全部奪われた
「…………終わったんだよ」
震える声が返ってくる。
「え?」
「十五年前にな!」
《蛇針》が振り抜かれた。
アルトは咄嗟に身を傾ける。避けたと思った瞬間、別の方向から鋭い痛みが走り、肩口から血が散った。
「ぐっ!」
「俺が何をしてきたと思ってやがる! 十五年だぞ! 十五年、この国へ戻るためだけに生きてきた!」
セブランの姿が右へ揺れ、左へ現れる。
「医術も学んだ! 剣も! 星のことも! 何もかもだ! いつかここへ戻って、全部ひっくり返してやるって……それだけで生きてきた!」
「…………」
「今更帰れだと? 誰かが待ってるかもしれないだと?」
笑った。
けれど、その笑みはひどく歪んでいた。
「ふざけんなよ……!」
セブランが距離を詰める。
《蛇針》が迫る。
アルトは左掌から力を放った。
――ドンッ!!
だが、外れる。
その直後、脇腹へ蹴りを受けた。
「がっ!」
水面を転がるアルトを追い、セブランが叫ぶ。
「あの男だってそうだ!」
「……あの男?」
「セトだよ!」
アルトの目が僅かに動いた。
「俺がレピオスだと知ってた! それなのに何も言わなかった! 俺が母親の本を見つけて、全部知るまで黙ってやがった!」
《蛇針》が床へ突き刺さる。
アルトは寸前で身体を転がした。
「守るためだった? そんな都合のいい話があるか!」
「それ、本人に聞いたのかよ!」
「……あ?」
「セトさんに聞いたのかって言ってんだよ!」
セブランの動きが一瞬止まる。
「…………」
「なんで黙ってたのか。なんでスコルネを名乗れって言ったのか。ちゃんと聞いたのか?」
「黙れ」
「聞いてないんだろ!」
「黙れ!」
《蛇針》がアルトの左手を掠めた。
「っ!」
指先からさらに力が抜ける。
それでもアルトは止めなかった。
「お前さっき言ったじゃん! 誰も自分を見てくれなかったって!」
「それがどうした!」
「お前も同じことしてんじゃん!」
「…………!」
「セトさんが何考えてたか聞かないで、勝手に決めてる!」
セブランの顔が歪んだ。
「一緒にするな……!」
「同じだろ!」
「違う!」
「何が違うんだよ!」
「俺は――!」
声が詰まる。
セブランの喉が震えた。
「俺は……」
何かを言おうとして。
言えない。
《慰域》の中で幾つにも見える姿が、一斉に俯いた。
「…………怖かったんじゃないの?」
アルトが呟く。
「……何?」
「聞くの」
アルトは荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと顔を上げた。
「本当に嫌われてたって分かったら、もう帰れなくなるから」
「…………」
「だから聞かなかったんじゃないの?」
セブランの瞳が揺れる。
「違う」
「じゃあ聞けばよかったじゃん」
「違う……!」
「今からでも――」
「何が今からだ!!」
セブランの怒声とともに、《慰域》が大きく歪んだ。
天井が落ちてくるように見える。
水面が傾く。
身体が沈む。
息ができない。
「っ……!」
アルトは反射的に喉を押さえた。
違う。
呼吸はできている。
そう頭では分かっているのに、身体が「息ができない」と信じ込もうとしている。
「十五年だぞ……!」
セブランの声が至るところから響く。
「今更、間違ってましたで終われるかよ!!」
「……終わらせなくていいだろ」
「何?」
「間違ってたなら……そこからやり直せばいいじゃん」
セブランが黙る。
「簡単に言うなよ……」
「簡単じゃないよ」
アルトは水へ左手をついた。
震える腕で身体を支える。
「俺だって……いっぱい間違えてるし」
ヴォルグで無茶をしたこと。
レテに助けてもらったこと。
勝てれば自分が壊れてもいいと、どこかで思っていたこと。
「でも、間違えたからって全部終わりにはならなかった」
「…………」
「怒られたり、助けてもらったりして……また次、どうするか考えればいいんだよ」
「テメェには……分からねぇ」
「うん」
アルトはあっさり頷いた。
「分かんない」
「…………」
「十五年ってどれくらい長いのかも、お前がどれだけ嫌だったのかも、俺には全部は分かんない」
それでも。
「でも分かんないからって、話すのやめたら何も分かんないままだろ」
セブランが《蛇針》を握りしめる。
「だから俺は聞いてんだよ」
「…………」
「お前は本当は、どうしたかったんだ?」
その問いに。
セブランの表情が止まった。
「復讐とか、ルミナスを壊すとかじゃなくて」
アルトは真っ直ぐに見つめる。
どれが本物なのか。
未だに分からない。
それでも。
「本当は……どうしたかったんだよ」
「…………」
長い沈黙。
やがて。
セブランの口が僅かに開いた。
「……医者を」
小さすぎる声だった。
「え?」
「…………」
セブランが俯く。
拳が震えている。
「医者を……やっていたかった」
アルトの目が僅かに見開かれた。
「ここで」
セブランが笑った。
今までとは違う。
泣きそうな顔で。
「ただ……ここで、医者をやっていたかっただけだ」
その言葉を吐き出した瞬間。
セブランの表情が一気に歪んだ。
「なのに……!」
《蛇針》が強く握られる。
「全部奪われたんだよ!!」
セブランが床を蹴った。
今までで最も速く。
真正面から。
アルトへ向かって。




