希望達③
「……なぁ」
フーガが、額から流れる血を指先で拭った。
「あ?」
「お前、なんで術使わんの?」
「…………」
セリオの眉が、わずかに動いた。
「……テメェには関係ねぇだろ」
「まぁ、そうやけどな」
フーガは《龍憑》を肩に担いだ。
「……出し惜しみして勝てる相手やと思われてんの?」
その口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「心外やわぁ」
くるり。
フーガが手首を回した。
次の瞬間。
キィィンッ!
「……っ!」
《龍憑》が閃いた。
一撃。
二撃。
三撃。
刃が、ほとんど間を置かずに襲いかかる。
「おらっ!」
セリオは《飛燕》を交差させた。
カンッ! キィンッ!
右の刃で受け流し、左で弾く。
だが、フーガの攻撃は止まらない。
「……ほらほら!」
「うるせぇ!」
セリオが踏み込んだ。
《飛燕》が光へ戻る。
代わって、赤い光が両手に集まった。
炎の大剣。
《天燼》。
「さぁな!」
ゴォッ!
熱を帯びた刃が、横薙ぎに振るわれる。
フーガは《龍憑》を斜めに構えた。
キィィンッ!
刃が滑り、火花が散る。
「……なんや、それ」
フーガが首を傾げる。
「それとも、術が得意やないん?」
「んなわけねぇだろ!」
セリオが《天燼》を振り上げる。
ガキンッ!
続けて、振り下ろす。
ガァンッ!
さらに踏み込み、斜めに斬り上げた。
キィィンッ!
だが。
フーガは全てを捌いていた。
「……なぁ」
刃を受け流しながら、フーガが笑う。
「教えてや」
「……っ!」
「なんで使わんの?」
キンッ!
《龍憑》が《天燼》の刃を弾いた。
セリオが歯を食いしばる。
「だから……!」
一瞬。
その視線が、横へ向いた。
少し離れた場所。
そこには、アルトがいた。
そして。
双鉤爪を構えた、軍服に黄色の装いが入った物を着る青年。
ミュゼ。
「…………」
セリオはすぐに視線を戻した。
《天燼》を握る両腕に力を込める。
「関係ねぇって……!」
ガギィンッ!
大剣を勢いよく斬り上げた。
「……おっ!」
《龍憑》が上方へ弾かれる。
フーガの両腕が持ち上がった。
がら空きになった胴体。
「言ってんだろうが!」
《天燼》が光へ戻る。
風が渦巻いた。
双剣《飛燕》。
「おらぁっ!」
セリオが一気に踏み込む。
だが。
「……はぁ」
フーガが溜息をついた。
「つまらん」
「……あ?」
その瞬間。
上方へ弾かれたはずの《龍憑》が。
無理やり。
振り下ろされた。
「……⁉︎」
セリオが目を見開く。
(……速ぇ!)
咄嗟に《飛燕》を交差させた。
直後。
ガァァァンッ!
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃。
セリオの膝が沈んだ。
石畳に亀裂が走る。
「……おいおい」
フーガの声が、頭上から降ってくる。
「ミュゼを殺した言うから、どんな奴か思ったら……」
「……っ!」
「拍子抜けや」
ギリギリッ……!
《龍憑》が、二振りの《飛燕》を押し込んでいく。
「……本気出さんなら」
フーガが、にやりと笑った。
「殺すぞ?」
「……ぐっ!」
セリオが歯を食いしばる。
(……重い)
腕が震えた。
先ほどまでの軽い動きとは、まるで違う。
(……こりゃ、きついな)
細い刀身からは想像もつかない圧力。
少しでも力を抜けば、押し潰される。
だが。
「……はっ!」
セリオが笑った。
「俺が術を使ったらな……!」
《飛燕》を握る腕に力を込める。
「テメェなんか瞬殺だからな!」
「……へぇ」
フーガの口元が吊り上がった。
「ええやん」
さらに体重が乗る。
「殺してみろや」
「……っ!」
ギギギッ!
セリオの靴底が、石畳を削った。
(……クソが)
本来なら。
ここで術を使ってもよかった。
いや。
使うべき相手だった。
だが。
(……スパーナにいる間は、なるべく術に頼らねぇつもりだったんだがな)
霊器と己の技量だけで、どこまで戦えるのか。
そのために、できる限り術を使わずにいた。
しかし。
(……こいつは、そんなこと言ってられる相手じゃねぇ)
術を使わずに勝てる。
そんな確信は、とうに失せていた。
それでも。
(……アルトの野郎が近ぇ……!)
セリオが、再び視線を横へ向ける。
アルト。
そして、ミュゼ。
二人は、まだ近くにいた。
(……下手に術を使えば、あいつまで巻き込んじまう)
それだけではない。
(……それに、あのミュゼって野郎)
猫のような鉤爪。
黄色い軍服。
見間違えるはずがない。
(……なんで、生きてやがる?)
あの時。
確かに死んだはずだった。
フィンの術を受けて。
倒れた。
動かなくなった。
それなのに。
今、あの男は平然と立っている。
(……どうなってやがる)
そして。
(……あんな奴を、このままアルトと戦わせていいのか?)
