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精霊達の忘れ物  作者: 粉砕のじゅんこ
休暇

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648/673

見習いアルト

     ◇ ◇ ◇


「……ここまで来りゃ、いいでしょ」


 ミュゼが足を止めた。


 振り返れば、先ほどまでいた場所が随分と遠くなっている。


 アルトも、その数歩手前で立ち止まった。


 ゴォォッ!


 ドドンッ!


 ガガガガッ!


 遠くから、激しい戦闘音が響いてくる。


 炎が上がり。


 石畳が砕け。


 剣戟の音が、途切れることなく響いていた。


「……おー」


 ミュゼが振り返る。


「やってる、やってる」


 その顔には、いつもの軽薄な笑み。


 まるで祭りでも眺めているかのようだった。


「……んじゃ!」


 両手を軽く打ち合わせる。


 鉤爪型の魔器。


 《遊猫》。


「俺らも、やりますかー!」


「……なぁ」


 アルトが口を開いた。


「……お前」


 だが。


 シュッ!


「……っ!」


 目の前を、黄色い爪が通り過ぎた。


 アルトが咄嗟に首を傾ける。


 頬のすぐ横。


 《遊猫》の鋭い爪が、空を裂いた。


「……いつまで」


 ミュゼが踏み込む。


 シュシュッ!


 二撃。


 三撃。


「そんな萎んでんだよ!」


「……っ!」


 アルトが後方へ跳んだ。


 だが、ミュゼは止まらない。


 低く身を沈め。


 地面を滑るように距離を詰める。


「お前の仲間が殺されそうなんだろうが!」


 シュッ!


 爪がアルトの胸元を掠めた。


「……ぐっ!」


「もっと必死になれよ!」


 ミュゼが叫ぶ。


「いつまで、そんな顔してんだ!」


「…………!」


 アルトが歯を食いしばる。


 だが、反撃しない。


 いや。


 できなかった。


 頭から離れない。


 倒れたレテ。


 血を流すログ。


 動けなくなったヒルトやフィリア。


 ユノ。


 ガオン。


 そして。


 自分たちを助けるために戦っている、リオネルたち。


「……はぁ」


 ミュゼが大きく溜息をついた。


 攻撃の手を止める。


「……あの人らが本気になればな」


 顎で、遠くの戦場を示した。


「スパーナの隊長格だって、簡単に倒せるくらい分かるだろ」


「…………」


「……まぁ」


 ミュゼが少し考える。


「一人、化け物クラスがいたな……」


 ゴォンッ!


 遠くで、凄まじい衝撃音が響いた。


 ゴートーとグレイグ。


 二人の巨体が、再び激突する。


「……んー」


 ミュゼが首を傾げた。


「まぁ、ゴートーさんならなんとかするか」


 そして。


 アルトへ視線を戻した。


「……とにかく!」


 両手の《遊猫》を構える。


「死ぬ気で来い」


「…………」


 アルトは俯いた。


 拳を握る。


(……俺のせいで)


 あの時。


 自分が不死隊から逃げ出さなければ。


 あるいは。


 もっと強かったなら。


(……レテたちを巻き込んで)


 仲間が傷ついた。


(……リオネルさんたちまで)


 自分たちを助けるために、命を懸けて戦っている。


 それなのに。


(……俺は)


 アルトの拳が震えた。


(俺が……こんなに弱気でどうする!)


 顔を上げる。


 遠くに見える、仲間たちの姿。


 傷だらけになりながらも。


 懸命に治癒を続けるレテ。


 皆を支えるユノ。


 そして。


 自分のために剣を振るう仲間たち。


(……助けてもらってんだ)


 そうだ。


 今の自分は、一人ではない。


(……だったら!)


 アルトが息を吸い込んだ。


(いつまでも、へこんでられない!)


 拳を握り直す。


(……助けてくれたみんなに、失礼だ!)


「…………」


 ゆっくりと。


 アルトが腰を落とした。


 左足を前へ。


 右足を後ろへ。


 両腕を構える。


「……ん?」


 ミュゼが目を細めた。


 アルトは、まっすぐに相手を見据えた。


「……ガイスト軍」


 その声には、もう迷いがなかった。


「アーヴェル隊、見習い」


 一度、息を吐く。


「……アルト」


 ニッ。


 口元が吊り上がった。


「来いよ」


 右手を、くいっと動かす。


「返り討ちにしてやる!」


「…………」


 ミュゼが瞬きをした。


 そして。


「……へへっ」


 笑った。


「そう来なくっちゃ!」


     ◇


 ダンッ!


