その熱すら
「……ったく」
ガオンは砕け散った《灼獅》から視線を上げた。
正面ではスカーが《灼王牙》を構え直している。こちらが武器を失ったことなど関係ないと言わんばかりに、獅子の口から伸びる湾曲した刃が赤く灼けていた。
「少しくらい待ってくれてもいいんじゃねぇか、クソ親父」
返事はない。
スカーが地面を蹴る。
「っ!」
ガオンも《獅醒》で身体を動かした。迫る《灼王牙》を紙一重で躱し、右拳を腹へ叩き込む。
――ゴッ!!
すぐさま左肘を顔へ。さらに膝を腹へ突き上げ、離れ際に右脚を振り抜く。
拳も、肘も、膝も、脚も。
もう使えるものは全部使うしかない。
「おらぁ!」
――ゴッ!!
蹴りがスカーの腕へ当たる。
だが、倒れない。
逆に踏み込まれ、《灼王牙》の柄がガオンの脇腹へめり込んだ。
「がっ……!」
身体が折れたところへ、獅子頭が肩へ叩き込まれる。
――ゴォン!!
「ぐぁっ!」
石床を転がる。
身体中が痛い。腕は震え、脚も《獅醒》で無理やり動かしているだけだった。
それでも、ガオンはすぐに床へ手をつく。
「まだ……終われねぇ」
立ち上がる。
スカーが来る。
殴る。
蹴る。
避ける。
それでも返される。
一発当てる間に、二発、三発と攻撃が返ってくる。《灼王牙》の刃を避けても、その熱だけで皮膚が焼けた。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
やがて、ガオンの足が止まった。
目の前のスカーが僅かに二重に見える。握った拳すら震えている。
「……参ったな」
これ以上。
身体が持つか分からない。
その時だった。
スカーが動きを止める。
「……?」
《灼王牙》を両手で構えた。
次の瞬間。
地下通路の景色が揺らめいた。
「おい……」
熱い。
いや。
そんな言葉では足りない。
スカーの身体から噴き上がる熱によって、壁も床も、その姿さえ陽炎の向こうにあるように歪んでいる。石床に残っていた僅かな水分が一瞬で蒸発し、《灼王牙》の獅子の双眸は真紅に染まっていた。
刃だけではない。
長柄までが赤熱している。
「……それは、流石にまずいだろ」
スカー自身の熱。
獅子座の加護。
その全てが《灼王牙》へ集まり続けていた。
避ける。
ガオンの頭に真っ先に浮かんだ。
今の身体で、あれをまともに受ければ終わる。
だが。
一歩動きかけたところで止まった。
「…………」
振り返る。
少し離れた石床には、ラバタが倒れている。
「……クソ」
避ければ。
あいつに当たる。
今のラバタが、あれを受ければどうなるか。
考える必要すらない。
ガオンは正面へ向き直った。
「最後まで……面倒かけやがって」
口元だけで笑う。
スカーの熱はさらに上がっていく。
肌が灼ける。
息を吸うだけで喉が熱い。
その時。
――ドクン。
「……!」
胸の奥。
また。
あの感覚。
だが。
今度は今までとは比べものにならない。
――ドクン。
身体の奥から、熱が生まれた。
「なんだ……これ」
さらに強く脈打った瞬間、その熱が胸から肩へ、腕へ、腹へ、脚へと一気に巡っていく。
スカーから浴びせられる熱とは違う。
自分の中から溢れている。
自分自身の熱。
「…………」
ガオンの口元がゆっくりと上がった。
「はっ……熱っちぃなぁ……」
スカーが《灼王牙》を振りかぶる。
ガオンも何もない両腕を前へ出した。
「だったら――」
全身を巡っていた熱が、一気に両腕へ集まり始める。
それだけではない。
スカーから押し寄せる灼熱。
その熱さえ。
ガオンの周囲へ吸い寄せられるように揺れた。
「俺はその熱すら――」
赤金色の光が爆ぜる。
「喰らってやる!!」
――バァァァァァァン!!
強烈な光と熱が地下通路を呑み込んだ。
光はガオンの拳へ集まり、手首から前腕へ絡みついていく。
やがて。
形を持った。
「……⁉︎」
両腕を覆ったのは、一対の重厚な手甲。
黒金の関節部を包むように、白銀の装甲が幾重にも重なっている。拳の甲には獅子の頭部を思わせる鋭い面が浮かび、その後方からは鬣のような装甲板が前腕を覆うように連なっていた。
指先には獅子の爪を思わせる金色の鋭い装甲。
装甲の隙間からは赤金色の熱が脈打つように漏れ、掌の中心には小さな光が強く灯っている。
ヴォルグで手にした《灼獅》に似ていた。
付き合いは短かった。
それでも妙に手に馴染んだ、あの籠手。
だが。
これは違う。
誰かに作られた武器ではない。
借り物でもない。
自分の中から。
自分の熱から生まれた。
――霊器。
それが。
ガオン自身から生まれた、新たな《灼獅》だった。
「…………」
ガオンが両拳を握る。
籠手の奥で、獅子が低く唸るような音が響いた。
同時に。
赤金色の光が。
地下の闇を塗り潰すように、さらに強く爆ぜた。
◇◇◇
――継承の間。
「ぐっ……!」
アルトが《砕》を振り抜いた。
だが。
そこにセブランはいない。
「また外れだ」
「っ⁉︎」
右から声がした。
そう思って振り向いた瞬間、《蛇針》が肩を浅く貫く。
「ぐっ……!」
細い刃が引き抜かれる。
傷は小さい。
なのに。
「……あれ?」
右腕がだらりと落ちた。
アルトは何度も力を入れる。
動かない。
「なんで……?」
「不思議だろう?」
正面。
いつの間にかセブランが立っていた。
「君の腕は壊れていない。筋も神経も、まだ正常だ」
「じゃあなんで動かないんだよ!」
「君が『動かない』と認識しているからだ」
「……は?」
セブランが《蛇針》の切っ先を見せる。
「この《蛇針》は、《誤認》を身体へ縫い付ける。肩へ刺せば『腕は動かない』。脚へ刺せば『脚に力が入らない』。そう身体そのものに信じ込ませる」
「身体に……」
「私は人体を学んだ。どこを傷つければ腕が動かなくなるのか。どこを壊せば脚から力が抜けるのか。だからこそ、その状態を正確に作り出せる」
「……そんなの反則だろ」
「今更か?」
セブランの姿が揺れた。
「っ!」
アルトが左手の《砕》を振るう。
空を切った。
「違う」
背後から声がする。
「⁉︎」
振り向くより早く、《蛇針》が左の腿へ刺さった。
「ぐっ!」
アルトは距離を取ろうとする。
だが。
踏み出した左脚から突然力が抜けた。
「え……?」
――バシャッ!
