集う
◇◇◇
――王宮内。
「……これで大丈夫です」
セヴェルは最後の包帯を結び、ゆっくりと息を吐いた。
王の寝室とは反対側にある一室。そこへ閉じ込められていた各部族の有力者や王宮の重役達の拘束を解き、怪我の重い者から順に治療を施していた。
幸い、今すぐ命に関わる者はいない。
「歩ける方は、動けない方を支えてください。ここも安全とは限りません」
「……助かった、セヴェル殿」
「礼はいいです。傷が開く可能性がありますから、無理に動かさないように」
「あぁ……」
男が頷く。
だが。
何か言いたげに、セヴェルを見ていた。
「……どうしました?」
「セヴェル殿。その……セト殿のことは」
「父上?」
セヴェルが眉を寄せる。
「なぜ父上のことを?」
「…………知らないのか?」
「何をです」
男は一瞬。
言葉を躊躇った。
「俺達をここへ連れてきた兵達が話していた」
「…………」
「セト殿も……反乱側についている、と」
「…………え?」
セヴェルの動きが止まった。
「父上が……?」
「あぁ。俺も信じられんが……」
「…………」
父が。
王家へ刃を向けた。
「……ありえない」
思わず声が漏れた。
だが。
今の王宮では。
ありえないと思っていたことが、次々と起きている。
「……皆さんはここを離れてください」
「セヴェル殿は?」
「父上を探します」
「その怪我でか?」
「確認しなければなりません」
本当に反乱へ加担したのか。
もしそうなら。
なぜ。
セヴェルは部屋を出た。
王宮内を進むにつれ、戦闘の痕跡はさらに酷くなっていく。
砕けた壁。
抉られた石床。
焦げた柱。
まだ乾ききっていない血痕。
「……ここでも戦闘が」
誰と誰が。
何のために戦ったのか。
何一つ分からない。
「父上……どこに」
角を曲がり。
少し開けた場所へ出た。
「…………?」
そこにも。
激しい戦闘跡が残されていた。
そして。
その中央。
一人の人間が倒れている。
身体には黒い外套が掛けられ。
顔まで覆われていた。
「……誰だ?」
一歩。
近づく。
「…………」
外套の下。
石床へ。
暗い赤が広がっている。
大きな血溜まり。
すでに一部は乾き始め。
黒く変色していた。
「…………」
セヴェルの足が止まる。
誰なのか。
まだ分からない。
それなのに。
胸の奥が。
酷くざわついた。
「……なんだ」
これ以上。
近づきたくない。
理由も分からないまま。
そんな感覚だけが強くなる。
「…………」
それでも。
確認しなければならない。
セヴェルは倒れている人物の傍へ膝をついた。
震える手で。
黒い外套を掴む。
そして。
恐る恐る。
捲った。
「…………」
息が止まった。
「……父上?」
セト・スコルネ。
間違いなく。
父だった。
「父上……?」
返事はない。
腹部には。
大きな刺突痕。
衣服は大量の血を吸い。
黒く染まっている。
「…………」
セヴェルの手がすぐに首筋へ伸びた。
脈。
ない。
手首。
ない。
胸へ耳を当てる。
「…………」
何も聞こえない。
身体も。
すでに冷たい。
医者だからこそ。
分かってしまう。
「…………」
それでも。
もう一度。
首筋へ指を当てた。
「父上」
何もない。
「……父上」
肩を揺する。
「起きてください」
反応はない。
「父上!」
さらに強く揺する。
「父上! 起きてください!」
何度呼んでも。
父の目は開かなかった。
「……あぁ」
セヴェルの顔が歪む。
「なんで……」
拳が石床へ落ちた。
――ドン!
「くそっ……!」
もう一度。
――ドン!!
