希望達
◇ ◇ ◇
ガァァンッ!
凄まじい轟音が響いた。
石畳が砕け、破片が辺りに飛び散る。
「……っ!」
ログが咄嗟に腕を上げた。
「ぐっ……!」
だが、その動作だけで全身に痛みが走る。
「……くそっ」
腕が重い。
脚にも力が入らない。
起き上がろうとするだけで、身体のあちこちが悲鳴を上げた。
「ログ、無理しないでください」
傍らで、レテが掌を翳した。
淡い水の光が広がる。
治癒の術。
柔らかな光がログの傷を包み込み、少しずつ癒していく。
「……悪い、レテ」
「謝らないでください。今は少しでも傷を……っ!」
レテの表情が歪んだ。
右肩。
深く刺された傷が、鋭く痛んだ。
「おい、レテ!」
「……大丈夫です」
そう答えたものの、額には大粒の汗が浮かんでいる。
治癒の術を使うたび、魔素が削られ、魔力が減っていく
自分の傷さえ、まだ十分に癒せていない。
それでも。
レテは掌を下ろさなかった。
「……もう少しだけ、我慢してください」
その隣では、ユノが膝をついていた。
「……《暖脈》」
ぽうっ。
淡い火の光が広がる。
柔らかな熱が、仲間たちの身体へ染み込んでいった。
冷えた指先に温もりが戻る。
強張った筋肉が、わずかに緩んでいく。
「……ふぅ」
ユノが息を吐いた。
両脚には包帯が巻かれている。
少し姿勢を変えただけでも、傷が疼いた。
「……ユノくん、無理はしないでくださいね」
「それはレテ先輩もですよ」
ユノが苦笑する。
「僕より、ずっとひどい怪我をしているじゃないですか」
「……それは」
「ほら。お互い様です」
いつものように笑ってみせる。
だが、その声には力がなかった。
◇
「……すごいね」
フィリアが呟いた。
片手で脇腹を押さえながら、戦場を見つめている。
肩も脚も痛む。
呼吸をするたび、脇腹に鈍い痛みが走った。
それでも、目を離せなかった。
キィィンッ!
銀色の刃が閃く。
それを迎え撃つ薙刀が、円を描くように回転した。
リゼットとセラ。
二人の攻防は、瞬きする間にも何度となく入れ替わっていた。
「……あんな速さで、よく戦えるね」
「……そうだね」
ヒルトが静かに答えた。
腹部を押さえ、石壁に背を預けている。
左腕は、ほとんど動かせない。
少し深く息を吸っただけで、肋骨の辺りが痛んだ。
「……っ」
「ヒルト、大丈夫?」
「うん。少し痛むだけだよ」
「……嘘」
フィリアが眉を寄せた。
「顔色、すごく悪いよ」
「フィリアもね」
「……もう」
フィリアが困ったように笑う。
ヒルトも、わずかに微笑んだ。
だが、その笑みはすぐに消えた。
ガァンッ!
離れた場所で、巨大な槌と二本の短棍が激突する。
衝撃が地面を伝わってきた。
「……すごいな」
ヒルトが呟く。
「ただ速いだけじゃない。攻撃を受ける位置も、反撃する瞬間も……全部が正確なんだ」
「……うん」
「僕たちが同じことをしようとしても、きっと身体が追いつかない」
フィリアは答えなかった。
ただ、唇を噛んだ。
自分たちだって、必死に戦った。
それなのに。
目の前の戦いは、まるで別の世界の出来事のようだった。
◇
「……なぁ、ガオン」
ログが声をかけた。
「ん?」
「騎士隊長たちって、なんなんだよ……」
ガオンは石壁に背を預けていた。
胸元や脇腹には血が滲み、呼吸も浅い。
バルドとの戦いで受けた傷が、まだ激しく痛んでいた。
「……なんなんだって?」
「強すぎんだろ……あいつら」
ログが顔を歪める。
「俺たちと、何が違うんだよ」
「……ああ」
ガオンが戦場へ目を向けた。
「英霊士のことか」
「英霊士?」
「英霊士ってのは、過去に生きていた人間……英雄たちと契約した者のことだ」
ガオンが痛む脇腹を押さえ直す。
「……っ」
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫だ。……話を続けるぞ」
ガオンは小さく息を吐いた。
「契約した英霊とは、師匠と弟子のような関係になる。英霊が生前に培った技術を、直接教わるんだ」
「……師匠と弟子?」
「ああ。お前ら精霊術師とは、そこが大きく違う」
ガオンが顎をしゃくった。
その先では、グレイグが巨大な盾を構えていた。
ゴートーの大剣が振り下ろされる。
ガァァンッ!