背筋に、嫌なものが走った。
自分の能力まで知っていた男。
死んだはずなのに生きている男。
その正体すら分かっていない。
何より。
アルトは、すでに満身創痍だった。
「…………」
セリオの目が細くなる。
その時。
「……あ?」
フーガが声を漏らした。
セリオの視線。
その向きを追う。
そして。
「…………」
少しの沈黙。
やがて。
「……なんや」
フーガが笑った。
「お前、アルトのこと気にしてんの?」
「……っ!」
セリオの表情が歪む。
「……はぁ?」
「なんやなんや!」
フーガが、嬉しそうに声を上げた。
「ええ奴やん!」
「……うるせぇ!」
「そういうことかいな!」
フーガは《龍憑》を引いた。
突然、圧力が消える。
「……っ!」
セリオが一歩退いた。
だが、フーガは追撃しない。
代わりに。
「おーい! ミュゼ!」
広場へ向かって声を張り上げた。
◇ ◇ ◇
「……ん?」
少し離れた場所。
ミュゼが顔を上げた。
その両手には、鉤爪型の魔器《遊猫》。
向かいには、傷だらけのアルトが立っていた。
「……なんすかぁ?」
「お前ら、もうちょい離れーや!」
「……は?」
「この兄ちゃんが本気出せん言うてんねん!」
「…………」
ミュゼが、セリオへ視線を向けた。
その顔が、途端に嫌そうに歪む。
「……うげ」
見覚えのある顔。
できれば、もう関わりたくない男だった。
「……えぇ」
ミュゼが露骨に肩を落とす。
「怖いんすけど……」
そして、アルトへ向き直った。
「……離れましょ、アルトさん」
「…………」
アルトは動かなかった。
ただ、目の前の青年を見つめている。
「……なぁ」
「はい?」
「……俺とお前、戦うのか?」
「…………」
ミュゼが瞬きをした。
「……今さらっすか?」
「……だって」
アルトは顔をしかめた。
「お前、さっきから何なんだよ」
「…………」
ミュゼは、少しだけ黙った。
そして。
「……んー」
頭を掻く。
「俺の八つ当たりっすよ」
「……八つ当たり?」
「そうっす」
軽い口調。
だが。
その目は、笑っていなかった。
「……ちょっと、むかついてるんで」
「…………」
アルトは眉を寄せた。
その理由を尋ねようとした。
だが。
「ミュゼ!」
再び、フーガの声が響いた。
「……はい?」
ミュゼが振り向く。
「殺すなよ?」
「…………」
一瞬。
ミュゼの表情が消えた。
グウェンの首。
それを埋めたいと言ったアルトの顔が、脳裏を過ぎる。
自分たちが何者なのか。
あの男は、本当に分かっているのだろうか。
あれほど長く、不死隊にいたというのに。
「…………」
ミュゼは小さく息を吐いた。
「……はーい」
間延びした返事。
それが本心かどうかは、分からなかった。
フーガは満足そうに頷いた。
そして。
「……アルト!」
「……なんだよ」
アルトが顔を上げる。
フーガは《龍憑》を肩に担いだまま、笑っていた。
「負けんなよ?」
「…………」
アルトが目を瞬かせる。
「……は?」
「頑張れや」
「……お前……」
アルトの眉間に皺が寄った。
さっきまで。
自分を地面へ押さえつけていた男。
仲間たちを殺そうとしていた男。
その男が。
今度は、負けるなと言っている。
「……意味わかんねー!」
アルトが叫んだ。
「はははっ!」
フーガは楽しそうに笑った。
だが。
アルトの隣にいるミュゼは、笑わなかった。
「…………」
《遊猫》の鉤爪を見下ろす。
ゆっくりと、指を握った。
フーガの言葉は聞こえている。
だが。
目の前のアルトを見ていると、どうしても苛立ちが消えなかった。
「……行きましょ」
ミュゼが歩き出す。
「……おう」
アルトも、その後を追った。
互いに背を向けることなく。
少しずつ。
セリオたちから距離を取っていく。
◇ ◇ ◇
「……おい」
セリオが低く唸った。
「……なんや?」
フーガが振り返る。
「テメェ……何考えてやがる」
「ん?」
「アルトを殺そうとしてたんじゃねぇのかよ」
「…………」
フーガが首を傾げた。
「……さぁ?」
「……あ?」
「どうなるかなんて、分からんやろ」
そう言って。
《龍憑》を構え直す。
「……それより」
フーガの口元が吊り上がった。
「これで、ええんやろ?」
「…………」
セリオは答えなかった。
ただ。
離れていくアルトの背中を、一度だけ見た。
そして。
「……チッ」
小さく舌打ちする。
「……後悔すんなよ」
「……へぇ?」
フーガが笑った。
「やっと、その気になったん?」
セリオは《飛燕》を光へ戻した。
両手を、ゆっくりと開く。
「……あぁ」
その周囲で。
霊素が、静かに揺らぎ始めた。
「……テメェが望んだんだからな」
フーガの笑みが、深くなる。
「……ええやん」
《龍憑》の切っ先が、セリオへ向けられた。
「見せてみぃや」
セリオは、ゆっくりと腰を落とした。
そして。
「……吠え面かくなよ」
二人の間に。
再び、張り詰めた沈黙が落ちた。




