュゼの目が。


 僅かに細くなった。


「だから俺は……」


「……いいっすね」


 アルトの言葉を遮った。


「え?」


「いいっすねぇ」


 ミュゼは笑っていた。


「そんなに大事な仲間がいて」


 一歩。


 前へ出る。


「そいつらも、アルトさんのためにここまで来てくれて」


 もう一歩。


「……大事にされてるんすねぇ」


「…………」


 アルトの眉が寄る。


 笑っている。


 いつもの。


 掴みどころのない笑い方。


 なのに。


「……ミュゼ」


「はい?」


「お前、怒ってるのか?」


「…………」


 一瞬。


 ミュゼが黙った。


 そして。


「あはは!」


 いつものように笑う。


「なんすか、それ!」


「いや……なんか」


「怒ってないっすよ」


 ミュゼが腰を落とした。


 《遊猫》の鉤爪が。


 ゆっくりと持ち上がる。


「ただ……」


 笑ったまま。


「ちょっと、気に入らないだけっす」


 ダンッ!


「……っ!」


 一気に。


 姿勢が低くなる。


 ミュゼがアルトの懐へ潜り込んだ。


 シュッ!


「くっ!」


 鉤爪が胸元を掠める。


 アルトが後ろへ下がる。


 だが。


 ミュゼは追った。


 右。


 左。


 アルトの視界から外れるように、細かく位置を変える。


「……っ!」


 アルトが振り向きざまに拳を放った。


 その瞬間。


 ミュゼの上体が、ぐにゃりと反る。


 ブンッ!


 拳が空を切った。


 直後。


 反らした姿勢から。


 脚が跳ね上がる。


 ドッ!


「ぐっ!」


 アルトの脇腹へ蹴りが突き刺さった。


「まだっすよ!」


 蹴った足を引かず。


 アルトの身体を踏み台にする。


 ミュゼの身体が宙へ浮いた。


 くるり。


 回転。


 《遊猫》が振り下ろされる。


「……っ!」


 アルトが咄嗟に身体を捻った。


 シュッ!


 爪が前腕を浅く裂く。


「くそっ!」


 アルトがその腕を掴もうとする。


「おっと!」


 だが。


 ミュゼの肩が沈んだ。


 肘を畳み。


 手首を返す。


 するり。


 捕まえる寸前で、腕が抜けた。


「……またそれか!」


「便利でしょ!」


「便利すぎんだろ!」


「そりゃどうも!」


 シュッ!


 再び爪が走る。


 アルトは身を屈めた。


 頭上を通過する。


 そのまま。


 前へ。


「……っ!」


 避けるのではない。


 ミュゼの懐へ。


 ドンッ!


「ぐっ⁉︎」


 肩から。


 身体ごとぶつかった。


 ミュゼが後方へ弾かれる。


「……っつぅ!」


 両足を地面へ滑らせ。


 上体を反らしながら衝撃を逃がす。


「ほんっと、力任せっすね!」


「お前が避けるからだ!」


「だからって身体ごと来ます?」


「これなら当たるだろ!」


「……まぁ、当たりましたけど!」


 二人の口元に。


 僅かに笑みが浮かぶ。


「…………」


 だが。


 ミュゼの笑みは、すぐに消えた。


 アルトが。


 再び拳を構える。


 傷だらけで。


 息も荒い。


 それでも。


 まだ立っている。


 仲間のために。


 その姿を見ていると。


 ふと。


 あの言葉が蘇った。


『意味のない死は、ないから……』


「…………」


 ミュゼの指先が。


 ぴくりと動く。


 意味のない死はない。


「…………」


 笑わせる。


 何も知らないくせに。


 何も。


 知らないくせに。


「……ミュゼ?」


 アルトの声。


「…………」


 ミュゼは顔を上げた。


「なんでもないっすよ」


 笑う。


 いつものように。


「……アルトさん」


「なんだ?」


「不死隊にいた頃のこと」


 アルトの表情が僅かに変わる。


「……覚えてます?」


「…………」


 少しだけ。


 間が空いた。


「ああ」


「…………」


「覚えてる」


「……そっすか」


 ミュゼは、それ以上聞かなかった。


 ただ。


 《遊猫》を握る手に。


 僅かに力が入った。


「だったら……」


 腰を落とす。


 肩から力を抜き。


 低く。


 低く。


 獲物へ飛びかかる猫のように。


「もっと必死になってくださいよ」


「……?」


「今の仲間を守りたいんでしょ?」


「……ああ」


「だったら」


 ミュゼの笑みが。


 僅かに深くなる。


「俺を倒さないと」


 ダンッ!


 地面を蹴った。


「……っ!」


 先ほどより速い。


 低い姿勢のまま。


 一気に距離を詰める。


 鉤爪が。


 アルトの顔へ伸びる。


 アルトが拳を振るう。


 だが。


 ミュゼは首を倒した。


 拳が髪を掠める。


 そのまま腰を捻り。


 脚を跳ね上げる。


 爪。


 そして、蹴り。


 二つが同時に迫った。


「……っ!」


 アルトが腕を上げる。


 ドッ!


 爪を避け。


 蹴りだけを腕で受ける。


 身体が揺れた。


「ほら!」


 着地と同時に。


 ミュゼが踏み込む。


 シュッ!


「もっと!」


 二撃目。


 アルトが首を振って躱す。


「必死に!」


 三撃目。


 鉤爪が頬を掠めた。


「……っ!」


 細い血の筋。


 それでも。


 アルトは下がらなかった。


 ぐっ。


 地面を踏みしめる。


「……言われなくても!」


 拳を握る。


「そのつもりだ!」


 振り抜く。


「……っ!」


 ミュゼが身体を反らした。


 拳が鼻先を通過する。


 風圧が。


 頬を打つ。


「うぉっ……!」


 ミュゼが後方へ跳ぶ。


 トンッ。


 着地。


 顔を上げる。


 その正面。


 アルトは、まだ構えていた。


「俺は……」


 肩で息をする。


「不死隊にいたことを、忘れてねぇ」


「…………」


「でも」


 アルトが拳を握り直した。


「今は、ガイスト軍だ」


「…………」


 ミュゼの笑みが。


 消えた。


 ほんの一瞬。


「……そっすか」


 そして。


 また。


 笑う。


「……なら」


 両腕を広げる。


 身体を沈める。


 《遊猫》の鉤爪が。


 鈍く光った。


「その言葉」


 ミュゼの瞳が。


 アルトを捉える。


「どこまで貫けるか……」


 アルトも。


 腰を落とした。


「見せてもらいますよ」


「ああ!」


 視線がぶつかる。


 次の瞬間。


 ダンッ!


 二人が。


 同時に地面を蹴った。

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