だが、グレイグは吹き飛ばされない。
盾をわずかに傾け、斬撃を受け流していた。
「精霊術師のように多彩な術を使えるわけではない。その代わり、接近戦に特化している」
「……接近戦」
「剣の振り方、足の運び、間合いの取り方……そういうものを、かつての英雄から学ぶ。何年も、何年もな」
ガオンが言葉を続ける。
「ただし、教わったからといって誰でも強くなれるわけではない。結局、それを使いこなすのは本人だからな」
「……なるほどな」
ログが呟いた。
「じゃあ、あいつらは……」
「ああ。相当な鍛錬を積んできたんだろうな」
ガオンが小さく笑った。
「英霊士の中でも、あの騎士隊長たちは別格だろう」
「……別格、かよ」
ログは拳を握ろうとした。
「……ぐっ!」
腕に痛みが走る。
思わず顔を歪めた。
「……くそっ」
今の自分は、拳を握ることさえ満足にできない。
それなのに。
目の前では、あれほどの戦いが繰り広げられている。
「……まだまだだな、俺」
◇
キィンッ!
「…………」
ユノは、じっと戦場を見つめていた。
ノエル。
自分と、それほど年齢の変わらない少年。
その少年が、エルネと剣を交えていた。
シュッ!
ノエルの剣が伸びる。
だが、エルネは最小限の動きで躱した。
そのまま反撃。
ノエルが身体を捻る。
キィンッ!
剣がぶつかった。
「…………」
ユノの手が止まった。
掌に灯っていた《暖脈》の光が、わずかに揺らぐ。
「……ユノくん?」
レテが声をかける。
「……あ、すみません」
ユノは慌てて術へ意識を戻した。
「ちょっと、見入っちゃいました」
いつもの笑顔。
だが。
その視線は、再びノエルへ向けられた。
自分と、どれほど歳が違うのだろう。
せいぜい数年。
それなのに。
ノエルは、あのエルネを相手に戦っている。
攻撃を見切り。
隙を探し。
反撃を繰り出す。
もちろん、押されている。
それでも。
戦えている。
「…………」
ユノは俯いた。
自分だったら、どうだろう。
エルネの最初の一撃を、防げただろうか。
次の攻撃まで、耐えられただろうか。
答えは。
考えるまでもなかった。
「……はは」
小さく笑う。
「……すごいなぁ」
その声には、いつもの軽さがなかった。
自分だって、強くなりたいと思っていた。
霊器を使えるようになりたい。
もっと仲間の役に立ちたい。
そう思って、練習を重ねてきた。
けれど。
目の前の少年は、遥か先にいる。
「…………」
ユノは包帯の巻かれた脚へ視線を落とした。
立つことさえ苦しい。
それが、今の自分だった。
「……悔しいですね」
ぽつりと呟く。
誰にも聞こえないほど、小さな声で。
再び顔を上げる。
キィィンッ!
ノエルが剣を振るう。
エルネが受け流す。
その攻防を、ユノはただ見つめていた。
「……僕も」
掌の炎が、少しだけ強くなる。
「……もっと、強くならないと」
だが。
その言葉を口にしたところで、傷が癒えるわけではない。
強くなれるわけでもない。
今の自分にできるのは。
こうして、仲間たちの身体を温めることだけだった。
「…………」
ユノは唇を噛んだ。
そして。
再び《暖脈》へ意識を集中させた。
遠くでは、今も剣戟が響いている。
その音が。
ひどく、遠く感じられた。




