二つの戦い
アルトは地面へ押さえつけられたまま、セブランを睨んだ。
「その……誤認ってのが……」
「あぁ」
セブランは自分のこめかみを指先で軽く叩く。
「私が蛇遣い座から授かった加護だ」
「……加護」
「見たもの。聞いたもの。感じたもの。それが〝何なのか〟――その認識を狂わせる」
セブランがスカーへ視線を向けた。
「毒は毒のままだ」
色も。
匂いも。
その性質も変わらない。
「ただ、それを薬だと誤認させる」
「…………」
「王を治療していた医師は、自分が薬を扱っていると信じていた。自ら確認し、自らの手で王へ投与した」
何度も。
何度も。
「本人にとっては、王を救うための治療だったというわけだ」
「……ふざけんな」
アルトが歯を食いしばる。
「その人……何も知らなかったんだろ」
「そうだな」
「それを利用して……!」
「利用できるものを利用しただけだよ」
「……っ!」
アルトが身体へ力を込める。
だが。
頭を掴むスカーの手はびくともしない。
「まだ授業の途中だ」
「くそっ……」
「それに、今まさに良い見本がいるじゃないか」
「……?」
「君の上だよ」
アルトが視線だけを動かす。
スカー。
その目には。
明確な殺意が浮かんでいる。
「今の王には、君を敵だと誤認させている」
「俺を……?」
「あぁ。もっとも、君が何に見えているのかまでは私にも分からない」
「は?」
「侵略者か。王家を狙う暗殺者か。それとも人の姿をした化け物か」
セブランが小さく笑う。
「私は〝目の前の者は敵だ〟と認識させただけ。その先は、この男の頭が勝手に辻褄を合わせてくれる」
「…………」
「人というのは面白い。理解できないものを見れば、自分が納得できる形へ勝手に意味を付ける」
指先で。
もう一度、こめかみを叩く。
「私はそこへ、間違った答えを混ぜるだけだ」
「それだけ……?」
「もちろん、戦闘にも使える」
セブランが一歩。
浅い水を踏んだ。
「避けたと思った攻撃を、実際には避けていない」
「…………!」
「当てたと思った一撃が、実際には掠りもしていない」
距離。
方向。
手応え。
ほんの僅かに認識を狂わせるだけで。
戦いでは致命的な差になる。
「現実は何も変わっていない」
セブランがアルトの額を指差した。
「間違っているのは――君の認識だ」
「……っ」
「そして弱い誤認であれば、広く撒くこともできる」
「広く……?」
「君達がルミナスへ来た時。不思議ではなかったかい?」
「…………」
「これだけ王宮が燃えている」
炎。
煙。
崩れた建物。
「なのに、外から来た者達は王宮の近くまで異変に気づかなかった」
「…………⁉︎」
アルトの目が見開かれる。
「まさか……」
「火は燃えていた。煙も上がっていた。何一つ隠してはいない」
ただ。
それを見た者達へ。
「〝異常ではない〟と誤認させた」
「…………」
「煙は霞。炎は光の揺らぎ。遠くから見える王宮は、いつもと変わらない」
だが。
近づけば。
熱がある。
焦げた臭いがする。
瓦礫が転がり。
負傷した人間が目に入る。
「情報が増えれば、弱い誤認では処理しきれなくなる。だから王宮へ近づけば気づく」
「ずっと……」
アルトが呟く。
「俺達が来る前から……」
「あぁ」
セブランが笑う。
「準備していたよ」
毒を薬へ。
敵を味方へ。
異常を日常へ。
「それが――蛇遣い座の加護」
セブランが両腕を広げた。
「《誤認》だ」
「…………」
その時。
――ドゴン!!
「……?」
継承の間の奥から。
鈍い音が響いた。
セブランがそちらを見る。
「なんだ?」
――ドゴォン!!
古びた壁から石片が落ちる。
そして。
「こっちで合ってるのか、ラバタ!」
「知らないガニ! お前がこっちだって言ったガニ!」
「他に道がなかっただろ!」
「だからって壁を壊しながら進む奴がいるガニか!」
「道がねぇなら作るしかないだろ!」
「王宮でやることじゃないガニ!」
「…………!」
アルトの目が見開かれた。
「ガオン……?」
――ドゴォォォン!!
