傷の痛みも忘れ②
「親父ぃぃぃぃぃ!!」
「……ラバタか」
タスマンが足を止めた。
「親父! 親父ぃ!」
「走るな。傷が開くぞ」
「親父ぃぃぃ!!」
忠告など耳に入っていない。ラバタは勢いそのままにタスマンへ飛びついた。
ドンッ!
「ぐぇっ⁉︎」
しかし、弾かれたのはラバタの方だった。
タスマンは微動だにしない。分厚い岩壁にでもぶつかったように、ラバタの身体だけが僅かに跳ね返される。
「いってぇガニ……! 親父、硬すぎるガニ!」
「……阿呆が」
「親父……!」
ラバタはすぐに立ち上がると、今度は勢いをつけずにタスマンの胸へしがみついた。
「生きてた……本当に生きてたガニ……! 俺は……親父が死んだって……ずっと……!」
「…………」
タスマンは黙って息子を見下ろし、やがて大きな手をその頭へ置いた。
「……よう生きておった」
「親父ぃ……!」
「男がそう喚くな。みっともない」
「だって……!」
「だが……我も、お前の顔を見られて安堵した」
「……親父」
「心配をかけたな、ラバタ」
「うぅぅ……!」
「……泣くなと言っておる」
そう言いながらも、タスマンは息子を離そうとはしなかった。
しばらくして、ラバタの背を一度だけ強く叩く。
「胸を張れ。カルキスの男であろう」
「……ガニ!」
「返事は『応』だ」
「お、応!」
「よし」
その様子を見ていたガオンも、僅かに表情を緩めた。
「……よかったな、ラバタ」
タスマンが顔を上げる。
「ガオン王子」
「久しぶりです、タスマン殿」
「はい。王子もご無事で何よりです」
「それはこちらの台詞です。ラバタから……あなたは死んだと聞いていました」
「我が死んだと……」
タスマンの眉が僅かに動く。
「なるほど。あの男の術でありましたか」
「あぁ」
答えたのはスカーだった。
タスマンはすぐに姿勢を正し、スカーへ向き直る。
「……スカー様。ご無事で何よりです」
「久しいな、タスマン」
「はい」
「お前も随分働いたようだな」
「我は当然の務めを果たしたまでです」
「相変わらずだ」
スカーが小さく笑うと、タスマンは静かに頭を下げた。
その時。
「……親父。少し歩くのが速い」
人の列の中から、低い声が聞こえた。
「ぶるる……お前が遅すぎるんだ」
「これでも歩いている」
「その身体で意地を張るな」
「……すまん」
巨大な男の肩を借りながら、一人の青年がゆっくりと救護所へ入ってくる。
ミノス・タウルス。
そして、その肩を借りているのはガルドだった。
「ガルド!」
ラバタが声を上げる。
ガルドはゆっくり顔を向けた。
「……ラバタか」
「お前も無事だったガニ!」
「お前もな」
「こっちは親父が生きてたガニ!」
「……そうか」
ガルドはタスマンへ目を向け、ほんの僅かに表情を緩めた。
「よかったな」
「ガニ!」
「ぶるる……人のことより自分の身体を心配しろ」
ミノスがガルドの身体を支え直す。
「まだ一人じゃまともに歩けねぇだろ」
「……分かっている」
ガルドは素直に答えた。
そして救護所の中へ視線を巡らせる。
その目が、ある寝台で止まった。
「…………」
ログ。
全身に治療を施され、横になっている男。
「……ログ」
ミノスもその視線を追った。
「あの若いのが、お前を倒した男か?」
「あぁ」
「強かったか」
「……強かった」
ガルドは迷わず答えた。
「俺の《鎮嶽断流》まで止められた。最後は……完全に俺の負けだ」
「そうか」
ミノスはそれ以上何も言わなかった。
怒りも、恨みもない。
ただ一度だけ大きく鼻を鳴らす。
「ぶるる……なら、よく覚えておけ」
「何をだ」
「負けた時のことをだ」
「…………」
「次に勝つにせよ、二度と戦わんにせよ。忘れなきゃ無駄にはならん」
ガルドは少し黙った後、静かに頷いた。
「……あぁ」
その一方で、寝台のログもこちらへ顔を向けていた。
「……ガルド」
「ログ」
互いにしばらく見つめ合う。
「生きてたか」
「そっちもな」
「……そうか」
ガルドはそれだけ言うと、僅かに目を細めた。
「今度は……負けん」
「いや、もう勘弁してくれよ……」
ログが疲れ切った顔で答える。
「俺、今ほとんど動けないんだけど」
「安心しろ。俺もだ」
「それ安心するところか?」
僅かに笑いが起きる。
つい先ほどまで敵として刃を交えていた者たちが、今は同じ救護所で傷を癒している。
それを見ながら、スカーは静かに周囲を見渡した。
まだ、片付いていないことは多い。
三百年前の歴史。
蛇遣い座。
失われたはずの継承の間。
そして、この国中に広がった誤認と混乱。
だが。
少なくとも今は、互いを敵だと思い込んで殺し合う必要はない。
「……まずは全員、身体を治せ」
スカーの声が救護所に響く。
「話はそれからだ」
誰も異を唱えなかった。




