話すべき相手
「……随分と騒がしいですね」
奥から、聞き覚えのある声がした。
「…………」
この声。
なんとなく嫌な予感がする。
廊下の奥から、一人のシスターが姿を現した。
名前は、ルナ・テラス。
淡い金色の髪を後ろでひとつにまとめ、穏やかな薄紫の瞳をした女性だ。
年齢は五十に差しかかる頃だったと思う。
けれど、昔からあまり見た目が変わらない。
白と黒を基調とした修道服を身に纏っているものの、袖は肘の辺りまで捲られている。
腰には小さなエプロン。
そこだけ見れば、研究者だったなんて誰も思わないだろう。
ましてや――かつてガイストの研究局を束ねていた、元局長だなんて。
僕と兄さんが幼い頃から、ずっと面倒を見てくれた人。
僕にとっては。
母親みたいな人だ。
「あら」
ルナさんが僕を見る。
「……久しぶり」
「ええ。本当に」
にこりと笑う。
「お久しぶりですねぇ、ヒルト?」
「…………」
怖い。
薄紫の瞳は笑っている。
口元も笑っている。
なのに、怖い。
「いやぁ……色々忙しくて」
「そうですか。お忙しかったんですね」
「うん」
「それはそれは。手紙の一通も出せないほど?」
「…………」
「最後に顔を見せてから、どれだけ経ったと思っています?」
「いや、だから……」
「まったく! たまには顔くらい見せなさい! 心配するでしょう!」
「もう子供じゃないんだから、そんなに怒らないでよ……」
「子供です。私にとっては!」
ぴしゃりと言い切られた。
「いいじゃないですか! 我が子を想う我儘は、親の特権なんです!」
「はいはい……」
「はいは一回!」
「はい!」
反射的に背筋が伸びた。
ニカが吹き出す。
「ヒルト兄ちゃん怒られてやんの!」
「ニカ?」
「なんでもない!」
ルナさんの一声で、ニカまで背筋を伸ばした。
……昔から変わらない。
この人には誰も勝てない。
「……それで?」
ルナさんの声が少しだけ柔らかくなる。
「今日はどうされました?」
「…………」
僕は一度、子供たちを見る。
「サーヤ」
「はい?」
財布からいくらか取り出して、サーヤへ差し出した。
「これでみんなとお菓子を買っておいで」
「え? でも、お菓子ならいっぱいありますよ?」
「あら、そうでしたね」
ルナさんが僕を見る。
それだけで、何かを察したらしい。
「サーヤ。急に来たお馬鹿さんの分の食事も足りませんので、お願いします」
「お馬鹿さんって僕?」
「他に誰が?」
「…………」
何も言い返せない。
「じゃあ、みんな行くよ」
「はーい!」
「おかし!」
リズがラズの手を握る。
その後ろで、ニカだけが腕を組んだ。
「俺いかねぇー!」
「ニカ」
「なに?」
「パチパチ飴、買ってきていいよ」
「……いかねぇ」
「二つ」
「…………」
「いや、三つ」
「……仕方ねぇなぁ!」
「安いなぁ……」
「うるせぇ!」
さっきまでの意地はどこへ行ったのか。
ニカは真っ先に玄関へ走っていく。
「ニカ! 一人で行かないの!」
「早くしろよー!」
「もう!」
サーヤがため息をつき、その後をリズとラズが追いかける。
「行ってきます!」
「いってきまーす!」
「おかしかってくるー!」
「気をつけてね」
僕が手を振ると、扉が閉まった。
途端に。
施設の中が静かになった。
「…………」
「…………」
さっきまでの騒がしさが嘘みたいだ。
「それで?」
ルナさんが、もう一度聞く。
「子供たちを外に出してまで、私に何のお話ですか?」
「…………」
やっぱり。
この人には分かるか。
僕は小さく息を吐いた。
「……ルナさん」
「はい」
「リヒト兄さんを――」
一度、言葉を切る。
「見つけました」
「…………」
ルナさんの表情が止まった。
いつも細められている薄紫の瞳が、ゆっくりと見開かれる。
何かを言おうとして。
唇が僅かに動く。
けれど。
声は出なかった。




