今は…
ドゴォンッ!
アルトの拳が、石畳を砕いた。
「……うわっ!」
寸前。
ミュゼが身体を反らす。
鼻先を拳が掠めていった。
だが。
アルトは止まらない。
踏み込み。
腰を捻り。
左拳を突き出す。
「っと!」
ミュゼは上体を横へ倒した。
普通なら、そのまま地面へ転がるほど深く。
片手をつき。
身体を支える。
その姿勢から。
シュッ!
《遊猫》の鉤爪が、アルトの脇腹へ伸びた。
「……っ!」
アルトが身を引く。
衣服が裂ける。
「危なかったっすねぇ!」
「まだだ!」
アルトが踏み込む。
今度は、蹴り。
ブンッ!
「おっと!」
ミュゼが腰を大きく反らした。
だが。
アルトは蹴り抜かなかった。
途中で膝を曲げ。
そのまま。
足を踏み下ろす。
ドンッ!
「……っ⁉︎」
ミュゼの足元。
石畳が砕けた。
跳ね上がった破片を避け、ミュゼが横へ跳ぶ。
その瞬間。
「そこだ!」
拳が迫る。
「うおっ!」
ミュゼが咄嗟に両腕を交差させた。
ドゴッ!
「ぐっ……!」
身体が浮く。
そのまま、後方へ吹き飛ばされた。
だが。
空中で身体を丸め。
地面に触れる直前。
片手をつく。
くるり。
衝撃を逃がしながら回転し。
トンッ。
両足で着地した。
「……っつぅ」
ミュゼが両腕を軽く振る。
「ほんっと、馬鹿力っすね」
「へへっ!」
アルトが拳を構え直す。
「今度は当たっただろ!」
「……そうっすねぇ」
ミュゼが腕を振る。
「当たりましたね」
「……?」
アルトが首を傾げた。
ミュゼは。
そんなアルトを、じっと見ていた。
「……アーヴェル隊、見習い」
「ん?」
「いやぁ」
ミュゼが小さく笑う。
「随分、馴染んでるみたいっすね」
「……そうか?」
「そうっすよ」
肩を竦める。
「さっきも堂々と名乗ってたじゃないっすか」
「だって、俺はアーヴェル隊の見習いだぞ?」
「…………」
「なんだよ?」
「……いや」
ミュゼは笑った。
「別に」
アルトは怪訝そうな顔をする。
だが。
ミュゼは、それ以上何も言わなかった。
不死隊を出て。
ガイストへ行って。
新しい居場所を見つけて。
今では。
あんなふうに、当たり前のように名乗っている。
「…………」
胸の奥が。
妙にざらついた。
「……アルトさん」
「なんだ?」
「そっちの仲間」
ミュゼが、ちらりと視線を動かす。
遠く。
傷つきながらも、この戦いに巻き込まれた者たち。
「大事なんすか?」
「……ああ」
即答だった。
「大事だ」
「…………」
「レテも、ログも、ヒルトも、フィリアも、ユノも」
一人ずつ。
迷うことなく。
「みんな、大事な仲間だ」
「…………」
ミュゼの目が。
僅かに細くなった。
「だから俺は……」
「……いいっすね」
アルトの言葉を遮った。
「え?」
「いいっすねぇ」
ミュゼは笑っていた。
「そんなに大事な仲間がいて」
一歩。
前へ出る。
「そいつらも、アルトさんのためにここまで来てくれて」
もう一歩。
「……大事にされてるんすねぇ」
「…………」
アルトの眉が寄る。
笑っている。
いつもの。
掴みどころのない笑い方。
なのに。
「……ミュゼ」
「はい?」
「お前、怒ってるのか?」
「…………」
一瞬。
ミュゼが黙った。
そして。
「あはは!」
いつものように笑う。
「なんすか、それ!」
「いや……なんか」
「怒ってないっすよ」
ミュゼが腰を落とした。
《遊猫》の鉤爪が。
ゆっくりと持ち上がる。
「ただ……」
笑ったまま。
「ちょっと、気に入らないだけっす」
ダンッ!
「……っ!」
一気に。
姿勢が低くなる。
ミュゼがアルトの懐へ潜り込んだ。
シュッ!
「くっ!」
鉤爪が胸元を掠める。
アルトが後ろへ下がる。
だが。
ミュゼは追った。
右。
左。
アルトの視界から外れるように、細かく位置を変える。
「……っ!」
アルトが振り向きざまに拳を放った。
その瞬間。
ミュゼの上体が、ぐにゃりと反る。
ブンッ!
拳が空を切った。
直後。
反らした姿勢から。
脚が跳ね上がる。
ドッ!