 先に動いたのは、アルトだった。


「おらぁっ!」


 地面を蹴る。


 一歩。


 いや。


 その一歩で、間合いが一気に縮まった。


「……おっ⁉︎」


 ミュゼが目を見開く。


 アルトの身体が、跳ね上がる。


 そして。


 空中で上体を倒し。


 右脚を、大きく振り上げた。


「はぁぁっ!」


 踵落とし。


 ドゴォンッ!


「……っ!」


 ミュゼが両腕を交差させた。


 《遊猫》の手甲で、踵を受け止める。


 だが。


「……うぉっ⁉︎」


 ズズズッ!


 足が沈んだ。


 石畳が、靴底の下で軋む。


「……なんつー力だよ……!」


 ミュゼが歯を食いしばった。


 たった一撃。


 それだけで、両腕が痺れている。


 しかも。


「……お、おい!」


 まだ。


 押し込まれる。


 ギギギッ!


 アルトは片脚を振り下ろした姿勢のまま、体重を乗せていた。


 細身の身体からは想像もつかない圧力。


「……っ!」


 ミュゼが膝を曲げる。


 まともに受け続ければ、腕が潰される。


 そう判断した瞬間。


 アルトが動いた。


「……ふんっ!」


 踵を押しつけたまま。


 腰を捻る。


 反対側の脚が、横から弧を描いた。


 狙いは。


 ミュゼの顔面。


「……うぉっ!」


 ミュゼが身体を反らした。


 いや。


 反らしたというより。


 折れ曲がった。


 腰から上だけが、ぐにゃりと後方へ倒れる。


 アルトの蹴りが、鼻先を通り過ぎる。


 だが。


「……ぐへっ!」


 完全には躱せなかった。


 つま先が頬を掠める。


 顔が横へ弾かれた。


「……っ、いってぇ!」


 ミュゼが顔をしかめる。


 だが、その身体は倒れない。


 反らした上体をさらに捻り。


 アルトの軸足を、下から払いにかかった。


「……おらっ!」


「……っ!」


 アルトの身体が傾く。


 着地するはずだった足が、地面を捉え損ねた。


 だが。


 トンッ!


 アルトは片手を石畳についた。


 そのまま。


 腰を回す。


「……おらぁっ!」


 ブンッ!


 地面すれすれを、脚が薙いだ。


「……うわっ!」


 ミュゼが上体を後方へ倒した。


 普通なら、尻餅をつく体勢。


 だが。


 両膝が深く曲がり。


 背中が、石畳に触れる寸前まで沈む。


 アルトの脚が、その上を通り過ぎた。


「……はっ!」


 ミュゼが両手を地面につく。


 ぐにゃり。


 身体を反らしたまま、脚だけを持ち上げた。


 そして。


 トンッ!


 軽く後方へ跳ねる。


 何事もなかったように、両足で着地した。


「…………」


 アルトが目を丸くした。


「……柔らかいな!」


「へへっ!」


 ミュゼが肩を回す。


「それが取り柄ですからね!」


 首を左右へ傾ける。


 コキッ。


 コキッ。


「……いやぁ」


 頬を擦った。


「にしても、痛いっすねぇ」


「……そりゃそうだろ!」


「普通、あの体勢から反対の足が飛んでくるとは思わないっすよ!」


「へへっ!」


 アルトが笑った。


「まだまだいくぞ!」


「……どうぞどうぞ!」


     ◇


 ダンッ!


 再び、アルトが地面を蹴った。


 正面から。


 真っ直ぐに。


「おらっ!」


 右拳。


 シュッ!


 ミュゼが首を傾ける。


 拳が耳元を通り過ぎた。


 続けて、左拳。


「……っと!」


 今度は、肩を落とした。


 拳が頭上を掠める。


 だが。


「……っ!」


 アルトの右拳が、途中で止まった。


 そのまま肘を曲げる。


 狙いを変えた。


 ドンッ!