「くそっ!」
涙が落ちる。
「ふざけるな……!」
父の胸元を掴んだ。
「勝手に……死ぬなんて……!」
まだ何も聞いていない。
なぜ反乱へ加わった。
何を考えていた。
なぜ。
自分には何も話さなかった。
「私はまだ……!」
声が震える。
「何も聞いてないんですよ……!」
その時。
セトの懐から。
小さなものが滑り落ちた。
――パサッ。
「……?」
革張りの手帳。
「父上の……?」
拾い上げる。
何度も開かれていたのだろう。
表紙も角も擦れている。
震える手で開いた。
「…………!」
最初の頁。
そこに。
父の筆跡で書かれていた。
――セヴェルへ。
「……私に?」
次の頁へ。
だが。
並んだ文字が。
涙で滲んで読めない。
「…………」
指が止まる。
「……今は」
読めない。
セヴェルは手帳を閉じ。
胸へ強く抱いた。
「父上……」
◇◇◇
「チッ……どこにいやがる」
ナーラは《獅后》を肩へ担ぎ、王宮内を進んでいた。
ジルは無事だった。
ウェラもいる。
なら次は。
ガオン。
セヴェル。
そして父。
「ガオンの奴……見つけたら絶対一発――」
「父上!」
「……?」
ナーラの足が止まる。
「父上! 起きてください!」
「……セヴェル?」
聞き覚えのある声。
ナーラが駆け出す。
廊下を抜け。
開けた場所へ出た。
「セヴェル!」
そこで。
足が止まった。
「…………⁉︎」
地面へ膝をつくセヴェル。
その前。
黒い外套。
その下から覗く顔。
身体の下には。
乾き始めた血溜まり。
「……セト」
「父上……!」
セヴェルは。
ナーラが来たことにも気づいていない。
「なんで……」
父の胸元を掴む。
「なんで勝手に死んでるんですか!」
「…………」
「ふざけるな!」
「セヴェル……」
「私はまだ何も聞いてない!」
声が掠れていく。
「なぜこんなことをしたのか! なぜ私に何も言わなかったのか!」
「…………」
「全部……!」
涙が落ちる。
「何も聞いてないんですよ……!」
ナーラは。
何も言えなかった。
腹の立つ男だった。
面倒で。
何を考えているのか分からなくて。
何度。
クソジジイと呼んだかも分からない。
「……クソジジイ」
ナーラが小さく呟く。
「何やってんだよ……」
「…………」
ようやく。
セヴェルが顔を上げた。
「……ナーラ様」
「あぁ」
「父上が……」
唇が震える。
「父上が……死んで……」
「あぁ」
それ以上。
ナーラには言えなかった。
しばらく。
二人の間に沈黙が流れる。
「ナーラ様……」
「ん?」
「父上を殺したのは……誰ですか」
「…………」
「誰が……父上を」
「分からねぇ」
ナーラが目を伏せる。
「俺も今ここに来た」
「…………」
「ただ、さっき会った国境警備隊の話じゃ……最後にセトと戦ってたのはガイストのバルガスって男だ」
「……バルガス」
「勘違いすんな」
ナーラがすぐに続ける。
「そいつが殺したとは言ってねぇ」
「…………」
視線を。
黒い外套へ向ける。
「戦った相手を殺して、そのまま捨ててった奴が……わざわざこんなもん掛けると思うか?」
セヴェルも。
父へ掛けられた外套を見る。
「何があったのかは、本人に聞かなきゃ分からねぇ」
「…………」
セヴェルは何も答えなかった。
ただ。
胸へ抱いた手帳を強く握る。
「……そういや」
ナーラが眉を寄せた。
「セヴェル」
「……はい」
「お前」
少し考え。
口を開く。
「セブランっていうスコルネ族を知ってるか?」
「…………」
セヴェルの顔が上がった。
「今……なんて?」
「セブランだ」
「…………!」
セヴェルが目を見開く。
「セブラン兄さんが……ここにいるんですか⁉︎」
「……兄さん?」
今度は。
ナーラが驚く。
「お前、あいつの弟なのか?」
「血は繋がっていません」
セヴェルが首を横へ振る。
「義理の兄です」
「…………」
「昔……父上の傍にいた人です」
「セトの?」
「はい」
セヴェルの表情が強張る。
「ですが……兄さんはずっと前にルミナスを離れたはずです」
「…………」
「なぜ……今ここに?」
その時。
セヴェルの視線が。
胸へ抱いていた手帳へ落ちる。
「……まさか」
「?」
震える手で。
もう一度。
手帳を開く。
「…………」
涙で滲む文字。
その中に。
今度は。
はっきりと見えた。
――セブラン。
「…………!」
「どうした」
「ここにも……」
「何?」
「父上の手帳にも……兄さんの名前が」
さらに。
その近く。
見覚えのない言葉。
――レピオス。
「……レピオス?」
「なんだ、それ」
「分かりません」
死んだ父。
父の反乱。
父が残した手帳。
そこに書かれた。
義兄の名前。
そして。
