夢の中で
◇◇◇
静かな水面だった。
波一つない湖が、どこまでも穏やかに広がっている。
レテはその湖の中に立っていた。
「……ここは?」
辺りを見渡す。
湖を囲むのは、深い緑。背の高い木々が陽の光を遮り、その隙間から差し込んだ光が水面を淡く照らしていた。
風が吹くたびに葉が揺れる。
けれど、不思議と音は聞こえない。
静かすぎる。
まるで、この場所だけが世界から切り離されているようだった。
「…………」
ふと、湖の向こうに何かが見えた。
岸辺にある、大きな切り株。
その上に――誰かが座っている。
「……誰?」
顔は見えない。
けれど、何故だろう。
知らない誰かのはずなのに、目を離してはいけないような気がした。
レテは水を掻き分け、その人物へ近づこうとする。
「待って……」
一歩。
足が沈んだ。
「え……?」
もう一歩踏み出す。
今度は膝まで沈む。
湖が深くなっているわけではない。
自分だけが、水の中へ引き込まれている。
「な、なんで……!」
腰。
胸。
足掻けば足掻くほど、身体が沈んでいく。
それでもレテは切り株へ手を伸ばした。
「待ってください!」
水が肩まで迫る。
切り株に座る誰かは動かない。
「あなたは――」
口元まで沈む。
そして。
頭の先まで水に呑み込まれた。
「――っ!」
「はっ!」
レテの身体が跳ねた。
「はぁ……はぁ……!」
荒い呼吸を繰り返しながら、目を見開く。
白い天井。
薬品の匂い。
身体を起こそうとして、肩や脚に走った痛みに顔をしかめた。
「ここは……」
夢。
だったのだろうか。
まだ湖に沈んだ感覚が身体に残っている。
その時、人の気配を感じた。
レテが横を見る。
「…………」
一人の青年がいた。
車椅子に座り、目を丸くしてこちらを見つめている。
「……レテ」
「アルトくん……」
見間違えるはずもない。
アルトだった。
けれど、いつものように笑ってはいなかった。
酷く驚いた顔。
そして、その表情がみるみる歪んでいく。
今にも泣き出しそうな顔だった。
「……?」
レテはそこで、アルトが座っているものに気づいた。
「車椅子……?」
よく見れば、身体のあちこちに包帯が巻かれている。
「どうしたんですか?」
「俺……」
アルトが何かを言いかけた、その時だった。
ガチャッ。
「やっぱりここか」
病室の扉が開く。
入ってきたのはガオンだった。
彼もまた包帯だらけだったが、レテが起きていることに気づくと僅かに目を見開いた。
「ん? レテも目が覚めたのか」
「ガオン?」
ぼんやりしていた記憶が、一気に蘇る。
「……‼︎」
レテは勢いよく身体を起こした。
「クーデター‼︎」
「お、おい!」
「みんなは⁉︎ どうなりました⁉︎」
「落ち着け」
ガオンが慌てるレテを手で制する。
「俺が生きてるってことは、なんとかなったってことだ」
「他の人達は⁉︎」
「まぁ、怪我人だらけだが……生きてる」
ガオンははっきりと言った。
「だから安心しろ」
「…………」
レテの肩から、僅かに力が抜けた。
「……よかった」
その一言と共に、張り詰めていた息を吐く。
ガオンはそれを確認してから、アルトへ顔を向けた。
「アルト。父上がお呼びだ。広間に来い」
「…………」
「クーデターに参加した部族への対応を決めるために、もう一度話を聞きたいそうだ」
「……今行くよ」
アルトは車椅子の車輪へ手を掛けた。
だが、上手く力が入らない。
包帯の巻かれた腕をぎこちなく動かし、足にも力が入りづらそうにしながら、それでも自分で進もうとする。
「……チッ」
ガオンが舌打ちした。
「そんなことしながら移動してたのか」
「だって、これくらいなら――」
「貸せ」
アルトの返事を待たず、ガオンが車椅子の後ろへ回った。
「自分で動かせるって」
「動かせてねぇから言ってんだ」
「…………」
「大人しく乗ってろ」
「……はい」
珍しく素直に引き下がるアルトを見て、レテは少しだけ目を細めた。
「ガオン」
「あ?」
「私も一緒に行っても?」
ガオンはレテへ振り返る。
「……お前、リシェルと戦ったらしいな」
「はい」
少し考えたあと、ガオンは頷いた。
「……いいだろう。来い。歩けるか?」
レテは寝台からゆっくり足を下ろす。
床へ足をつけると傷が痛んだが、立てないほどではない。
「はい」
「無理するなよ」
「大丈夫です」
「そう言う奴ほど信用ならねぇんだよ」
ガオンはそう言いながら、アルトの車椅子を押し始める。
レテもその後を追った。
一度だけ、病室を出る前に振り返る。
「…………」
静かな寝台。
白い壁。
当然、あの湖も。
大きな切り株も。
そこに座っていた誰かもいない。
「……あれは……」
「レテ?」
廊下からアルトの声がした。
「……いえ。なんでもありません」
レテは小さく首を振り、二人の後を追う。
あの夢が何だったのか。
今はまだ、分からないまま。




