見習いアルト
◇ ◇ ◇
「……ここまで来りゃ、いいでしょ」
ミュゼが足を止めた。
振り返れば、先ほどまでいた場所が随分と遠くなっている。
アルトも、その数歩手前で立ち止まった。
ゴォォッ!
ドドンッ!
ガガガガッ!
遠くから、激しい戦闘音が響いてくる。
炎が上がり。
石畳が砕け。
剣戟の音が、途切れることなく響いていた。
「……おー」
ミュゼが振り返る。
「やってる、やってる」
その顔には、いつもの軽薄な笑み。
まるで祭りでも眺めているかのようだった。
「……んじゃ!」
両手を軽く打ち合わせる。
鉤爪型の魔器。
《遊猫》。
「俺らも、やりますかー!」
「……なぁ」
アルトが口を開いた。
「……お前」
だが。
シュッ!
「……っ!」
目の前を、黄色い爪が通り過ぎた。
アルトが咄嗟に首を傾ける。
頬のすぐ横。
《遊猫》の鋭い爪が、空を裂いた。
「……いつまで」
ミュゼが踏み込む。
シュシュッ!
二撃。
三撃。
「そんな萎んでんだよ!」
「……っ!」
アルトが後方へ跳んだ。
だが、ミュゼは止まらない。
低く身を沈め。
地面を滑るように距離を詰める。
「お前の仲間が殺されそうなんだろうが!」
シュッ!
爪がアルトの胸元を掠めた。
「……ぐっ!」
「もっと必死になれよ!」
ミュゼが叫ぶ。
「いつまで、そんな顔してんだ!」
「…………!」
アルトが歯を食いしばる。
だが、反撃しない。
いや。
できなかった。
頭から離れない。
倒れたレテ。
血を流すログ。
動けなくなったヒルトやフィリア。
ユノ。
ガオン。
そして。
自分たちを助けるために戦っている、リオネルたち。
「……はぁ」
ミュゼが大きく溜息をついた。
攻撃の手を止める。
「……あの人らが本気になればな」
顎で、遠くの戦場を示した。
「スパーナの隊長格だって、簡単に倒せるくらい分かるだろ」
「…………」
「……まぁ」
ミュゼが少し考える。
「一人、化け物クラスがいたな……」
ゴォンッ!
遠くで、凄まじい衝撃音が響いた。
ゴートーとグレイグ。
二人の巨体が、再び激突する。
「……んー」
ミュゼが首を傾げた。
「まぁ、ゴートーさんならなんとかするか」
そして。
アルトへ視線を戻した。
「……とにかく!」
両手の《遊猫》を構える。
「死ぬ気で来い」
「…………」
アルトは俯いた。
拳を握る。
(……俺のせいで)
あの時。
自分が不死隊から逃げ出さなければ。
あるいは。
もっと強かったなら。
(……レテたちを巻き込んで)
仲間が傷ついた。
(……リオネルさんたちまで)
自分たちを助けるために、命を懸けて戦っている。
それなのに。
(……俺は)
アルトの拳が震えた。
(俺が……こんなに弱気でどうする!)
顔を上げる。
遠くに見える、仲間たちの姿。
傷だらけになりながらも。
懸命に治癒を続けるレテ。
皆を支えるユノ。
そして。
自分のために剣を振るう仲間たち。
(……助けてもらってんだ)
そうだ。
今の自分は、一人ではない。
(……だったら!)
アルトが息を吸い込んだ。
(いつまでも、へこんでられない!)
拳を握り直す。
(……助けてくれたみんなに、失礼だ!)
「…………」
ゆっくりと。
アルトが腰を落とした。
左足を前へ。
右足を後ろへ。
両腕を構える。
「……ん?」
ミュゼが目を細めた。
アルトは、まっすぐに相手を見据えた。
「……ガイスト軍」
その声には、もう迷いがなかった。
「アーヴェル隊、見習い」
一度、息を吐く。
「……アルト」
ニッ。
口元が吊り上がった。
「来いよ」
右手を、くいっと動かす。
「返り討ちにしてやる!」
「…………」
ミュゼが瞬きをした。
そして。
「……へへっ」
笑った。
「そう来なくっちゃ!」
◇
ダンッ!
