酔っ払いの男
◇
それから。
私たちは商店地区をゆっくりと見て回った。
「こっちと、こっち。どっちがいいと思う?」
「うーん……」
おばあちゃんが両手に持ったりんごを見比べる。
片方は少し大きく。
もう片方は、綺麗に赤く色づいている。
「こっちですかね」
「あら。私もそう思ってたの」
「じゃあ決まりですね」
「ええ」
籠の中へりんごが一つ増える。
その後も。
りんごをいくつか。
いちじくも選んで。
蜂蜜も、家に残っている分では足りないかもしれないということで買い足した。
「これだけあれば足りますか?」
「そうねぇ。少し多いくらいかしら」
「いいじゃないですか。いっぱい作れますよ」
「あらあら。あなたも食べる気ね?」
「…………」
図星だった。
「……少しくらいは」
「ふふっ。たくさん作りましょうねぇ」
「はい!」
それから肉屋へ向かい。
夕食用の肉を買って。
途中で野菜も少し。
おばあちゃんが店先で見つけた香草も籠へ入った。
最初は。
肉と果物だけの予定だったはずなのに。
「……増えましたね」
「あら?」
私の両手には、いつの間にかいくつもの袋が提げられている。
「こんなに買う予定だったかしら」
「違ったと思います」
「おかしいわねぇ」
「おばあちゃん、あのお店でも『せっかくだから』って買ってましたよ」
「あら、そうだった?」
「そうですよ」
「ふふっ」
「もう……」
でも。
その声につられて、私も笑ってしまう。
久しぶりだった。
こうやって二人で店を回って。
何を買おうか相談して。
少し余計なものまで買ってしまって。
そんな時間が。
「そろそろ帰りましょうか」
「そうねぇ。これ以上買ったら、あなたが大変だもの」
「これくらい平気ですよ」
「駄目よぉ。持ってもらってるんだから」
「じゃあ……最後に何か一つだけ見ます?」
「あら、いいの?」
「はい」
「それなら――」
おばあちゃんが周囲を見回す。
その時だった。
――ドンッ。
「きゃっ」
「おばあちゃん!」
すぐ隣で身体が揺れる。
反射的に荷物を持ったまま手を伸ばした。
けれど。
「おっと」
それより先に。
誰かがおばあちゃんの腕を掴んだ。
「…………」
男だった。
小太りの身体。
ぼさぼさに伸びた髪に、剃るのも面倒だったのか無精髭が好き勝手に生えている。
年は、おそらく四十をとうに越えている。
目は半分ほどしか開いておらず。
何より。
酒臭い。
「危ねぇな……」
男は面倒そうに呟きながら、おばあちゃんが体勢を戻すまで腕を支えていた。
「あらあら……ごめんなさいねぇ」
「…………」
「助かったわ。ありがとう」
「あぁ?」
男がおばあちゃんを見る。
そこで初めて。
自分が何をしているのか気づいたみたいに。
「…………チッ」
手を離した。
「気ぃつけろよ、婆さん」
「あら。ごめんなさいねぇ」
「おばあちゃん、大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ」
「どこか痛くないですか?」
「平気、平気」
ほっと息を吐く。
それから。
改めて男を見る。
「あの、ありがとうございました」
「あぁ?」
男がこちらを向いた。
「…………」
なんだろう。
すごく。
目つきが悪い。
「別に」
「でも、祖母を支えてくださったので」
「勝手に身体が動いただけだ」
「……そうですか」
変な人。
そう思っていると。
男が懐へ手を入れた。
何かを探して。
反対側も探る。
「…………」
さらに上着の中。
「……ねぇ」
「はい?」
「酒持ってねぇ?」
「…………」
「お酒、ですか?」
「そうだよ」
「持ってませんけど……」
「使えねぇな」
「なっ……」
人にいきなり聞いておいて。
「もう。人にそんな言い方しちゃ駄目ですよ」
「あぁ?」
おばあちゃんが男へ言った。
「お嬢さんに失礼でしょう?」
「…………」
男がおばあちゃんを見る。
少しの間。
黙ったまま見つめて。
「……うるせぇ婆さんだな」
「あらあら」
「おばあちゃんに何てこと――」
「いいのよ」
おばあちゃんは気にした様子もなく笑っている。
男は面倒そうに頭を掻くと。
「ったく……酒……」
辺りを見回した。
右。
左。
もう一度、右。
「…………」
そして。
眉間に皺を寄せた。
「……あれ?」
「?」
「どうしました?」
「…………」
男はしばらく黙っていた。
やがて。
「……ここ、どこだ?」
「え?」
思わず聞き返す。
「ここだよ。どこだっつってんだ」
「商店地区ですけど……」
「商店……」
男が周囲を見る。
「…………」
まるで。
初めて見る場所みたいに。
「……そうだったか?」
「…………」
酔ってる。
たぶん。
これだけ酒臭いんだから。
「酒屋は?」
「酒屋?」
「どこにあんだ」
「えっと……」
私は辺りを見回す。
確か。
「この通りを真っ直ぐ行って、二つ目の角を右に曲がったところにあったと思います」
「二つ目を右……」
「はい」
「…………」
男が歩き出す。
一歩。
二歩。
そこで止まった。
「…………」
振り返る。
「どっちだ?」
「真っ直ぐです!」
「あぁ……」
また歩き出した。
「二つ目を右ですよ!」
「分かったっつーの!」
面倒そうに片手を上げる。
紫を基調に。
金色の刺繍がこれでもかと施された派手な上着。
服だけを見れば随分と高そうなのに。
着崩れた胸元。
ぼさぼさの髪。
無精髭。
ふらつく足取り。
何もかもが台無しにしていた。
「…………」
私は、その背中を見送る。
「変わった人だったわねぇ」
「……そうですね」
「でも、優しい人ね」
「え?」
「助けてくれたもの」
「…………」
確かに。
あの人は。
おばあちゃんがぶつかった瞬間、迷うことなく手を伸ばしていた。
なのに。
本人は。
まるで自分が人を助けたことにすら、興味がないみたいだった。
「…………」
「どうしたの?」
「あ……いえ」
私は首を横に振る。
「なんでもないです」
ただの。
酒癖の悪い酔っ払い。
そう思うことにして。
「帰りましょうか」
「ええ」
おばあちゃんの隣へ戻る。
そして。
二人で停車所へ向かって歩き始めた。
けれど。
ほんの少しだけ。
さっきの男の姿が。
頭の片隅に残っていた。




