本当の加護
「…………」
セブランは答えなかった。
だが、《蛇針》を握る手に力が入る。
アルトはそれを見逃さなかった。
「お前さ……本当は殺しも、戦いもやりたくないんじゃないのか?」
「黙れ」
「だって変だろ。救護所まで作って、怪我してる人を助けて――」
「黙れと言った!」
セブランの姿が消えた。
「っ⁉︎」
次の瞬間、アルトの腹へ蹴りが突き刺さる。
「がっ……!」
身体が水面を滑り、背中を石床へ打ちつけた。咳き込みながら顔を上げると、すでにセブランが目の前に立っている。
「何も知らないくせに、勝手なことを言うな」
「……でも」
「俺が誰を助けようが、何をしようが、テメェには関係ねぇだろ!」
もう。
いつもの落ち着いた口調ではなかった。
アルトは苦しそうに息をしながら、それでもセブランを見る。
「さっき……言ったよな」
「あぁん?」
「俺が治療に首突っ込んだことに、虫唾が走るって」
「…………」
「なんでそんなに怒ったんだ?」
セブランの眉が動く。
「俺が勝手に怪我人助けようとしただけだろ。それなのに、お前……あの時からずっと怒ってた」
「黙れ」
「もしかして」
アルトが小さく笑う。
「治療の邪魔になるからだろ?」
「……何?」
「怪我してる人がいたら治して。痛い奴がいたら楽にしてやって」
息を吸う。
胸が痛い。
血を失いすぎているせいか、言葉を出すだけでも頭がぼんやりする。
それでも。
「本当は……ルミナスで医者やりたいんだろ?」
「…………」
セブランの顔から。
完全に表情が消えた。
次の瞬間。
――ゴッ!!
「がっ!」
靴底がアルトの頬へ叩き込まれる。
「黙れ」
もう一度。
――ゴッ!
「ぐっ……!」
「黙れ」
さらに。
「黙れ! 黙れ! 黙れぇ!!」
何度も。
顔へ。
肩へ。
胸へ。
蹴りが落ちる。
アルトは腕すらまともに上がらない。ただ浅い水の中で身体を丸め、耐えることしかできなかった。
「ぐ……っ」
「何が医者だ! 何がルミナスだ! 俺は全部壊しに戻ってきたんだよ!」
「……違う」
「あぁん⁉︎」
「だったら……」
アルトが。
血の混じった息を吐く。
「なんで救護所なんて作ったんだよ」
「…………!」
「敵も味方も関係なく……怪我してる奴、治してたじゃん」
「それは――」
「なんでだよ!」
アルトが声を張る。
「本当に全部憎いなら! 放っとけばよかっただろ!」
「黙れ……!」
「お前はルミナスが嫌いなんじゃない!」
「黙れ!」
「嫌いになりたいだけだろ!」
「黙れぇ!!」
《蛇針》がアルトのすぐ横へ突き刺さった。
石床が砕ける。
けれど。
やはり。
アルト自身は貫いていない。
「…………」
アルトはそれを見て。
もう確信した。
「……お前」
ゆっくりと。
セブランを見る。
「ただ……ここで」
「やめろ」
「ルミナスに――」
「やめろ……!」
「“おかえり”って言って欲しいだけだろ!」
「――――だまれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
空気が震えた。
セブランの身体から。
凄まじい光が噴き上がる。
「……⁉︎」
アルトが目を見開く。
光の中で。
セブランの姿が変わっていく。
黒い衣。
長い外套とも。
医師の装束とも見えるそれが全身を包み、頭部には深いフードのような影が落ちる。顔の大半は闇に隠れ、口元だけが僅かに覗いていた。
だが。
背中だけは大きく開いている。
そこへ。
黒い刺青のような紋様が浮かび上がった。
「……星座?」
人。
そして。
その身体へ絡みつく蛇。
蛇遣い座。
星にあたる箇所が一つずつ光を帯び、黒い背中の上へ星座を描いていく。
「……そうだ」
セブランが顔を上げた。
フードの奥。
その目だけが。
鋭く光る。
「テメェの言う通りだよ」
「……え?」
「忌々しいことにな」
セブランが《蛇針》を持ち上げる。
「この加護は――人を殺せない」
「…………!」
「どれだけ強くなろうが、心臓を止めることも、呼吸を奪うこともできない。《蛇針》も同じだ。直接、命を断つ傷だけは与えられない」
「じゃあ……やっぱり」
「だが」
声が。
低く響いた。
その瞬間。
継承の間全体が。
僅かに歪んだ。
「……?」
壁が遠くなる。
水面が深くなる。
セブランの姿が。
一人。
二人。
三人。
アルトが瞬きをするたびに、その位置が変わっていく。
「殺せないからなんだ?」
「……っ」
「腕が動かないと思わせることもできる。脚が使えないと思わせることもできる。痛みを消すことも、血を流していないと思わせることもできる」
セブランが両腕を広げる。
「そして――」
深いフードの奥で。
口元が歪んだ。
「貴様自身に」
蛇遣い座の紋様が強く輝く。
「“俺はもう死んだ”と誤認させることだってできる」
「…………」
アルトの背筋に寒気が走った。
「そうだ。これが蛇遣い座の加護だ」
セブランの声が。
継承の間の至るところから聞こえる。
「《誤認》――」
そこで。
セブランは一度言葉を止めた。
「……いや」
笑う。
自嘲するように。
吐き捨てるように。
「それは俺が勝手に付けた名前だったな」
「……?」
「本当の名は――」
黒い衣が揺れる。
背中の星々が、一斉に輝いた。
「《癒憩》」
「ゆ……けい?」
「人を休ませ、痛みを和らげ、恐怖を遠ざけるための……くだらねぇ加護だよ」
「…………」
「そして」
セブランの周囲から。
黒い光がゆっくりと広がっていく。
水面。
壁。
天井。
継承の間そのものが。
その光に呑み込まれていく。
「蛇遣い座――星纏」
セブランが《蛇針》を構えた。
「《慰域》」
瞬間。
世界が。
アルトの認識から。
完全にずれた。