浅い水へ膝をつく。
「言っただろう。その脚には、もう力が入らない」
「くそっ……!」
右腕は動かない。
左脚も使えない。
それでもアルトは左手で《砕》を握り直し、右脚だけで無理やり踏み込んだ。
「《砕衝》!」
――ドゴォン!!
石床が弾ける。
だが。
また外れた。
「相変わらず派手だな」
「⁉︎」
今度は左。
いや。
右。
「どっちだよ!」
「それを君自身が分からない」
セブランの位置が揺れる。
距離が狂う。
そこにいると思えばいない。
いないと思えば、すぐ傍から《蛇針》が飛んでくる。
その上。
自分の身体まで思うように動かない。
「……待てよ」
アルトの動きが止まった。
腕も。
脚も。
本当は壊れていない。
なら。
「…………」
頭に浮かぶ。
《魔脈》。
あれなら。
身体がどう認識していようが、無理やり動かせるかもしれない。
「だったら……」
身体の奥へ力を巡らせようとして。
アルトは止まった。
「…………」
水色の髪が浮かんだ。
ヴォルグ。
限界を超えて《魔脈》を使った。
血を吐き。
身体を壊し。
最後には自分で立つことさえできなくなった。
そして。
そんな自分を必死に治そうとしてくれた。
『アルトくん……!』
「…………」
レテ。
自分を助けるために。
レテまで倒れた。
「……また同じことするのかよ」
あの時と。
同じ。
勝つためなら、自分がどうなってもいい。
その結果。
また誰かに無理をさせる。
「……ダメだ」
「何?」
「これは……使わない」
「何の話だ?」
「なんでもない!」
アルトは左手一本で《砕》を構え直した。
「まだやれる!」
「……そうか」
セブランの目が細くなる。
「なら、続けよう」
《蛇針》が閃いた。
「っ!」
今度は左手の甲。
「ぐっ!」
浅い傷。
だが。
直後に指から力が抜けた。
――バシャッ。
《砕》が水へ落ちる。
「なんで……」
「もう、その手では握れない」
「くそっ!」
右腕。
左脚。
左手。
身体そのものは壊れていないのに。
少しずつ。
自由だけを奪われていく。
それでもアルトは右脚に力を入れ、動く左腕で床を押して身体を起こした。
「まだ……!」
「しつこいな」
「当たり前だろ! まだ倒れてないんだから……!」
セブランは何も言わず、《蛇針》を構え直した。
アルトも落ちた《砕》へ手を伸ばそうとする。
その時だった。
「……?」
視界が揺れた。
天井が回って見える。
耳の奥で妙な音が鳴り、身体が急に重くなった。
「なんだ……これ。クラクラ……するな」
傷は多い。
肩。
腕。
脇腹。
脚。
それでも。
一つ一つは小さい。
痛みだって。
まだ耐えられる。
「……まだ、いける」
そう思って。
もう一度立とうとした。
だが。
身体から力が抜けた。
「……あ」
――バシャァッ。
アルトは浅い水の中へ仰向けに倒れた。
「血を失いすぎたな」
嘲笑うか様な笑みをセブランは浮かべアルトを見下す。
「はぁ……はぁ……」
揺れる天井を見つめる。
呼吸は妙に速い。
指先も冷たい。
それなのに。
思ったほど痛くない。
「…………」
ぼんやりと視線を横へ向ける。
自分の身体の周囲。
浅い水へ。
赤が広がっている。
かなり。
赤い。
なのに。
「……なんでだろ」
痛みは。
まだ耐えられる。
そこで。
アルトの中に。
一つの違和感が浮かんだ。
「…………なぁ」
セブランが足を止める。
「なんだ」
アルトは天井を見たまま、ゆっくりと口を開いた。
「お前の……《誤認》ってさ」
「…………」
「本当は……もっと優しい能力なんじゃないか?」
「…………何?」
セブランの表情が僅かに止まる。
アルトは浅く息を吐いた。
「俺さ……こんだけ刺されてんのに、思ったより痛くないんだよ」
「…………」
「お前、痛みも誤認させられるんだろ?」
セブランは答えない。
「だったらさ……」
アルトが僅かに笑う。
「それって本当は、人を傷つけるためじゃなくて」
ゆっくりと。
セブランへ視線を向けた。
「痛い奴を……楽にしてやるための力なんじゃないのか?」
「…………」
その瞬間。
セブランの顔から。
僅かに。
笑みが消えた。