壁の一部が吹き飛ぶ。
砂埃の中から。
二人の男が姿を現した。
「やっと出た……!」
「だから壊しすぎガニ……」
ガオン。
そして。
ラバタ。
二人とも傷だらけだった。
ラバタの甲殻鎧は大きく砕け。
ガオンの右腕には、もう《灼獅》の姿はない。
「……なんだ、ここ」
ガオンが周囲を見回す。
浅く水の張った地面。
古びた石碑。
そして。
「…………」
その視線が。
一人の男で止まった。
「……父上?」
ガオンの声が掠れる。
「…………」
スカーは答えない。
「父……上……?」
一歩。
ガオンが前へ出る。
何度帰国しても。
体調が優れないと言われ。
会うことさえできなかった父。
久しぶりに見る姿は。
記憶の中とはあまりにも違った。
頬はこけ。
肩は細くなり。
腕も。
以前とは比べものにならないほど痩せている。
「……なんだよ」
ガオンの顔から。
いつもの余裕が消えた。
「なんだよ……その身体」
「ガオン……」
ラバタも。
目を見開いている。
「父上!」
駆け寄ろうとして。
「…………?」
ガオンの視線が。
スカーの足元へ落ちる。
そこには。
頭を押さえつけられている少年。
「…………は?」
一瞬。
理解が追いつかなかった。
「アルト⁉︎」
「ガオン!」
「お前、なんでここにいる!」
「それ俺が聞きたいよ!」
「今それどころじゃないガニ!」
ラバタの声に。
ガオンが我に返る。
「アルト。父上に何があった」
「セブランさんが何かやってる!」
「…………」
ガオンが眉を寄せた。
「セブラン?」
「おや」
セブランと。
ガオンの視線が初めて交わる。
「これはこれは、ガオン王子」
セブランは笑顔を浮かべた。
「ご機嫌いかがかな?」
「…………」
ガオンは。
痩せ細った父を見る。
地面へ押さえつけられたアルトを見る。
そして。
セブランを睨んだ。
「……何だか知らんが」
額に青筋が浮かぶ。
「すこぶる悪い」
「ふふっ」
「セブランといったな?」
「あぁ」
「何者だ、貴様」
ガオンの声が低くなる。
「父上に何をした?」
「何者、か」
セブランは背後の石碑へ目を向ける。
「都合の悪い遺物だよ」
「……何?」
「貴様ら王族にとってな」
「…………」
「それに――」
セブランが肩を竦めた。
「私はなーにもしていないさ」
「ふざけるな」
「王へ毒を盛ったのはセヴェルだ」
「…………セヴェル?」
ガオンの表情が止まった。
「なぜ……あいつが」
「違う!」
アルトが叫ぶ。
「その人は騙されてたんだ!」
「……何?」
「毒を薬だと思わされて! ガオンの父さんにずっと毒を盛らされてた!」
「…………」
ガオンのこめかみに。
青筋が浮かぶ。
「セブラン……」
「それに今、王様は俺を敵だと思ってて――」
「アルト君」
セブランの声が低くなる。
「少し喋りすぎだな」
「え――」
――ドガァン!!
「ぶっは⁉︎」
スカーが。
アルトの顔を地面へ叩きつけた。
水が大きく跳ねる。
「アルト!」
ガオンが駆け出す。
「くそっ! 父上!」
スカーは。
アルトの頭を掴んだまま離さない。
「離してください!」
「…………」
「父上!」
「無理無理」
セブランが軽く手を振る。
「そんなことを言っても意味はないよ」
「…………」
「今の王にとって、アルト君は殺すべき敵だ」
「なら――」
ラバタが。
甲羅盾を構えた。
「無理矢理でも引き剥がせばいいガニ?」
「ラバタ?」
――ドン!!
横へ。
跳んだ。
低い姿勢のまま。
地面を滑るような横走。
「行くガニ!」
甲羅盾を前へ。
そのまま。
スカーへ突っ込む。
――ドゴォォン!!
「……!」
盾が脇腹へ直撃。
スカーの身体が僅かにたじろいだ。
アルトを掴む腕が。
緩む。
「ガオン!」
「あぁ!」
ガオンが全身へ熱を巡らせる。
「父上……」
脚。
腰。
背。
肩。
「すまない!」
――《獅醒》。
――ドン!!
一気に踏み込む。
拳を引き。
「っらぁ!!」
スカーの腹へ。
叩き込んだ。
――ドゴォン!!
「ぐっ……!」
スカーの身体が横へ弾かれる。
ついに。
アルトの頭から手が離れた。
「アルト!」
「っ!」
アルトが水面へ手をつき。
転がるように距離を取る。
「がっ……はぁ……!」
「大丈夫か!」
「なんとか……!」
ガオンは。
ゆっくりスカーへ向き直った。
「アルト」
「……何?」
「そいつは任せた」
ガオンの隣へ。
ラバタが並ぶ。
「父上は――俺達で止める」
「ガニ」
「…………」
アルトは二人を見る。
そして。
《砕》を握り直した。
「……分かった」
立ち上がる。
その視線の先。
セブラン。
「じゃあ俺は――」
《砕》を構える。
「あんたを止める」
「ほう」
セブランが楽しそうに笑った。
「ようやく授業を聞く気がなくなったかな?」
「最初からねぇよ」
その背後。
「ぐぅぅぅ……」
スカーがゆっくり身体を起こす。
「……父上」
ガオンが拳を握った。
「久しぶりに会ったってのに……」
傷だらけの顔で。
小さく笑う。
「とんでもねぇ再会になったな」
ラバタが甲羅盾を前へ構える。
「来るガニ」
「あぁ」
アルトとセブラン。
ガオンとラバタ。
そして。
スカー。
継承の間で。
二つの戦いが。
同時に始まった。