「ぐっ!」


 ミュゼが両腕で受ける。


 衝撃。


 身体が後方へ押し戻された。


(……重っ!)


 拳だけではない。


 肘も。


 膝も。


 足も。


 どこから攻撃されても、恐ろしく重い。


「……おらぁっ!」


 アルトが踏み込んだ。


 今度は、左の回し蹴り。


 ブンッ!


「……おっと!」


 ミュゼが腰を落とす。


 そのまま、床に手をついた。


 足を軸に。


 くるり。


 身体が回転する。


 アルトの蹴りを潜り抜けながら、《遊猫》を振るった。


 シュッ!


「……っ!」


 アルトが腹を引く。


 鉤爪が服を裂いた。


「……危ねぇ!」


「へへっ!」


 ミュゼは低い姿勢のまま、さらに回った。


 右手。


 左手。


 鉤爪が、下から次々に伸びてくる。


 シュシュッ!


 普通なら、腕の届かない角度。


 だが。


 ミュゼは肩を大きく捻り。


 身体の横から、無理やり爪を差し込んでくる。


「……うおっ!」


 アルトが後方へ跳んだ。


 その瞬間。


 ミュゼの身体が、跳ね上がった。


 腕を支点に。


 両脚を振り上げる。


「……ほいっ!」


 ドッ!


「ぐっ!」


 アルトの胸元に、蹴りが入った。


 だが。


 アルトは退かなかった。


「……おらぁっ!」


 蹴りを受けたまま。


 ミュゼの足首を掴んだ。


「……へ?」


 ミュゼが目を瞬かせる。


 次の瞬間。


「ふんっ!」


 ブンッ!


「うぉぉっ⁉︎」


 ミュゼの身体が、宙を舞った。


 アルトが片腕で振り回したのだ。


 そのまま。


 石畳へ叩きつける。


「……おらぁ!」


 ドガァンッ!


 砕けた石畳が、舞い上がった。


 だが。


「……っ?」


 アルトが目を見開く。


 手応えが、浅い。


 叩きつけたはずの瞬間。


 ミュゼは腰を捻り、背中を丸めていた。


 衝撃を一点で受けず。


 肩から背中へ。


 背中から腰へ。


 身体を転がして逃がしていた。


「……っつぅ!」


 ミュゼが顔をしかめる。


「……いやいやいや!」


 くるりと転がり、両手をつく。


「普通、そこは離すでしょ!」


「……なんで?」


「なんでって……!」


 ミュゼが起き上がる。


「足掴んで投げる奴がありますか!」


「掴めたからな!」


「……あっはは!」


 ミュゼが笑った。


「いいっすねぇ!」


 だが。


 その目は、アルトの腕を見ていた。


(……あっぶねぇ)


 今の一撃。


 まともに地面へ叩きつけられていたら。


 笑ってなどいられなかった。


(……こいつ、やっぱおかしいっすね)


 魔脈で強化している様子はない。


 それなのに。


 踏み込み。


 跳躍。


 腕力。


 全てが、常識外れだった。


(……身体そのものが、化け物っすか)


 ミュゼが、ゆっくりと腰を落とした。


「……んじゃ」


 肩を回す。


 肘を曲げる。


 背中を丸める。


 その姿勢は、どこか猫に似ていた。


「……こっちも、ちょっと本気で動きますかね」


「……おう!」


 アルトが拳を構える。


「来い!」


     ◇


 シュッ!


「……っ!」


 ミュゼの姿勢が、さらに低くなった。


 ほとんど地面に這いつくばるような高さ。


 そこから。


 ダンッ!


 一気に跳び出す。


「……速っ!」


 アルトが拳を振るった。


 だが。


 ミュゼの頭が、ありえない角度へ倒れた。


 拳が、その上を通り過ぎる。


 そして。


 そのまま頭を下げた姿勢から。


 シュッ!


 《遊猫》が、アルトの脇腹へ伸びた。


「……くっ!」


 アルトが身体を捻る。


 爪が服を裂いた。


 だが、ミュゼは止まらない。


 低い姿勢から。


 いきなり上体を反らす。


 そして。


 斜め上から、もう片方の爪。


「……おらっ!」


 シュンッ!


「……っ!」


 アルトが首を傾ける。


 頬に、細い傷が走った。


「……っ!」


 血が滲む。


 だが。


 アルトは怯まない。


「おらぁぁっ!」


 ドンッ!


