抜けた記憶
◇◇◇
――少し時間を遡る。
王宮の外。
「……う……」
リシェルはゆっくりと瞼を開いた。
「わ、私は……何を……」
身体を起こそうとした瞬間、脇腹に鈍い痛みが走る。
「っ……!」
思わずその場で動きを止め、荒く息を吐いた。
「ここは……」
ぼやける視界で周囲を見回す。
崩れた建物。散らばった瓦礫。
そして。
少し離れた場所に、一人の少女が倒れていた。
「この人は……?」
水色の髪。
傷だらけの軍服。
「…………‼︎」
その姿を見た瞬間。
頭の中へ、記憶が一気に流れ込んできた。
黒衣の男から聞かされた話。
ガオン王子が反乱を企てている。
ナーラ姫を殺害しようとしている。
自分は王家を守らなければならない。
そして。
ジル姫へ手を伸ばすガオン王子を見つけた。
自分は彼を止めるために戦った。
ガオン王子はジル姫を連れ、その場を去った。
その時。
『俺は国を裏切らない』
確かにそう言われた。
「……あ」
リシェルの唇が震える。
さらに思い出す。
ガオン王子が反乱を企てていたことも。
ナーラ姫を殺そうとしていたことも。
ジル姫を害そうとしていたことも。
真実ではない。
「あぁ……」
両手で頭を抱える。
「あぁぁぁぁ……私は……なんてことを……」
震える視線が、再び倒れている少女へ向いた。
「この人……私を止めようとして……?」
戦ったことは覚えている。
だが、その間に何を話したのか。自分が何をして、何をされたのか。
記憶がところどころ抜け落ちている。
それでも、レテの肩や腕、腿に残る傷を見れば分かった。
「……この傷は、私がつけたものね」
リシェルは歯を食いしばり、ふらつきながら立ち上がる。
「ぐっ……!」
脇腹を押さえる。
息をするだけでも痛む。
おそらく、折れている。
「こんなもの……」
それでもレテの傍まで歩き、身体へ腕を回した。
「せめて……この人だけでも……!」
力を込める。
だが、僅かに身体を浮かせただけで脇腹に激痛が走った。
「っ……!」
膝が崩れ、レテを抱えることもできずに地面へ手をつく。
「くっ……お願い……動いて……!」
もう一度。
それでも身体は言うことを聞かない。
「私が……こんな目に遭わせたのに……」
その時だった。
「……おい、ロイド隊長」
「あ?」
王宮の方角から声が聞こえる。
「……あそこ」
「なんだよ」
「あれ……レテじゃないですか?」
「はぁ?」
リシェルが顔を上げる。
瓦礫の向こうから、一人の男がこちらへ歩いてきていた。
ぼさぼさの黒髪に、長い前髪。
その背中には、同じく傷だらけの青年を背負っている。
「……レテ!」
ログがロイドの背中から身を乗り出した。
「おい、暴れんな。落ちるぞ」
「でも!」
「分かってるっての」
ロイドは大きくため息を吐きながら二人の傍まで来ると、倒れているレテを見下ろした。
「はぁー……一人でもめんどくせぇのに、また増えやがった」
「そんなこと言ってる場合ですか!」
「うるせぇな。ちゃんと助けるっつってんだろ」
ロイドがしゃがみ込もうとしたところで、リシェルが口を開いた。
「……この人を先に」
「あ?」
「私はいいわ。この人を……助けて」
ロイドの目が僅かに細くなる。
「アンタは?」
「……リシェル・ヴィルネ」
「ヴィルネ……?」
その名に、ロイドが反応する。
つい先ほど。
ナーラから聞いた名。
ヴィルネ族を束ねる族長。
「なるほど。アンタがリシェルか」
「私のことを……?」
「ちょっと聞いただけだ」
ロイドはそれ以上追及せず、レテの傷を確認する。
「それで? なんでアンタまでこんなボロボロなんだよ」
「…………」
リシェルは俯いた。
「私が……この人を傷つけた」
「……何?」
ログの表情が変わる。
リシェルはその視線を受けながら、拳を握り締めた。
「だから私はいい。この人を先に連れていって」
「…………」
「お願いします」
ロイドはしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「怪我人が勝手に優先順位決めんな」
「え……?」
「こっちはもう一人背負ってんだぞ。今さら一人増えようが二人増えようが変わらねぇよ」
「いや、ロイド隊長。それは変わると思いますけど……」
「お前は黙ってろ」
「はい……」
ロイドは頭を掻きながらレテを見る。
「とりあえず救護所まで連れてく。話はそこで聞く」
「ですが……」
「死にかけてる奴を置いてく方が後でめんどくせぇんだよ」
そう言ってロイドはログを一度下ろした。
「悪い。ちょっとだけ待ってろ」
「大丈夫です。それよりレテを」
「分かってる」
ロイドがレテを抱き上げる。
力の抜けた身体を見て、ログが苦しそうに眉を寄せた。
「レテ……」
「息はしてる。今すぐどうこうって感じじゃねぇ」
「……よかった」
その言葉に、リシェルの肩からも僅かに力が抜けた。
「アンタは歩けるか?」
「……えぇ」
立ち上がろうとした瞬間。
「ぐっ……!」
脇腹を押さえ、身体が傾く。
「それで歩けるって言うのかよ……」
「歩けます」
「意地張んな」
ロイドが呆れたようにため息を吐く。
その横で、地面に座ったログがリシェルを見上げた。
「……あの」
「…………?」
「何があったか、俺には分かりませんけど」
ログは一度、ロイドに抱えられているレテを見る。
「レテを助けようとしてくれたんですよね?」
「…………」
リシェルは答えられなかった。
ただ、ゆっくりと俯く。
「……ごめんなさい」
小さく零れた声に、ログは何も返さなかった。
「謝るなら、そいつが起きてから本人に言え」
ロイドが言う。
「今は全員、生きて救護所まで戻る。それでいいだろ」
「…………えぇ」
「ったく……」
ロイドはレテを抱えたまま空を仰ぐ。
「今日は何人運べば終わるんだよ……めんどくせぇー」
「ロイド隊長、俺のこと忘れてません?」
「忘れてねぇよ」
「さっき下ろされましたけど」
「自分で歩け」
「無理ですよ!」
「じゃあ少し休め」
「扱い雑すぎません⁉︎」
リシェルは二人のやり取りを黙って見つめる。
そして、ロイドに抱えられたレテへ視線を戻した。
この少女が何を言ってくれたのか。
まだ思い出せない。
それでも。
「……ごめんなさい」
もう一度だけ呟き。
リシェルは痛む身体を引きずりながら、救護所へ向かって歩き始めた。




