本当の力
「…………何?」
セブランの表情から、僅かに笑みが消えた。
アルトは浅い水へ仰向けに倒れたまま、ゆっくりと息を吐く。視界は揺れ、天井もぼやけている。それでも、頭の中に浮かんだ違和感だけは消えなかった。
「俺さ……こんだけ刺されてるのに、思ったより痛くないんだよ」
「…………」
「腕が動かないとか、脚に力が入らないとか。そういうのを誤認させられるなら……痛みだってできるんだろ?」
セブランは答えない。
その沈黙が。
アルトには、答えのように思えた。
「だったらさ。それって本当は……人を傷つけるためじゃなくて、痛い奴を楽にしてやるための力なんじゃないのか?」
「……くだらない」
「え?」
「くだらないと言ったんだ」
セブランの声が低くなる。
「少し痛みが鈍いだけで、随分と都合のいい想像をする」
「でも――」
「なら」
セブランが《蛇針》を下ろした。
「現実を見せてやろう」
「……?」
次の瞬間。
何かが。
外れた。
「――っ⁉︎」
アルトの身体が大きく跳ねた。
「がっ……あぁぁっ⁉︎」
痛い。
肩。
腕。
脇腹。
腿。
今まで《蛇針》に貫かれた場所の全てが、一斉に焼けるような痛みを訴え始めた。
「な……なんだ、これ……!」
呼吸が乱れる。
心臓が激しく鳴る。
寒い。
身体の芯が、異様に冷たい。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
アルトが震える首を動かした。
そして。
目を見開く。
「……え?」
浅い水。
先ほどまで薄く赤い程度だと思っていた水面が。
違う。
自分の周囲一帯。
かなり広い範囲が。
赤い。
「これ……」
アルトが自分の身体を見る。
服は至るところが血を吸っていた。
肩から。
腕から。
脇腹から。
腿から。
小さな刺し傷の一つ一つから流れ続けた血が、ずっと水へ混ざっていた。
「俺の……血?」
「ようやく理解したか」
セブランが見下ろす。
「君はとっくに限界だ」
「…………」
「《誤認》させていたのは痛みだけじゃない。傷の深さも、流れている血の量も、君は実際より軽く認識していた」
「……なんで」
「何?」
アルトが荒い呼吸を繰り返しながら、セブランを見る。
「なんで……そんなことしたんだ?」
「戦いやすいからだ。痛みに怯えて動かなくなった相手をいたぶる趣味はない」
「…………」
「気づかないまま血を失わせれば、それで終わる。それだけの話だ」
「……それ」
アルトが小さく笑った。
「やっぱ変だよ」
「何がだ」
「だって今……お前」
痛みに顔を歪めながらも、アルトは言葉を続ける。
「俺が痛くないように……してたんだろ?」
「…………」
「殺すためだって言うけどさ。それなら、もっと簡単にできるだろ」
セブランの眉が僅かに動く。
「お前、人体のことめちゃくちゃ詳しいんだろ?」
「……それがどうした」
「だったら」
アルトの視線が。
《蛇針》へ向く。
「心臓を刺せばいいじゃん」
「…………」
空気が止まった。
「首でもいい。頭でもいい。俺には分かんないけど、お前なら一発で終わる場所くらい分かるだろ?」
「黙れ」
「でも刺してない」
「黙れと言っている」
「さっきからずっとだ」
アルトは思い返す。
肩。
腕。
脚。
脇腹。
どれも痛い。
血も出ている。
けれど。
一つとして。
その場で命を奪う傷ではない。
「俺の腕を動かなくした。脚も。手も。でも……殺してない」
「…………」
「違う」
アルトの目が僅かに見開かれる。
ようやく。
一つの答えに辿り着く。
「殺してないんじゃない」
セブランの表情が強張った。
「お前……」
アルトが。
揺れる身体で僅かに上体を起こそうとする。
だが、すぐに力が抜けた。
それでも。
視線だけは逸らさない。
「殺せないんじゃないのか?」
「…………」
「《蛇針》も」
アルトが息を吸う。
「お前の《誤認》も」
セブランの手が。
僅かに震えた。
「本当は……人を殺すための力じゃないんだろ?」
「…………」
深い沈黙。
その中で。
アルトは確信し始めていた。
目の前の男が。
自分で語っているほど。
人を傷つけることに向いた力を持っていないことを。