突然ルミナスへ戻ってきたセブラン。
「…………」
セヴェルの顔から。
血の気が引いていく。
「一体……」
何一つ。
分からない。
「一体、何が起きているんだ……」
◇◇◇
――王宮の別の場所。
「……ったく」
バルガスは傷だらけの身体で王宮内を進んでいた。
セトから受けた毒は、最後に打ち込まれた解毒剤のおかげで抜けつつある。
だが。
戦闘で負った傷も。
蓄積した疲労も。
消えたわけではない。
いつも羽織っていた外套も。
今はない。
「…………」
一度。
何もない肩へ目を向ける。
「……馬鹿野郎め」
それだけ呟き。
再び前を見る。
「アルト……どこ行きやがった」
その時。
廊下の先から足音が聞こえた。
「ん?」
曲がり角。
一人の男が姿を現す。
「バルガス隊長」
「ロイドじゃねぇか」
そして。
その背中。
「……ログ⁉︎」
「バルガス隊長……」
ログが。
ロイドの背中から力なく顔を上げる。
「お前……ボロボロじゃねぇか」
「隊長も……似たようなもんでしょう」
「ダッハハハ……」
バルガスが笑う。
だが。
その声には。
僅かに疲れが混じっていた。
「何があった」
「タウルス族長の息子……ガルドと戦いました」
「族長の息子と?」
「はい」
「……そうか」
バルガスはログの身体を見る。
今すぐどうこうなる状態ではなさそうだが。
もう戦える身体ではない。
「今は大人しく運ばれとけ」
「……そうします」
「珍しく素直じゃねぇか」
「もう動けないんですよ……」
「ダッハハ……そりゃそうか」
「それと」
ロイドが口を挟む。
「ナーラ姫とも合流しました」
「ナーラ姫は無事なのか?」
「俺と別れた時点では。ジル姫とガオン王子、それからセヴェルという医師を探しに行きました」
「…………」
バルガスの表情が止まった。
「……セヴェル?」
「はい」
「…………」
その名前。
覚えている。
ほんの少し前。
死の間際。
セトが最後に口にした。
『セヴェル……すまない……な……』
「……そうか」
バルガスが小さく呟く。
「知ってるんですか?」
「いや」
首を横へ振る。
「会ったことはねぇ」
「?」
「ただ……名前を聞いただけだ」
それ以上は言わなかった。
「ナーラ姫が探してるんだな?」
「えぇ」
「……そうか」
ほんの一瞬。
外套のなくなった肩へ目を向ける。
だが。
今は先へ進まなければならない。
「それで、アルトは?」
「……それが」
ロイドの表情が変わる。
「最後に分かってる限りでは、セブランと一緒です」
「セブラン?」
バルガスが眉を寄せた。
「先生に何かあったのか?」
「…………」
「おい。あの先生、怪我人を治してただろ。怪我でもしたのか?」
「そうじゃありません」
「?」
「ナーラ姫が言うには……スコルネ族にセブランという男はいないそうです」
「…………は?」
「少なくとも、王宮の中にあれだけ詳しい人間なら、ナーラ姫が知らないのはおかしい」
バルガスの顔が険しくなる。
「待てよ」
「はい」
「先生は俺達が来る前から、怪我人を集めて治療してたぞ」
「それも事実です」
「…………」
「だから俺も、何が何だか分かってません」
バルガスは黙った。
あの男は。
目の前の負傷者を。
迷わず助けていた。
救護所まで作り。
人を治療していた。
「……先生に何か事情があるのかもしれねぇな」
「俺も断定はしてません」
「アルトはその先生と一緒なんだな?」
「はい」
「チッ……」
バルガスが頭を掻く。
「なら、まず二人とも見つける」
王宮の奥へ目を向ける。
「俺はアルトを探す」
「俺はログを救護所へ連れて戻ります」
「頼んだ」
ロイドがログを背負い直す。
「……重っ」
「今言う必要あります?」
「事実だろ」
「怪我人ですよ、俺……」
「口が回るならまだ平気だ」
「ロイド隊長までバルガス隊長みたいなこと言い出した……」
「俺と一緒にすんな!」
「そこ怒るんですか?」
「ダッハハハ!」
少しだけ。
いつもの笑い声が戻る。
「じゃあな。ログは頼んだぞ」
「はい」
バルガスが。
二人の横を通り過ぎる。
「バルガス隊長」
「あ?」
呼び止められ。
振り返った。
「気をつけてください」
「…………」
バルガスが口元を上げる。
「誰に言ってやがる」
一度。
拳を握り。
「死んだらユノに怒られちまうからな」
「…………」
「アルトを見つけて、ちゃんと戻るさ」
そう言い残し。
バルガスは王宮の奥へ歩き出した。
ロイドも。
背負ったログと共に。
反対方向へ進んでいく。
それぞれが。
それぞれの目的のために。
王宮を進んでいく。
そして。
その頃。
地下では。
灼王と。
その息子達の戦いが。
さらに激しさを増そうとしていた。




