精霊に愛された男
ここからは、先輩に任せとけ」
セリオは振り返らない。
男の《裂兎》を受け止めたまま、僅かに笑っていた。
剣先へ集められていた風が、二人の間で荒れ狂う。
地面が抉れ、周囲の木々が激しく揺れた。
それでも、セリオの身体は動かない。
「……セリオさん」
「もう喋るな。舌噛むぞ」
ヒルトは返事をしようとしたが、胸に痛みが走り、咳き込んだ。
口元を押さえた手に、赤いものが付着する。
「すみません……ちょっと、休みます」
「そうしろ。十分すぎるほど働いた」
セリオは軽く腕を振った。
《裂兎》の切っ先が横へ逸らされる。
溜め込まれていた風が解放され、二人の脇を一直線に駆け抜けた。
背後の木々が、まとめて大きく傾く。
男は数歩下がると、初めてセリオの顔を正面から見た。
「……なるほど」
その視線が、光を受けて幾つもの色彩を浮かべる瞳へ向けられる。
「お前が、セリオ・バルディアか」
「俺を知ってんの?」
「精霊に愛された男。知らぬ者の方が少ない」
「いやあ、それほどでも」
「褒めてはいない」
「知ってる」
セリオは笑いながら、男の持つ《裂兎》へ目を向けた。
細身の刀身。
剣先へ集まる風。
そして、先ほど放たれた完成された突き。
その笑みが、ゆっくりと消えていく。
「《瞬風点》か」
男の眉が僅かに動いた。
「……知っているのか」
「そりゃあな」
セリオは首を鳴らした。
「ヴォルグ国境部隊の元隊長。《颶風》カイル・レイヴァン」
ヒルトが目を見開く。
「《颶風》……?」
「昔、隊長から聞いたことがある」
セリオはカイルから視線を逸らさない。
「風属性だけで、国境一帯の戦況をひっくり返した化け物がいたってな」
「化け物とは随分な言い方だ」
「俺からしたら褒め言葉だよ」
カイルは否定しなかった。
《裂兎》を下げたまま、静かにセリオを観察している。
「……セリオさん」
ヒルトが木へもたれたまま、再び声を絞り出した。
「フィ、フィリアが……」
「分かってる」
セリオはカイルから視線を外さずに答えた。
「ここへ来る途中で見た。変なやつに運ばれてたよ」
「変なやつ……?」
「見たことない奴だった」
セリオが僅かに眉を寄せる。
「怪我人を抱えてるとは思えない速さだった。あれなら、レテのところまで間に合うだろ」
ヒルトの肩から力が抜けた。
「……よかった」
目を閉じ、小さく息を吐く。
セリオはそんなヒルトを横目で見たあと、低く呟いた。
「……ただ、あいつ、なんなんだよ?」
速さも尋常ではなかった。
だが、それ以上に異様だったのは、周囲の精霊たちの反応だ。
森にいた精霊が、あの男の進路から一斉に逃げていた。
怯えたように。
近づくことすら拒むように。
これまで幾多の精霊と接してきたセリオでさえ、あれほど露骨な拒絶を見たことはなかった。
「おしゃべりとは、随分余裕だな」
カイルの低い声が割り込む。
《裂兎》の刀身へ、再び風がまとわりついていた。
セリオはカイルへ顔を戻す。
「ああ、こりゃ失礼」
口元には、いつもの軽い笑み。
だが、色彩を変える瞳だけは笑っていなかった。
「後輩が死にかけてたもんでね」
「戦場で他人へ気を取られるか」
「悪い癖なんだ」
セリオは肩を竦める。
「昔から、放っておけなくてさ」
カイルが《裂兎》を構え直した。
「ならば、その甘さごと斬る」
「やってみろよ」