先に動いたのは、アルトだった。
「おらぁっ!」
地面を蹴る。
一歩。
いや。
その一歩で、間合いが一気に縮まった。
「……おっ⁉︎」
ミュゼが目を見開く。
アルトの身体が、跳ね上がる。
そして。
空中で上体を倒し。
右脚を、大きく振り上げた。
「はぁぁっ!」
踵落とし。
ドゴォンッ!
「……っ!」
ミュゼが両腕を交差させた。
《遊猫》の手甲で、踵を受け止める。
だが。
「……うぉっ⁉︎」
ズズズッ!
足が沈んだ。
石畳が、靴底の下で軋む。
「……なんつー力だよ……!」
ミュゼが歯を食いしばった。
たった一撃。
それだけで、両腕が痺れている。
しかも。
「……お、おい!」
まだ。
押し込まれる。
ギギギッ!
アルトは片脚を振り下ろした姿勢のまま、体重を乗せていた。
細身の身体からは想像もつかない圧力。
「……っ!」
ミュゼが膝を曲げる。
まともに受け続ければ、腕が潰される。
そう判断した瞬間。
アルトが動いた。
「……ふんっ!」
踵を押しつけたまま。
腰を捻る。
反対側の脚が、横から弧を描いた。
狙いは。
ミュゼの顔面。
「……うぉっ!」
ミュゼが身体を反らした。
いや。
反らしたというより。
折れ曲がった。
腰から上だけが、ぐにゃりと後方へ倒れる。
アルトの蹴りが、鼻先を通り過ぎる。
だが。
「……ぐへっ!」
完全には躱せなかった。
つま先が頬を掠める。
顔が横へ弾かれた。
「……っ、いってぇ!」
ミュゼが顔をしかめる。
だが、その身体は倒れない。
反らした上体をさらに捻り。
アルトの軸足を、下から払いにかかった。
「……おらっ!」
「……っ!」
アルトの身体が傾く。
着地するはずだった足が、地面を捉え損ねた。
だが。
トンッ!
アルトは片手を石畳についた。
そのまま。
腰を回す。
「……おらぁっ!」
ブンッ!
地面すれすれを、脚が薙いだ。
「……うわっ!」
ミュゼが上体を後方へ倒した。
普通なら、尻餅をつく体勢。
だが。
両膝が深く曲がり。
背中が、石畳に触れる寸前まで沈む。
アルトの脚が、その上を通り過ぎた。
「……はっ!」
ミュゼが両手を地面につく。
ぐにゃり。
身体を反らしたまま、脚だけを持ち上げた。
そして。
トンッ!
軽く後方へ跳ねる。
何事もなかったように、両足で着地した。
「…………」
アルトが目を丸くした。
「……柔らかいな!」
「へへっ!」
ミュゼが肩を回す。
「それが取り柄ですからね!」
首を左右へ傾ける。
コキッ。
コキッ。
「……いやぁ」
頬を擦った。
「にしても、痛いっすねぇ」
「……そりゃそうだろ!」
「普通、あの体勢から反対の足が飛んでくるとは思わないっすよ!」
「へへっ!」
アルトが笑った。
「まだまだいくぞ!」
「……どうぞどうぞ!」
◇
ダンッ!
再び、アルトが地面を蹴った。
正面から。
真っ直ぐに。
「おらっ!」
右拳。
シュッ!
ミュゼが首を傾ける。
拳が耳元を通り過ぎた。
続けて、左拳。
「……っと!」
今度は、肩を落とした。
拳が頭上を掠める。
だが。
「……っ!」
アルトの右拳が、途中で止まった。
そのまま肘を曲げる。
狙いを変えた。
ドンッ!
「ぐっ!」
ミュゼが両腕で受ける。
衝撃。
身体が後方へ押し戻された。
(……重っ!)