 地面を踏みしめる。


 拳を振り下ろした。


「……っと!」


 ミュゼが横へ身体を滑らせる。


 ゴガァンッ!


 拳が石畳を叩いた。


 床が砕ける。


 破片が飛び散った。


「……うっわ」


 ミュゼが顔を引きつらせる。


「……それ、当たったらどうなるんすか?」


「……知らねぇ!」


「怖っ!」


 ミュゼが後方へ跳ぶ。


 だが。


 アルトは追った。


「……おらぁっ!」


 右拳。


 左拳。


 さらに、踏み込んで膝蹴り。


 シュッ! シュッ!


 ドンッ!


 ミュゼが次々に身体を曲げる。


 首を倒し。


 腰を捻り。


 肩を沈める。


 まるで。


 骨がないかのように。


 攻撃の隙間をすり抜けていく。


「……っ!」


 アルトの眉が寄った。


(……当たんねぇ!)


 速さだけではない。


 相手の身体が、予想した方向へ動かない。


 普通なら避けられない角度。


 普通なら崩れる姿勢。


 そこから。


 さらに、次の動きへ繋いでくる。


「……へへっ!」


 ミュゼが笑った。


「どうしました?」


「……っ!」


「さっきから、空振りばっかっすよ!」


 シュッ!


 《遊猫》が伸びる。


 アルトが身を引いた。


 だが。


 ミュゼは腕を途中で曲げた。


 肘が、外側へ開く。


 そのまま。


 鉤爪が、横からアルトの肩へ迫った。


「……うおっ⁉︎」


 アルトが上体を倒す。


 爪が、髪を掠めた。


 だが。


「……へへ」


 アルトが笑った。


「……面白ぇ!」


「……へ?」


 ミュゼが瞬きをする。


「……お前」


 アルトが顔を上げた。


「すっげぇ、変な動きするな!」


「……褒めてます?」


「褒めてる!」


「……あはは!」


 ミュゼが笑った。


「そりゃ、どうも!」


 その瞬間。


 アルトが踏み込んだ。


「……おらぁっ!」


 拳を振るう。


 ミュゼが上体を反らした。


 だが。


 アルトは拳を追わせなかった。


 代わりに。


 足を一歩、深く踏み込む。


「……っ?」


 ミュゼの足元。


 そのすぐ横へ。


 そして。


「……ふんっ!」


 ドンッ!


 肩から、身体ごとぶつかった。


「……ぐおっ⁉︎」


 ミュゼの身体が浮く。


 後方へ弾かれた。


 ズザザッ!


 地面を転がる。


 だが。


 両手をつき。


 背中を丸め。


 くるり。


 猫のように身体を回して着地した。


「……っつぅ!」


 ミュゼが肩を押さえる。


「……ちょっと!」


「……ん?」


「今の、拳じゃないじゃないっすか!」


「……避けるからな!」


「……は?」


 アルトが笑う。


「だから、身体ごとぶつかった!」


「…………」


 ミュゼが、ぽかんと口を開けた。


 そして。


「……あっははは!」


 腹を抱えて笑い出した。


「なるほどねぇ!」


 立ち上がる。


 首を左右へ倒す。


「……いやぁ」


 その口元が、吊り上がった。


「こりゃ、油断できないっすね」


「……へへっ!」


 アルトが構え直した。


「次は当てる!」


「……どうぞ!」


 ミュゼも腰を落とす。


 手足を柔らかく曲げ。


 全身の力を抜く。


 対するアルトは。


 両拳を握り。


 正面から相手を見据えた。


 圧倒的な力。


 変幻自在の柔軟性。


 まるで、正反対の二人。


「……行くぞ!」


「いつでも!」


 ダンッ!


 シュッ!


 二人の身体が、再び交差した。


 ゴォンッ!


 アルトの拳が石畳を砕き。


 シュシュッ!


 ミュゼの鉤爪が、そのすぐ脇を駆け抜ける。


 互いの攻撃が。


 紙一重で交わされていく。


 だが。


 アルトの拳には、迷いがなかった。


 もう。


 俯いてはいない。


 目の前の敵を見据え。


 ただ、全力で戦っていた。

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