セトの手記
セヴェルは僅かに目を伏せた。
父の部屋で見つけた、一冊の手記。
そこには、セトが誰にも語ることのできなかった思いが残されていた。
「……父とセブラン兄さんが出会ったのは、兄さんが十六歳の頃だったそうです」
「十六……」
「はい。兄さんが初めてルミナスへ辿り着いた時です」
母を亡くし。
遥か遠い地から、母の故郷を探してルミナスへやってきた少年。
「その時、父は一人の怪我人を治療していたそうです。ですが、兄さんはその処置を見て……突然、父を押しのけた」
「押しのけた?」
「傷が深く、縫合が必要だと判断したそうです」
針と糸。
酒。
必要な物を周囲へ用意させ、セブランは迷うことなく傷を縫った。
「その治療を見た父は……思わず口にしたそうです」
――レピオス。
「…………」
「父は知っていたんです。かつてスコルネ族と共に、この国の医療を担っていた一族を」
そして。
その一族が、既にルミナスから滅ぼされていたことも。
「父は兄さんに、この国から逃げるよう言いました」
「……逃げろ?」
「レピオスの人間だと知られれば、何が起こるか分からない。ですが兄さんは拒んだそうです」
ようやく辿り着いた母の故郷。
そこから再び離れることなど、セブランにはできなかった。
「そこで父は……兄さんにレピオスを名乗るなと言いました。そして、この国にいる間はスコルネを名乗れと」
その後。
セブランはセトの助手となった。
セトから薬と毒を学び。
セブランは、自らが身につけてきた外科の知識で治療を手伝った。
「父は……兄さんの才能に驚いていたそうです」
自分とは異なる医術。
身体を開き。
患部へ直接手を加える。
それはまさしく、失われたレピオスの医術だった。
「ですが……手記には、それ以上のことが書かれていました」
セヴェルが一度、息を吸う。
「いつからだったのかは分からない。けれど、気づいた時には……もう助手でも、珍しい一族の生き残りでもなかった、と」
「…………」
「息子だったそうです」
セヴェルの声が僅かに揺れる。
「血は繋がっていない。それでも……父にとって、兄さんは自分の息子だった」
だからこそ。
セトは言えなかった。
「父は、レピオス族に何があったのかを知っていました」
それでも。
セブランには話さなかった。
この国がレピオス族に何をしたのか。
何故、その名を隠さなければならないのか。
「兄さんを守るためだったと……父は書いていました」
知らなければ。
過去に縛られることもない。
スコルネとして。
この国で生きていける。
「……ですが、兄さんは父の部屋で一冊の古い本を見つけた」
セヴェルの言葉に、アルトが僅かに目を伏せる。
聞いたことがある。
セブラン本人から。
「それが……兄さんのお母様が持っていた物と、同じ本だったそうです」
ただし。
セトが持っていた本は、状態が良かった。
欠けた頁もなく。
文字も残っていた。
「そこに……全て書かれていた」
レピオス族。
蛇遣い座。
かつてスコルネ族と共にルミナスの医療を担っていた一族。
そして――。
この国によって滅ぼされた、その歴史。
「兄さんは……それを知って、ルミナスを去りました」
それから長い年月。
二人が会うことはなかった。
「父は……ずっと後悔していました」
セヴェルが拳を握る。
「真実を隠したことを」
「…………」
「守っているつもりだった。ですが本当は……自分が怖かっただけなのかもしれない、と」
真実を知ったセブランに。
どう向き合えばいいのか。
何を言えばいいのか。
「そして……自分が黙っていたせいで、兄さんを一人にしてしまった」
その後悔は。
長い年月が経っても消えることはなかった。
「だから父は……今回、兄さんが戻ってきたことを知って――」
セヴェルが唇を噛む。
「今度こそ、一人にはしないと決めたそうです」
「…………」
スカーの目が細くなる。
「それで、セブランの側についたのか」
「……はい」
セヴェルは頷いた。
「父は、兄さんのやろうとしていることが正しいとは書いていませんでした」
復讐。
反乱。
多くの者を巻き込む行為。
医師であるセトが、それを正しいと思えるはずがない。
「ですが……止める資格も自分にはないと」
あの時。
最も苦しんでいた息子に真実を告げることができなかった。
その結果。
セブランは一人でルミナスを去った。
「だから今度は……たとえ間違った道でも、共に歩くと」
「…………」
「兄さん一人に罪を背負わせない。それが父なりの……償いだったのだと思います」
広間に沈黙が落ちる。
セトは。
セブランと共に、クーデターを起こす道を選んだ。
「ですが……父は途中で、その道を歩くことをやめました」
「バルガスと戦った時か」
「……はい」
セヴェルは頷く。
「手記にそこまでは書かれていません。ですが……バルガス殿から聞いた父の最期を考えれば、そうだと思います」
セトはバルガスと戦った。
毒を使い。
傷を負わせ。
それでも最後には解毒剤を打ち込んだ。
そして。
バルガスを先へ行かせた。
「父は……自分では兄さんと最後まで歩けないと悟ったのだと思います」
それでも。
自分だけが生き残れば。
セブランだけが、この騒動の罪を背負うことになる。
そしてもう一つ。
「……私のことも書かれていました」
「…………」
「私への謝罪です」
セヴェルの声が震える。
「セブラン兄さんへの償いばかりを考え……もう一人の息子である私を置き去りにしてしまった、と」
父が反乱側にいる。
ならば。
息子であるセヴェルは、父を放っておけただろうか。
「父は……私が自分を追ってくると思っていた」
「…………」
「自分が生きていれば、私は父を見捨てられない。兄さんと父を助けるために……私まで、この騒動に加わってしまうかもしれない」
だから。
セトは最後に選んだ。
「一人の息子への償いのために……もう一人の息子まで罪人にするわけにはいかない」
セヴェルが目を閉じる。
「それが……父が自ら命を絶った理由だと思います」
「…………」
「最後には……二人とも愛していると」
声が掠れる。
「セブラン兄さんも、私も……自分の大切な息子だと」
誰も言葉を発しなかった。
セヴェルは俯き。
強く拳を握り締める。
「だから……」
一歩。
前へ出る。
「父と兄が背負った罪は、私が――」
「……待て」
スカーの声が遮った。
「…………?」
セヴェルが顔を上げる。
スカーは険しい表情のまま、何かを考えていた。
「セヴェル」
「はい」
「今、お前は……セトが今回のセブランの計画を知っていたと言ったな?」
「……はい」
「だから共に反乱を起こそうとした」
「そう……手記には」
「おかしいぞ」
「え?」
スカーが身体を起こす。
「セトとセブランは、いつ再会した?」
「…………」
セヴェルの表情が止まった。
「兄さんがルミナスを去ってから……父と会ったという話は、聞いたことがありません」
「手紙は?」
「分かりません。少なくとも、私は見たことがありません」
「…………」
スカーの目が鋭くなる。
「なら――」
セヴェルが息を呑む。
「何故セトは、セブランが戻ってきたことを知っていた?」
「…………」
「何故、こいつがクーデターを起こそうとしていることまで知っていた?」
「それは……」
セヴェルの言葉が止まる。
考えても。
答えが出てこない。
「……分かりません」
「…………」
広間がざわめき始める。
スカーはしばらく黙っていたが。
「……今はいい」
低く呟いた。
「だが、この件は後で調べる」
誰が。
どうやって。
長い間接触していなかった二人を、再び繋いだのか。
その答えを知る者は。
この場にはいなかった。