拳だけではない。
肘も。
膝も。
足も。
どこから攻撃されても、恐ろしく重い。
「……おらぁっ!」
アルトが踏み込んだ。
今度は、左の回し蹴り。
ブンッ!
「……おっと!」
ミュゼが腰を落とす。
そのまま、床に手をついた。
足を軸に。
くるり。
身体が回転する。
アルトの蹴りを潜り抜けながら、《遊猫》を振るった。
シュッ!
「……っ!」
アルトが腹を引く。
鉤爪が服を裂いた。
「……危ねぇ!」
「へへっ!」
ミュゼは低い姿勢のまま、さらに回った。
右手。
左手。
鉤爪が、下から次々に伸びてくる。
シュシュッ!
普通なら、腕の届かない角度。
だが。
ミュゼは肩を大きく捻り。
身体の横から、無理やり爪を差し込んでくる。
「……うおっ!」
アルトが後方へ跳んだ。
その瞬間。
ミュゼの身体が、跳ね上がった。
腕を支点に。
両脚を振り上げる。
「……ほいっ!」
ドッ!
「ぐっ!」
アルトの胸元に、蹴りが入った。
だが。
アルトは退かなかった。
「……おらぁっ!」
蹴りを受けたまま。
ミュゼの足首を掴んだ。
「……へ?」
ミュゼが目を瞬かせる。
次の瞬間。
「ふんっ!」
ブンッ!
「うぉぉっ⁉︎」
ミュゼの身体が、宙を舞った。
アルトが片腕で振り回したのだ。
そのまま。
石畳へ叩きつける。
「……おらぁ!」
ドガァンッ!
砕けた石畳が、舞い上がった。
だが。
「……っ?」
アルトが目を見開く。
手応えが、浅い。
叩きつけたはずの瞬間。
ミュゼは腰を捻り、背中を丸めていた。
衝撃を一点で受けず。
肩から背中へ。
背中から腰へ。
身体を転がして逃がしていた。
「……っつぅ!」
ミュゼが顔をしかめる。
「……いやいやいや!」
くるりと転がり、両手をつく。
「普通、そこは離すでしょ!」
「……なんで?」
「なんでって……!」
ミュゼが起き上がる。
「足掴んで投げる奴がありますか!」
「掴めたからな!」
「……あっはは!」
ミュゼが笑った。
「いいっすねぇ!」
だが。
その目は、アルトの腕を見ていた。
(……あっぶねぇ)
今の一撃。
まともに地面へ叩きつけられていたら。
笑ってなどいられなかった。
(……こいつ、やっぱおかしいっすね)
魔脈で強化している様子はない。
それなのに。
踏み込み。
跳躍。
腕力。
全てが、常識外れだった。
(……身体そのものが、化け物っすか)
ミュゼが、ゆっくりと腰を落とした。
「……んじゃ」
肩を回す。
肘を曲げる。
背中を丸める。
その姿勢は、どこか猫に似ていた。
「……こっちも、ちょっと本気で動きますかね」
「……おう!」
アルトが拳を構える。
「来い!」
◇
シュッ!
「……っ!」
ミュゼの姿勢が、さらに低くなった。
ほとんど地面に這いつくばるような高さ。
そこから。
ダンッ!
一気に跳び出す。
「……速っ!」
アルトが拳を振るった。
だが。
ミュゼの頭が、ありえない角度へ倒れた。
拳が、その上を通り過ぎる。
そして。
そのまま頭を下げた姿勢から。
シュッ!
《遊猫》が、アルトの脇腹へ伸びた。
「……くっ!」
アルトが身体を捻る。
爪が服を裂いた。
だが、ミュゼは止まらない。
低い姿勢から。
いきなり上体を反らす。
そして。
斜め上から、もう片方の爪。
「……おらっ!」
シュンッ!
「……っ!」
アルトが首を傾ける。
頬に、細い傷が走った。
「……っ!」
血が滲む。
だが。
アルトは怯まない。
「おらぁぁっ!」
ドンッ!