「ぐっ!」
アルトの脇腹へ蹴りが突き刺さった。
「まだっすよ!」
蹴った足を引かず。
アルトの身体を踏み台にする。
ミュゼの身体が宙へ浮いた。
くるり。
回転。
《遊猫》が振り下ろされる。
「……っ!」
アルトが咄嗟に身体を捻った。
シュッ!
爪が前腕を浅く裂く。
「くそっ!」
アルトがその腕を掴もうとする。
「おっと!」
だが。
ミュゼの肩が沈んだ。
肘を畳み。
手首を返す。
するり。
捕まえる寸前で、腕が抜けた。
「……またそれか!」
「便利でしょ!」
「便利すぎんだろ!」
「そりゃどうも!」
シュッ!
再び爪が走る。
アルトは身を屈めた。
頭上を通過する。
そのまま。
前へ。
「……っ!」
避けるのではない。
ミュゼの懐へ。
ドンッ!
「ぐっ⁉︎」
肩から。
身体ごとぶつかった。
ミュゼが後方へ弾かれる。
「……っつぅ!」
両足を地面へ滑らせ。
上体を反らしながら衝撃を逃がす。
「ほんっと、力任せっすね!」
「お前が避けるからだ!」
「だからって身体ごと来ます?」
「これなら当たるだろ!」
「……まぁ、当たりましたけど!」
二人の口元に。
僅かに笑みが浮かぶ。
「…………」
だが。
ミュゼの笑みは、すぐに消えた。
アルトが。
再び拳を構える。
傷だらけで。
息も荒い。
それでも。
まだ立っている。
仲間のために。
その姿を見ていると。
ふと。
あの言葉が蘇った。
『意味のない死は、ないから……』
「…………」
ミュゼの指先が。
ぴくりと動く。
意味のない死はない。
「…………」
笑わせる。
何も知らないくせに。
何も。
知らないくせに。
「……ミュゼ?」
アルトの声。
「…………」
ミュゼは顔を上げた。
「なんでもないっすよ」
笑う。
いつものように。
「……アルトさん」
「なんだ?」
「不死隊にいた頃のこと」
アルトの表情が僅かに変わる。
「……覚えてます?」
「…………」
少しだけ。
間が空いた。
「ああ」
「…………」
「覚えてる」
「……そっすか」
ミュゼは、それ以上聞かなかった。
ただ。
《遊猫》を握る手に。
僅かに力が入った。
「だったら……」
腰を落とす。
肩から力を抜き。
低く。
低く。
獲物へ飛びかかる猫のように。
「もっと必死になってくださいよ」
「……?」
「今の仲間を守りたいんでしょ?」
「……ああ」
「だったら」
ミュゼの笑みが。
僅かに深くなる。
「俺を倒さないと」
ダンッ!
地面を蹴った。
「……っ!」
先ほどより速い。
低い姿勢のまま。
一気に距離を詰める。
鉤爪が。
アルトの顔へ伸びる。
アルトが拳を振るう。
だが。
ミュゼは首を倒した。
拳が髪を掠める。
そのまま腰を捻り。
脚を跳ね上げる。
爪。
そして、蹴り。
二つが同時に迫った。
「……っ!」
アルトが腕を上げる。
ドッ!
爪を避け。
蹴りだけを腕で受ける。
身体が揺れた。
「ほら!」
着地と同時に。
ミュゼが踏み込む。
シュッ!
「もっと!」
二撃目。
アルトが首を振って躱す。
「必死に!」
三撃目。
鉤爪が頬を掠めた。
「……っ!」
細い血の筋。
それでも。
アルトは下がらなかった。
ぐっ。
地面を踏みしめる。
「……言われなくても!」
拳を握る。
「そのつもりだ!」
振り抜く。
「……っ!」
ミュゼが身体を反らした。
拳が鼻先を通過する。
風圧が。
頬を打つ。
「うぉっ……!」
ミュゼが後方へ跳ぶ。
トンッ。
着地。
顔を上げる。
その正面。
アルトは、まだ構えていた。
「俺は……」
肩で息をする。
「不死隊にいたことを、忘れてねぇ」
「…………」
「でも」
アルトが拳を握り直した。
「今は、ガイスト軍だ」
「…………」
ミュゼの笑みが。
消えた。
ほんの一瞬。
「……そっすか」
そして。
また。
笑う。
「……なら」
両腕を広げる。
身体を沈める。
《遊猫》の鉤爪が。
鈍く光った。
「その言葉」
ミュゼの瞳が。
アルトを捉える。
「どこまで貫けるか……」
アルトも。
腰を落とした。
「見せてもらいますよ」
「ああ!」
視線がぶつかる。
次の瞬間。
ダンッ!
二人が。
同時に地面を蹴った。