地面を踏みしめる。
拳を振り下ろした。
「……っと!」
ミュゼが横へ身体を滑らせる。
ゴガァンッ!
拳が石畳を叩いた。
床が砕ける。
破片が飛び散った。
「……うっわ」
ミュゼが顔を引きつらせる。
「……それ、当たったらどうなるんすか?」
「……知らねぇ!」
「怖っ!」
ミュゼが後方へ跳ぶ。
だが。
アルトは追った。
「……おらぁっ!」
右拳。
左拳。
さらに、踏み込んで膝蹴り。
シュッ! シュッ!
ドンッ!
ミュゼが次々に身体を曲げる。
首を倒し。
腰を捻り。
肩を沈める。
まるで。
骨がないかのように。
攻撃の隙間をすり抜けていく。
「……っ!」
アルトの眉が寄った。
(……当たんねぇ!)
速さだけではない。
相手の身体が、予想した方向へ動かない。
普通なら避けられない角度。
普通なら崩れる姿勢。
そこから。
さらに、次の動きへ繋いでくる。
「……へへっ!」
ミュゼが笑った。
「どうしました?」
「……っ!」
「さっきから、空振りばっかっすよ!」
シュッ!
《遊猫》が伸びる。
アルトが身を引いた。
だが。
ミュゼは腕を途中で曲げた。
肘が、外側へ開く。
そのまま。
鉤爪が、横からアルトの肩へ迫った。
「……うおっ⁉︎」
アルトが上体を倒す。
爪が、髪を掠めた。
だが。
「……へへ」
アルトが笑った。
「……面白ぇ!」
「……へ?」
ミュゼが瞬きをする。
「……お前」
アルトが顔を上げた。
「すっげぇ、変な動きするな!」
「……褒めてます?」
「褒めてる!」
「……あはは!」
ミュゼが笑った。
「そりゃ、どうも!」
その瞬間。
アルトが踏み込んだ。
「……おらぁっ!」
拳を振るう。
ミュゼが上体を反らした。
だが。
アルトは拳を追わせなかった。
代わりに。
足を一歩、深く踏み込む。
「……っ?」
ミュゼの足元。
そのすぐ横へ。
そして。
「……ふんっ!」
ドンッ!
肩から、身体ごとぶつかった。
「……ぐおっ⁉︎」
ミュゼの身体が浮く。
後方へ弾かれた。
ズザザッ!
地面を転がる。
だが。
両手をつき。
背中を丸め。
くるり。
猫のように身体を回して着地した。
「……っつぅ!」
ミュゼが肩を押さえる。
「……ちょっと!」
「……ん?」
「今の、拳じゃないじゃないっすか!」
「……避けるからな!」
「……は?」
アルトが笑う。
「だから、身体ごとぶつかった!」
「…………」
ミュゼが、ぽかんと口を開けた。
そして。
「……あっははは!」
腹を抱えて笑い出した。
「なるほどねぇ!」
立ち上がる。
首を左右へ倒す。
「……いやぁ」
その口元が、吊り上がった。
「こりゃ、油断できないっすね」
「……へへっ!」
アルトが構え直した。
「次は当てる!」
「……どうぞ!」
ミュゼも腰を落とす。
手足を柔らかく曲げ。
全身の力を抜く。
対するアルトは。
両拳を握り。
正面から相手を見据えた。
圧倒的な力。
変幻自在の柔軟性。
まるで、正反対の二人。
「……行くぞ!」
「いつでも!」
ダンッ!
シュッ!
二人の身体が、再び交差した。
ゴォンッ!
アルトの拳が石畳を砕き。
シュシュッ!
ミュゼの鉤爪が、そのすぐ脇を駆け抜ける。
互いの攻撃が。
紙一重で交わされていく。
だが。
アルトの拳には、迷いがなかった。
もう。
俯いてはいない。
目の前の敵を見据え。
ただ、全力で戦っていた。




